じじぃの「科学・地球_429_アルツハイマー征服・捏造の科学者」

Researching Alzheimer's using cells and mice

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hm-1vYi8FMg

トランスジェニック・マウス (rs.tus.ac.jp より)


RETRACTED ARTICLE: Amyloid plaques, neurofibrillary tangles and neuronal loss in brains of transgenic mice overexpressing a C-terminal fragment of human amyloid precursor protein

12 December 1991 Shigeki Kawabata, Gerald A. Higgins & Jon W. Gordon
●Abstract
To investigate the relationship between APP over-expression and amyloidogenesis, we have developed a vector to drive expression specifically in neurons of a C-terminal fragment of APP that contains the β/A4 region, and have used a transgenic mouse system to insert and express this construct. We report here that overexpression of this APP transgene in neurons is sufficient to produce extracellular dense-core amyloid plaques, neurofibrillary tangles and neuronal degeneration similar to that in the AD brain.
https://www.nature.com/articles/354476a0

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第4章 捏造の科学者 より

  1991年3月「ネイチャー」に華々しく発表されたアルツハイマー病を症状を呈するトランスジェニック・マウス。ついに人類は、「聖杯」を手にいれたのか。が、写真に疑義が。

東京都老人総合研究所の女性研究員、内田洋子は、そのトランスジェニック・マウスがついにできたということを知り、心が躍った。1991年9月のことである。
その情報をもたらしたのは、米国の科学研究の最高峰NIH(アメリ国立衛生研究所)の傘下の研究機関アメリカ国立老化研究所(NIA)高齢研究センター(GRC)のホープ、ジェリー・ヒギンズだった。
ヒギンズは、NIAの中の研究組織、高齢研究センター(GRC)の所長ジョージ・マーチンが、老化研究がこれまでの精神医学書だけでやっているだけでは限界があるとして、招聘したばかりの分子生物学者だった。内田がついていた東大の井原康夫とは、懇意の関係関係だった。井原もヒギンズも酒が好きで、飲み仲間でもあった。NIAと老人総合研究所はしばしば合同のシンポジウムを開いた。そうした関係から、研究員も交換しようということで、内田洋子に白羽の矢が立ったのだった。
内田は、前年に、井原康夫とともに脳の神経細胞を維持する物質”成長抑制因子(GIF)”を発見していた。
論文発表がまだなので、極秘ということで伝わってきた情報によれば、そのマウスは、4ヵ月で脳にアミロイドβを発現し、8ヵ月で神経原線維変化(PHF)を発現するという。アルツハイマー病の症状を呈する完璧なトランスジェニック・マウス、ということだった。だとすれば大発見だ。しかも自分は、そのマウスをつくったというヒギンズの研究室に2ヵ月後にはいくことができる。
内田洋子は、自分の研究計画に、そのトランスジェニック・マウスを前提としたものもひとつ加えた。トランスジェニック・マウスを使って、成長抑制因子(GIF)がいつ減っていくのかを確かめようと思ったのだ。

「なぜ人間の脳細胞の写真を貼っているのだろう?」

内田洋子が、ボルチモアにあるアメリカ国立老化研究所高齢研究センターに到着した11月4日、ネイチャーに発表されるというくだんの論文の写真が所内に提示されていた。論文のタイトルは「人間のAPPのC末端断片を過剰発症するトランスジェニック・マウスに老人斑と神経原線維変化そして神経細胞の脱落が見られた(Amyloid plaques, neurofibrillary tangles and neuronal loss in brains of transgenic mice overexpressing a C-terminal fragment of human amyloid precursor protein)」。
ジェリー・ヒギンズはセカンドオーサーとして名前を連ねていた。
論文自体の説明はない。しかし、そこに掲載されるという写真が貼ってある。
病理出身の内田洋子は、その写真を見た時、「なんで人間の脳細胞の写真が貼ってあるのだろう」と不思議に思った。
たしかにその写真には、老人斑と神経原線維変化がはっきりと写っていた。しかし、なぜかマウスの細胞の写真にみられるはずの細胞膜を認めることができない。
人間の患者の脳をとる場合は、心臓死したあとに標本を採取するので細胞膜が崩れてしまっている。細胞膜は最初に崩れてしまう組織だが、マウスの場合は、殺してすぐその標本をとるので、標本は新鮮で、細胞膜がはっきり残っている。その細胞膜がない。
しかし、内田がもっと仰天したのは、くだんのジェリー・ヒギンズがNIHの上層部の人間や、取材に来たプレスの人間に、その写真を「このようにトランスジェニック・マウスの脳にはっきりと老人斑と神経原線維変化(PHF)が認められた」と説明していたことだった。内田は自分の英語力が拙いせいで聞き間違えたのかと思った。
そして1991年12月12日の「ネイチャー」にくだんの論文は華々しく掲載された。

なぜ破滅するとわかっていながら捏造をするのか?

2月18日、ボストンでハーバード大学のデニス・セルコーに会った内田は1時間半ほど、ヒギンズの論文について議論をした。
内田が、実際に、ヒギンズが人間の脳の切片をマウスの脳の切片にくっつけたところを見てしまった話をすると、セルコーはすごく納得した様子で、自分もプレパラートを覗いて貼り付けているのがわかった、と言った。
「私はリトラクション(撤回)したほうがいい、と所長に言いました」
しかし、どうしてセルコーは査読の時に気がつかなかったのだろうか?
ネイチャーの場合、投稿した原稿は編集委員会(Editorial Board)にまわされる。そこで、まず95パーセント近くが掲載不可としてリジェクトされる。ここで残った5パーセントがレフリーと呼ばれる査読者のところにまわされる。査読者は少なくとも2人。その査読のレポートが編集者に回され、そのレポートをもとに編集者が、アクセプト(掲載)か、マイナーリビジョン(原稿の手直しが必要)、メジャーリビジョン(実験の追加など大幅な原稿の手直しが必要)か、掲載拒否(リジェクト)かが決められる。
理科系の研究の場合、どの論文誌に自分の論文が載るかで、研究者の将来が決まってくる。論文誌もピンからキリまであり、それはインパクトファクターという数字で可視化されている。
インパクトファクターはその論文誌が他で引用された回数によって決まっており、「ネイチャー」「サイエンス」の2誌は、なかでもインパクトファクターが最高のトップオブザトップだ。それだけに、分野の流れを変えるような画期的な発見はこの2誌に発表される。
アルツハイマー病のトランスジェニック・マウスは、治療研究の将来を決めるような重要な発見だ、だから、「ネイチャー」を飾るにふさわしい。
さらに、理解しなければならないのが、「ネイチャー」「サイエンス」「セル」などに論文が掲載されることで、研究者は、大きな研究予算をとることができるようになる、ということがある。

捏造の罠

「ネイチャー」の1992年3月12日号で、論文撤回が、河畑、ヒギンズ、ゴードンの3者連名で発表された。それによれば、河畑、ゴードンの担当した遺伝子注入については再現できたが、ヒギンズの担当した老人斑と神経原線維変化が見られるとした病理的報告は再現できなかった、とされていた。
ジェリー・ヒギンズはこの論文を最後に、科学界から姿を消した。
研究所を解雇されたあと、精神病院にいるという噂が流されたことまではわかったが、その真偽は確認できなかった。インターネット上にもぷっつりとその足跡は消えてしまっているのだ。
論文のうち河畑らが受け持った部分についてはマウントサイナイ病院の調査でも、不正は発見されず、再現できることがわかっている。河畑はこの時のショックからよく立ち直り、その後2000年代は、山之内製薬創薬研究の上流で活躍した。
ジョン・ハーディーが2月に初めてアルツハイマー病遺伝子を発見した1991年のうちに、3つのチームがアルツハイマー病の症状を呈するトランスジェニック・マウスを作ったと発表したが、このヒギンズの例をふくめてすべてが、再現性が確認できず、後に撤回されている。
しかし、この3つのうち2つは、単純なミスによる間違いで、ヒギンズがやったような捏造ではなかった。
ヒギンズが体現した「捏造の罠」は、後も科学界で繰り返されることになる。なぜ、後でばれるとわかっていながら、自分の身が滅ぶとわかっていながら、不正をするのか。この問いは、科学界で競争が激しくなればなるほど、問われるようになってくるのである。
アルツハイマー病治療薬をつくるための「聖杯」はまだ、人間の手のうちにおりてこなかった。
そうした中、残りの90パーセント以上の家族性アルツハイマー病の遺伝子を探る研究室の競争はますます激しくなり、科学者たちへの重圧は高まっていた。