じじぃの「科学・地球_39_世界史と化学・爆薬・ダイナマイトの発明」

The Vietnam War 1945-1975: “Napalm Girl”

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OFUFRl1sMNU

Nick Ut, AP photographer behind ‘Napalm Girl,’

Huynh Cong Ut, Vietnamese American photographer for the Associated Press who captured 'The Terror of War'

FILE- In this June 1970 file photo, taken by Associated Press photographer Huynh Cong "Nick" Ut, south Vietnamese Marines rush to the point where descending U.S. Army helicopter will pick them up after a sweep east of the Cambodian town of Prey-Veng during the Vietnam War. It only took a second for Associated Press Photographer Huynh Cong "Nick" Ut to snap the iconic black-and-white image of Phan Thi Kim Phuc after a napalm attack in 1972, but it communicated the horrors of the Vietnam War in a way words could never describe, helping to end one of America's darkest eras.
https://www.masslive.com/galleries/QGKCYTXX6FA3XPEG4YJJCQTRWY/

ダイヤモンド社 絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている 左巻健男(著)

【目次】
1  すべての物質は何からできているのか?
2  デモクリトスアインシュタインも原子を見つめた
3  万物をつくる元素と周期表
4  火の発見とエネルギー革命
5  世界でもっともおそろしい化学物質
6  カレーライスから見る食物の歴史
7  歴史を変えたビール、ワイン、蒸留酒
8  土器から「セラミックス」へ
9  都市の風景はガラスで一変する
10 金属が生み出した鉄器文明
11 金・銀への欲望が世界をグローバル化した
12 美しく染めよ
13 医学の革命と合成染料
14 麻薬・覚醒剤・タバコ
15 石油に浮かぶ文明
16 夢の物質の暗転

17 人類は火の薬を求める

18 化学兵器核兵器
https://www.diamond.co.jp/book/9784478112724.html

『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている』

左巻健男/著 ダイヤモンド社 2021年発行

17 人類は火の薬を求める より

1枚の写真がベトナム戦争終結を早めた

1972年6月8日、ベトナム戦争がもっとも激しかったときのことだ。AP通信提供「パナーム爆撃から逃げる南ベトナムの少女」の写真が世界を駆け巡った。

撮影したのはAP通信のカメラマンとしてベトナム戦争を取材していた21歳のベトナム人、ニック・ウッド。彼が、いくつかの戦闘を写真に収め、荷物をまとめて支局に戻ろうとしたとき、南ベトナム軍機がナパーム弾(組成はポリスチレン、ベンゼン、ガソリンなどからなる)を投下し始めた。苦痛と恐怖で泣き叫びながら彼の方へ走ってきた子どもたちの一群のなかに、裸の少女がいた。彼はシャッターを押した。
この「ナパーム弾の少女」は当時9歳のファン・ティー・キムフック・ウッドは彼女をふくむ子どもたちを病院に運んだ。キムフックは左腕や背中に大きな火傷を負っていたが助かった。キムフックのその後は、『ベトナムの少女世界でもっとも有名な戦争写真が導いた運命』(デニス・チョン著、押田由起訳、文春文庫)に記されている。
「ナパーム弾の少女」の写真はベトナム反戦運動を盛んにさせ、ベトナム戦争終結を早めたといわれる。

ダイナマイトの発明

1862年アルフレッド・ノーベル(1833~1896)はスウェーデンに、当時ヨーロッパで話題になっていたニトログリセリン(無色透明の液体で衝撃により爆発す る)の小さい工場を、父や兄弟たちと一緒につくった。ところが彼の小さい工場でも、大変な爆発事故が起こり、工場が破壊されたのはもちろん、5人の労働者が死亡した。そのなかには彼の末の弟もいた。父親もこの事故にショックを受け、まもなく世を去ってしまう。彼は残った兄弟たちと協力して、この爆薬を安全なものにしようと研究に打ち込んだ。
ノーベルは、紙、パルプ、おがくず、木炭、石炭、レンガの粉などさまざまな材料を試してもうまくいかなかったが、最後にケイソウ土(単細胞藻類であるケイソウの遺骸からなる堆積物)にニトログリセリンをしみ込ませると安定性が増し、扱いやすくなることを発見した。1866年のことだ。
ノーベルが発明した「雷管(爆薬または火薬を爆破させために、起爆剤その他を管体につめたもの)」を使うことで、爆発力を維持することもできた。1年後、彼は爆薬を「ダイナマイト」として市場に出した。
ノーベルは、ダイナマイト以外にも無煙火薬バリスタイトを開発して、軍用火薬として世界各国に売り込んだ。世界各地に約15の爆薬工場を経営し、ロシアにおいてはバクー油田を開発して、巨万の富を築いたのだ。
ノーベルの死の約1年前に書かれた遺言書は次のようである。
  残りの換金可能な私の全財産は、以下の方法で処理されなくてはならない――私の遺言執行者によって安全な有価証券に投資された資本でもって基金を設立し、その利子は、毎年、その前年に人類の貢献をした人たちに、賞のかたちで分配されるものとする。この利子は、5等分され、以下のように配分される――
    ・
この遺言書は、現在までの唯一有効なものであり、私の死後、万が一私の以前の遺言が存在したとしても、それらのすべてを無効にするものである。
最後に、私の死後、私の静脈が切開され、そして切開が終了し有能な医師が明らかに死の兆候を確認した時に、私の遺体はいわゆる火葬で葬られるというのが、私の特に明示する希望である。
        (『ノーベル賞 20世紀の普遍言語』矢野暢著、中公新書

黒色火薬から無煙火薬

ダイナマイトは、弾丸の発射薬には使用できなかった。銃がダイナマイトの激しい破壊力に耐えることができなかったからだ。
各国の軍部は黒色火薬より強い発射薬を求めた。そこで1884年に登場したのが無煙火薬である。「発射の際に黒色火薬特有の白煙が出る、火薬カスができる」などの問題点も解決された。少量の綿状のニトロセルロースに点火すると、煙が出ない。また、一瞬に燃焼して跡形もないので大変扱いやすい。
    ・
弾丸のなかに詰めて弾丸を炸裂させる炸裂させる炸裂の探究も行われた。1871年にフェノールをニトロ化して得られるトリニトロフェノールがはじめて合成されたのだ。味が極めて苦い(ピクリック)のでピクリン酸ともいわれる。
ピクリン酸は明るい黄色の粉末で、絹や羊毛の合成染料に使われたが、適当な起爆薬があれば爆薬に使えることがわかった。しかし、湿ると爆発しにくくなり、雨天や湿気の多い日には不発弾が多いという課題があった。
1906年にはドイツで強力な炸薬トリニトロトルエンTNT)がつくられた。TNTに湿気にも影響されなかったので、軍事的にピクリン酸より優れていた。なお、ピクリン酸もTNTもニトロ化合物である。