じじぃの「科学・地球_274_それはあくまで偶然です・小倉の幸運」

Nuclear Attack on Nagasaki - A Stunning Documentary

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KmbaLG5tDq8

Nagasaki mission crew

Hiroshima and… Kokura?

Aug 17, 2021 Medium
Hiroshima and Nagasaki. The two names will be linked forever in history as the only two cities to suffer the devastation of an atomic attack.
What many people don’t know is that Nagasaki only suffered its terrible fate because of a string of errors and chance events during the Americans’ bombing mission on August 9, 1945. This resulted in the Americans’ initial target, Kokura, being spared, dooming Nagasaki to its unfortunate place in history.
https://medium.com/lessons-from-history/hiroshima-and-kokura-5f93a4e1d63

『それはあくまで偶然です 運と迷信の統計学

ジェフリー・S・ローゼンタール/著、石田基広、柴田裕之/訳 早川書房 2021年発行

第3章 運の力 より

運とはいったい何を意味するのか、運をいったいどうやって解釈、説明、正当化するのかは定かではなく、ややこしいかぎりだけれど、運はありとあらゆる形で私たちの人生に途方もない影響を及ぼす。運は、長いあいだ音信不運だった身内を再開させたり、人生を変えたりしうる。隠された宝の在りかを明らかにし、質素な農民を百万長者に変えることもある。逆に、悲惨な話だけど、厖大な数の善良な人々の死を招くことさえありうる。

小倉(こくら)の幸運

運は、長らく音信普通になっていた身内や秘宝のような、喜ばしいものをもたらすだけではない。最悪の場合には、何千何万という人に、恐ろしい悲惨な死を運んでくることもありうる。
1945年8月9日午前9時44分、アメリカのB29爆撃機「ボックスカー」が、世界で3発めの原子爆弾「ファットマン」を搭載して、日本の都市、小倉の上空を通過した。3日前には、別の種類の原子爆弾リトルボーイ」が広島に投下され、一瞬にして8万人の命を奪い、それからの数ヵ月間にその約2倍の人が亡くなった。3週間前には、世界初の原子爆弾が、ニューメキシコ州の砂漠にあるトリニティ実験場で試された。そしてこの8月9日、日本を降伏に追い込み、それによって第二次大戦を終結させるために継続中の作戦の一環として、小倉が次の目標になるはずだった。
ところが、予定どおりには事は進まなかった。護衛の戦闘機が1機、行方不明になったため、ボックスカーの到着が遅れ、ようやく小倉に着いたときには、雲が流れ込んできていた。爆撃のための進路に3度入ったものの、視界不良で目的地点に「ファットマン」を投下できなかった。とうとう燃料が少なくなり、敵の迎撃機もやって来たので、小倉の爆撃は中止され、かわりにパイロットは最寄りの第2目標で、160キロメートルほど南西にある長崎の町へ向かった。「ファットマン」はそこで投下され、少なくとも4万人の命を瞬時に奪い、その後の数ヵ月で、ほぼ同数の人が亡くなった。
このような話はどう考えたらいいのか? その日の朝、小倉は晴れていた。雲がやって来るという、じつにたわいない出来事のせいで、文字どおり何万もの小倉市民が即死を免れる一方、そのかわりに何万人もの長崎市民が命を落とした。これは、何かの壮大な計画の一部だったのか? それらの長崎市民は、亡くなるべくして亡くなり、小倉市民は助かるべくして助かったのか? 死ぬ人もいれば生き延びる人もいたのは、運命だったのか? このいっさいには、理由があったのか?
それとも、万事はただの恐ろしいランダムな運にすぎず、ロジックも理由も説明もまったくなかったのか?
私たち人間は、なぜ物事が起こるのかを説明し、その理由を見つけ、何かしら道理にかなったものにしたいという、本能的な欲求を持っている。
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長崎には邪悪な老人がいて、同僚を虐待したり、見知らぬ人を害したり、罪のない人を痛めつけたりする残忍な計画を山ほど立てているので、正義の名のもとに、どうしても殺すしかなかった、と。
もしこれが小説かハリウッド映画だったら、おそらくそれで説明がついたのだろう。ところが現実には、小倉と長崎のどちらでも、何十万もの人のなかには、助かっていいはずの若いカップルや心優しい市民がたくさんいたことは間違いない。そして、どちらの都市にも、残忍で邪悪な人も住んでいたのは確実だ。だから、一方に原爆が投下されたことに、いったいどんな「理由」あるいは「正義」がありえたというのか?
そんなものは1つもありそうにない。むしろ、1945年のその日、長崎の人々はとんでもなく運が悪かったのだ。それに対して、皮肉な意味で、小倉の人々はじつに運が良かった。少しばかりの雲のおかげで、何万もの命が助かったのだから。実際、これを指して、「小倉の幸運」という言葉が今でも使われている。