What Does Space Smell Like?
What Does Space Smell Like?
The smell of space (and why you’ll be holding your nose for 4 million years!)
Jan 11, 2017 Express.co.uk
https://www.express.co.uk/news/science/752990/Smell-space-Sagittarius-B2-molecular-clouds-galaxy
おわりに より
そうした外側の問題(核兵器、公害など)で人間の心を悩ますことは多い。しかし、なによりもまず、人間が宇宙の中でどういう位置を占めるか、生命と死とは何か、という根本問題について達観しないことには、私たちの心は安らぎを得ないこともたしかであろう。もし私たちが、与えられた束の間の生命に伴う許しと恩恵をよろこび、この地上の自然の美しさにふれうることを感謝するならば、それだけでも心は満ち足りるであろう。また暫くのあいだ、この地上にいる人びとと、むつみあえることを楽しく思えるなら、それもまた心の飢えをみたすものであろう。
ひとりの人間のからだの中で、さまざまの細胞が分業と協力の体制を作っているように、人間の社会も、分業と協力によって組織される。もしひとびとが、人間と地球と宇宙を支えるものについて思いをひそめ、そこからくる大いなる許しと配慮を感謝するならば、人と人とは、おのずから温かい心で手をつなぐことであろう。それが外部の問題ととりくむのにぜひ必要な前提だと思う。
人は生きがいを「何かすること」に求めて探しまわる。しかし何かをする以前に、まず人間としての生を感謝とよろこびのうちに謙虚にうけとめる「存在のしかた」、つまり「ありかた」がたいせつに思える。それは何も力んで、修養して自分のものにする性質のものでなく、前章にのべた「愛の自覚」から自然に流れ出るものであると思う。
まずこの泉を掘りあてれば、私たちは「何かをすること」がなくても、何もすることができないような病の床にあっても、感謝して安らうことができる。死に直面しても、死は苦しみにみちた人生から大きな世界への解放として展望することができる。もし銀河系の中に、天体のあいだに、自由に飛翔しうる存在になれるならば、それはすばらしく雄大なことではないだろうか。
こうした大きな視野に立ち、大いなるものを信頼して、卑小な自分をまもることや、自分が所有するつもりになっているもろもろの物や力をまもることに、それほど熱中しなくなれば、どんなに多くのエネルギーが解き放たれることであろう。
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生きがいがない、となげく人は、自分の主観的な感じにとらわれすぎているのではないだろうか。自分というものに執することをやめれば、目の前に現れ出るしごとや楽しみに身を投げかけて、対象そのものになり切ることができる。そのときには、生きがいを自分が感じているかいないかは問題ではなくなる。
人には男女の差があり、いろいろな個性があり、才能もちがうから、それぞれの人の果たすべき役割も当然ちがうだろう。社会のために大いに活動する人もあろうし、病んでただしずかに自然を眺め、「生命への賛嘆の心」にみたされている人もあろう。連ちゃんのように、知能は足りないながら、純真なほほえみと善意にみちた生活で人びとをよろこばせている人もあろう。あるいは痴呆に陥った老人でも、そのような姿で存在させられているそのことの中に、私たちにはよくわからない存在の意義を発揮しているのであろう。
私たちは人間の小さなあたまで、ただ有用性の観点からのみ人間の存在意義を測ってはならないと思う。何が有用であるか、ということさえ、ほんとうには人間にわからないのではなかろうか。たとえば学問でも、「人の役に立つ」とみえるもののみが価値がある、とは私は決して思っていない。
生命への畏敬ということをシュヴァイツァは言ったが、私は宇宙への畏敬の念に、このごろ、ひとしおみたされている。科学の武器をもってさえ、その全貌を把握できないこの宇宙の中で、私たちは「意識」ある生命を与えられた。この意識をもって宇宙を支えるものに讃歌をささげたい。それをささげうる心が人間に与えられたことを感謝したい。こういう広大な世界が、小さな心で思い浮べることこそ人間に与えられたおどろくべき特権であると思う。
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どうでもいい、じじぃの日記。
先日読んだ、ティム・ピーク著『宇宙飛行士に聞いてみた!』という本に、こんなことが書かれていた。
宇宙に匂いはありますか?
「1番そそられるのは、死にゆく恒星の残り香という説だ。宇宙空間ではきわめて多くの燃焼が起きている」
神谷美恵子著『人間をみつめて』という本には、こんなことが書かれていた。
「生命への畏敬ということをシュヴァイツァは言ったが、私は宇宙への畏敬の念に、このごろ、ひとしおみたされている。科学の武器をもってさえ、その全貌を把握できないこの宇宙の中で、私たちは「意識」ある生命を与えられた。この意識をもって宇宙を支えるものに讃歌をささげたい。それをささげうる心が人間に与えられたことを感謝したい。こういう広大な世界が、小さな心で思い浮べることこそ人間に与えられたおどろくべき特権であると思う」
私は去年、後期高齢者(75歳以上)の仲間入りをした。
体のあちこちが崩れてきているのを自覚するようになった。
そのうち、宇宙の塵になるのだろう。
宇宙の香りはラズベリーやラム酒のような匂いがする、そうだ。
『人間をみつめて』の初版は、1971年に出版されている。
書かれてからもう50年も経ているのだが、読んでいて全く違和感がなかった。