Moses and the 10 Commandments
『21 Lessons』
ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田裕之/訳 2019年発行
13 神――神の名をみだりに唱えてはならない より
神は存在するのか? それはどの神を念頭に置いているか次第だ。宇宙の神秘か、それとも世俗的な立法者か? 人は神について語るとき、壮大で、畏敬の念を抱かせる。得体のしれぬもの、それに関してはまったく知らないものについて語っていることがある。森羅万象の最も深遠な謎を説明するために、この不可思議な神を持ち出す。なぜこの世には何もないのではなく、何かが存在するのか? 何が物理の基本法則を定めたのか? 意識とは何か? そして、どこから現われるのか? 私たちはこうした疑問の答えを知らない。そして、自分の無知に、「神」というたいそうな名前をつける。この不可思議な神の最も根本的な特徴は、私たちにはそれについて具体的なことは何1つ言えない点だろう。これは哲学をする人の神であり、夜遅く、キャンプファイアを囲んで座り、人生とはいったい何かに思いを巡らせるときに、私たちが語る神だ。
他の折には、嫌と言うほどよく知っている、厳格で世俗的な立法者という風に神を見る。私たちは、神がファッションや食べ物、セックス、政治についてどう考えているかをすっかり把握しており、この天空の怒れる男を持ち出して、無数の規制や命令や争いを正当化する。
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忠実な信者たちは、神が本当に存在するかどうか訊かれると、得体の知れない宇宙の神秘や人間の理解の限界について話し始めることが多い。「科学にはビッグバンは説明できません」と彼らは声高に言う。「ですから、神のなさったことに違いありません」と。とはいえ、気づかれないうちにトランプのカードをすり替えて観客の目を欺く手品師さながら、信者はたちまち、宇宙の神秘を世俗的な立法者にすり替える。宇宙の未知の世界に「神」ンをという与えてから、このすり替えを使って、どういうわけかビキニや離婚を非難する。「私たちはビッグバンを理解できません。したがって。人前では髪を覆い、同性婚には反対票を投じなければいけません」と言う。両者には何の論理的つながりもないだけではなく、じつは両者は矛盾してさえいる。宇宙の神秘が深いほど、何であれその原因となる存在が、女性の服装規定や人間の性行動など気にする可能性は低くなる。
宇宙の神秘と世俗的な立法者の間のミッシングリンクは、たいてい何らかの聖典を通して提供される。聖典は、はなはだ些末な規制だらけだが、それでも宇宙の神秘にその源をたどれるとされている。時間と空間の創造者が聖典を書いたというのだが、その創造者は、主にややこしい神殿の儀式や食べ物のタブーについて、わざわざ私たちを啓蒙してくれたのだそうだ。実際には、聖書やクルアーン、モルモン書、ヴェーダ、その他どんな聖典も、万能の存在――エネルギーは質量と光速の2乗の積に等しいことや、陽子は電子の1837倍の質量があることを定めた万能の存在――にとって書かれたという証拠は皆無だ。科学によってわかっているかぎりでは、こうした神聖な文書はすべて、想像力に富んだホモ・サピエンスによって書かれた。それらに、社会規範や政治構造を正当化するために、私たちの祖先によって創作された物語にすぎない。
個人的には、存在の神秘については驚嘆の念が尽きることはない。だが、それがユダヤ教やキリスト教やヒンドゥー教の些末な戒律とどう関係があるのか、理解できたためしがない。
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一部の人にとっては、一方の頬を打たれたらもう一方の頬も相手に向けるように命じる。慈悲深い神への強い信仰が、怒りを抑える助けになる。そのため宗教的信仰はこれまで、世界の平和と調和へおおいに貢献してきた。ところがあいにく、宗教的信仰はじつのところ一部の人の怒りを掻き立てたり正当化したりする。誰かが彼らの神をあえて侮辱したり、神の願いを無視したりしたときにはなおさらだ。だから、立法者としての神の価値は、最終的には敬虔な信者たちの行動次第ということになる。もし信者が善い行動を取るのなら、何でも好きなものを信じればいい。同様に、宗教の儀式や聖地の価値は、それがどんな感情や行動を引き起こすかにかかっている。神殿を訪れると平静や落ち着きを経験できるのなら、すばらしいことだ。だが、特定の神殿が暴力と争いの原因となるのなら、そんなものがなぜ必要だろう? その神殿が機能不全に陥っているのは明らかだ。病気にかかって実がならず、棘が生えるだけの木をめぐって争うのが無意味なのと同じで、調和ではなく対立を生じさせる。欠陥を抱えた神殿をめぐって争っても意味はない。
どこの神殿も訪れず、どんな神も信じないというのも有力な選択肢だ。過去数世紀を振り返ればわかるように、道徳的な生活を送るためにも、神の名を持ち出す必要はない。必要な価値観ははすべて、世俗主義に提供してもらうことができるのだから。