じじぃの「歴史・思想_245_シルクロードの古代都市・ゾロアスター教」

The Religion that Shaped Ancient Iran

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H9pM0AP6WlM

バクトリア

ウィキペディアWikipedia
バクトリア(Bactria)は、バクトリアーナ(バクトリアナ)、トハーリスターン(トハリスタン)とも呼ばれ、ヒンドゥークシュ山脈とアム(オクサス)川の間に位置する中央アジアの歴史的な領域の古名。
現在はイランの北東の一部、アフガニスタンタジキスタンウズベキスタン、および、トルクメニスタンの一部にあたる。かつてその領域にはグレコバクトリア王国などが栄えた。
ゾロアスター教の中心地】
ペルシア文明に大きな影響を与えたゾロアスター教の開祖であるゾロアスターは、古くからバクトリアの人だという伝説がある。
この点については諸説あって不明だが、少なくともアケメネス朝時代にはバクトラがゾロアスター教の中心地の一つであったことは明らかである。また、ゾロアスターの年代についても諸説あるが、古いペルシアの伝説では、ゾロアスターアレクサンドロスの侵入より258年前の人だとされている。彼は70歳で死んだといわれているので、もしこの伝説をとるならば、紀元前6世紀ごろの人物であるといえ、この時代はちょうどアケメネス朝の初期にあたる。

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シルクロードの古代都市――アムダリヤ遺跡の旅』

加藤九祚/著 岩波新書 2013年発行

1 拝火と酩酊の教え より

【火の信仰】

リトヴィンスキーは書いている。
「確信をもって言えることは、アケメネス朝と初期ヘレネズム時代のバクトリアゾロアスター教の国であったことである。少なくとも、すべての歴史的、考古学的資料はこの見解に矛盾しない」(リトヴィンスキー、2000年)
この研究者はゾロアスター教的立場から火と水をつぎのように理解している。まず火神の信仰である。
火の信仰はインドーヨーロッパ人の間で広範に広まっていた。古代インドの『ヴェーダ』では、火の神アグニは諸神の王にして全宇宙の王であるインドラ神に次ぐ神であった。
アグニ神は太陽と天の水(つまり雲)から生まれた。火と水の対照とその結合は、太陽が東の大海から昇り、西の大海に沈む、つまり「天空で生まれた男性の火が女性の水に沈む」ことに示されている。世界の多くの文化で、火は最も重要な神の1つとされている。インドーイラン人の伝統でもそうであるが、しかし相違もあった。
インドの信仰で火はほとんど例外なく「いけにえ」的要素で、儀礼におけるその役割は象徴的・根源的役割を果たしている。イランでは、火は神聖は基体で、他のものとの接触によって穢してはならない「清浄な」要素であった。イランでは火による清浄化の儀礼が発達した。ゾロアスター教聖典『アヴェスタ』における火の信仰は、多くの場合(全部ではない)は古代インドの宗教におけるアグニ(火)と対置できる。しかし『アヴェスタ』ではアグニ神はなく、別の神に変わっている。
『アヴェスタ』における火(atar アータル)は火一般を意味すると同時に、ゾロアスター教最高神アフラーマズダの「息子」である火の神アザタでもある。『アヴェスタ』におけるアータルは力強く、敬虔なゾロアスター教徒を助け、幸せをもたらすとされている。そのゾロアスター教の暦では、毎日のほかに、1年のうちの9月と毎月の9日は火の神アータルに献げられた月と日であり、つぎの10月と毎月の10日が水の神アパムに献げられている。『アヴェスタ』によると、天・地・植物・動物・人間に火が分与されている。
前1世紀のギリシャの地理・歴史学者ストラボンはゾロアスター教の聖なる火の神に捧げる儀礼について書いている。「祭司は毎日拝火神殿に入り、聖火の前で1時間ほども神秘的な歌をうたう。そのとき祭司は手に小枝を束を持ち、フェルトの被り物をかぶり、それを両頬から唇まで垂れ下げた」(ハキモフ『タジク人の音楽文化』)。この記述は後述のタフティーサンギンのオクス神殿で発見された祭司の肖像につながる。ロシアの考古学者ベレニツキー(A.M.Belenitskii,1904-93年)が、「馬信仰」が火の信仰と密接に結びついていると言うのも興味深い。リトヴィンスキーは、グルジアの銀皿には祭壇の前に馬が描かれていることを伝えている。
古代北方ユーラシアのスキタイやサカもイラン系民族であったことが定説になっている。とくにアジア側に住んだサカ族が火を崇敬したことはよく知られている。彼らの葬制には土葬のほかに、祭礼に用いた用具の焼却と火葬があった。こうした儀礼の痕跡はパミールアラル海沿岸のサカ族の墓によって知られている。最もめざましい資料はカザフスタンセミレチエで発見された。巨大な盛土のあるスペシャティル1号墳である。これは直径104メートル、高さ17メートル、外周は94基の環状石(ストーンサークル)によって取り巻かれていた。発掘の結果、かつて各環状石の環内で火が燃やされたことが分かった。祭礼のある時点で火が燃やされ、死者は多数の焚火に囲まれて死者の世界へ送られたと考えられる。
リトヴィンスキーは、火の環がふたつの役割を果たしたと考えている。第1には、死者の霊が生者の世界に戻ってこないようにすることであり、第2には、燃え上がる焚火の炎によって、死者の霊が神の住居である天に容易に昇れるようにすることであった。これもまた拝火と結びついていることは明らかである。