じじぃの「神話伝説_73_ヴァルダマーナ(ジャイナ教)」

Jainism Documentary 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3VENEthcqRk
ジャイナ教

ジャイナ教 ウィキペディアWikipedia)より
ジャイナ教(梵:Jaina、英:Jainism)とは、マハーヴィーラヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の誓戒を厳守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。「ジナ教」とも呼ばれる。
仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っている。日本国内には、兵庫県神戸市中央区に寺院がある。

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『ザ・勝負』 清水義範/著 講談社文庫 2002年発行
ゾロアスター教VS.ジャイナ教 (一部抜粋しています)
ゾロアスター教は、イラン(古くはペルシャ)に生まれた宗教である。
そして、ゾロアスター教が生まれた頃、インドには何があったかというと、「リグ・ヴェーダ」などのヴェーダと呼ばれる教典があった。それらをもとに思想を育てていたが、ブラーフマナバラモン)と呼ばれる僧侶階級の人たちである。だからそこにあった宗教を一般に、バラモン教という。
そういうわけで、ゾロアスター教バラモンを対決させる、というのなら意味があるわけだ。イランのあたりと、インドでは、どのように宗教が違うか、という対比ができる。
ゾロアスター教の教典は「アヴェスター」というもの。バラモン教の教典はいくつもの「ヴェーダ」。その両方を読んで、思想の違いを考えてみるのは面白いだろう。ゾロアスター教とは二神対立の宗教(二神教)で、バラモン教は多神並立の宗教(多神教)だな、なんてことが言える。
そのインドのバラモン教のほうの流れで、紀元前5世紀ごろにいくつもの新しい宗教が生まれたのだ。バラモン階級だけの哲学のようだったバラモン教では人々は救えないからと、もっと自由な発想で、新宗教が生み出された。
そのひとつがシャカの仏教なのだ。そして仏教では六師外道というんだから、ほかにも6人の宗教者がいたわけである。その中に、ジャイナ教マハーヴィーラもいた。
いくつか出た新宗教の中で、仏教とジャイナ教は二大勢力だった。どちらもかなり信仰されたのだ。
ところが、インド人に最も合う宗教はそのどちらでもなかった。インドにはカーストという身分制度が根強くて、カーストを否定する仏教やジャイナ教はインド人の中心宗教にはなりえなかったのだ。
インド人が選んだのは、北方から来たアーリア人が中心になって生んだバラモン教を、南方のドラヴィダ人の子のみに合うように、土俗化し、通俗化し、とっつきやすく加工したような、ヒンドゥー教だったのだ。
インドといえばヒンドゥー教、という具合になる。そして仏教は、インド内では13世紀にすたれて、アジアのほかの国々で信仰されることになる。多神教ヒンドゥー教では、シャカも神々の1人にとりこんでしまっている。
一方、ジャイナ教は、ヒンドゥー教全盛の中で、細々と生きのびて、今もインドに、全人口の0.5パーセントぐらいの信者をもって続いているのだが、盛んな宗教とは言えないわけだ。
そういうことだからジャイナ教と対決させるならば相手は仏教でなければおかしいのである。
仏教と対比しながら、ジャイナ教をざっと説明してみよう。
ヴァルダマーナはシャカと同じ頃(BC444 - 372という説あり)、マガダ国にクシャトルア(武士階級)の子として生まれた。一時期は結婚して子どもももうけたが、30歳で出家して、沙門(出家僧のこと)として修行に入る。そんなところもシャカと似ている(シャカは29歳で出家)。
そしてヴァルダマーナは12年間の苦行の末、悟ってジナとなり、それ以後はマハーヴィーラと呼ばれる。彼は、自分は24代目のジナであり、過去に23人の聖人がいた、ということを言ったが、23代目の人が実在の人物だったことはわかっている、その言い方によって、大昔から続いている真理の法だということを表現したのだろう。
ジャイナ教と仏教に似ているところは多くあって、どちらもある種の無神教であり、修業と瞑想によって真理をしり、解脱しよう、ということを説く。バラモン教から、業(ごう、カルマ)とか輪廻という考え方を導入しているところも共通する。
しかし、仏教が苦行を廃し、中道を説き、穏やかな悟りをめざしたのに対し、ジャイナ教では克己心や厳格さを重んじ、苦行を重要なものとした。
人間にも動物にも霊魂があって価値は同じである。しかし人間は「業」のために欲を持ち、悪行をはたらいてしまう。そのせいで死んでもやがて生まれかわり、永遠に苦しみを味わう。生きることはそのような「苦」なのである。
輪廻転生への考え方が、仏教とジャイナ教とでは大きく違う。仏教だと、輪廻は、生物は何度でも生まれかわる、という、死をおそれなくていい理由に解されている感じがするが、ジャイナ教では、苦しみの生が無限にくり返される地獄のようなことこそ輪廻なのである。だから「業」を捨て、修行し、苦行を積んで、もう輪廻しないですむものに解脱することをねざすのだ。
そのために、不殺生、不妄語(真実のみを語る)、不偸盗(盗まない)、不邪淫を(禁欲)、不所持(ものを持たない)の五大戒律を厳守する。虫すらも殺さず、衣服すら持たないという徹底ぶりなのだ。
ジャイナ教の行者はしばしば断食を行い、場合によっては餓死するが、それが理想なのである。完全に「業」を断ったら餓死するしかなく、それをしてこそ解脱できるのだ。マハーヴィーラ自身も72歳で餓死している。