じじぃの「カオス・地球_274_すばらしい医学・放射線障害・細胞破壊」

10/14公開『キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱』予告編

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TMlnMDbtZOo

マリ・キュリーと放射線障害


ノーベル賞学者マリ・キュリーの悲劇の真相・・「放射性物質を用いて実験を繰り返したことが原因」は大きな誤解!?

2023.11.25 ダイヤモンド・オンライン
●マリ・キュリーの功績と不運な死
ヴィルヘルム・レントゲンが発明したX線は、戦争で負傷した兵士の骨折の部位や、体内に残った弾丸、その破片の位置を特定するのに大いに役立つツールであった。
マリ・キュリーは、X線装置を搭載した車両を自ら戦場に導入することで、X線を用いた画像診断に尽力したのである。
だが、1934年、不運にもマリ・キュリーは、骨髄の障害によって起こる再生不良性貧血でこの世を去った。
長年に渡り放射性物質を用いて実験を繰り返したことが原因とされているが、近年は、第一次世界大戦中の度重なるX線検査への立ち会いの方が大きな要因になったと考えられている。

放射線を用いたがん治療
放射線による細胞へのダメージを逆手に取り、がん治療に生かしたのが放射線治療だ。
私たちの細胞にはDNAの損傷を修復するしくみが多数備わっている。なぜなら、DNAの損傷自体は紫外線等の環境因子によって日常的に起こっており、修復機構がなければ私たちは生きていけないからである。
むしろ、生命の設計図たるDNAに損傷を引き起こす光線が、地球上に日々降り注いでいるからこそ、DNA修復システムを備えた生物が進化の過程で生き残ってきたのである。
https://diamond.jp/articles/-/332482

すばらしい医学―あなたの体の謎に迫る知的冒険

【目次】
はじめに
第1章 あなたの体のひみつ
第2章 画期的な薬、精巧な人体
第3章 驚くべき外科医たち
第4章 すごい手術

第5章 人体を脅かすもの

おわりに

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『すばらしい医学―あなたの体の謎に迫る知的冒険』

山本健人/著 ダイヤモンド社 2023年発行

第5章 人体を脅かすもの

生命を完全に破壊する光線 より

東海村原子力事故
1999年9月30日、千葉市にある放射線医学総合研究所に、3人の作業員がヘリコプターで救急搬送された。彼らは急性放射線障害で重篤な状態にあった。原因は、茨城県那珂郡東海村にあるジェー・シー・オー(JCO)社の核燃料加工施設で発生した原子力事故であった。

もっとも重症だった作業員の1人は、事故の際、至近距離で凄まじい量の放射線中性子線)を浴びた。彼の体を突き抜けた多量の放射線は、全身の細胞核内にあるDNAをバラバラに破壊した。その瞬間、ありとあらゆる細胞が分裂能力を失った。生命の設計図が失われたのだ。

事故翌日、東京大学医学部附属病院の集中治療室に移ったときは、むしろ拍子抜けするほど症状は軽かった。全身に軽い日焼けをした程度で、水ぶくれの1つもなく、意識もはっきりしていた。だが、その後の体に起こった変化は壮絶だった。

放射線細胞分裂が盛んな部位に多大な影響を及ぼす。血球をつくる力は完全に失われ、破壊された免疫システムは再起不能に陥った。血球のもととなる造血幹細胞を移植する治療、造血幹細胞移植が行われ、無菌室で治療が続けられた。

ひとたび古い皮膚が剥がれ落ちると、それ以後は全く再生が起こらない。体の表面から大量の水分と血液が失われていく。消化管の表面を覆う粘膜が失われて再生せず、膨大な量の下痢と出血が続く。毎日10リットルもの点滴で水分を補充しても追いつかず、とてつもない速度で体から液体成分が失われた。

国内では初めての、世界的にもほとんど例のない重大な被曝事故であった。見たこともない様子で劣化し、生きる力を失っていく体に、医療スタッフらは懸命に立ち向かった。だが事故から83日後、彼は多臓器不全で亡くなった。35歳、妻と小学生3年生の息子がいる健康な男性だった。医学の限界というほかなかった。

のちにJCOの作業工程における杜撰(ずさん)な安全管理が問題視され、所長を含む6人に対し業務上過失致死などの罪で有罪が確定した。

この事故で反応を起こしたウランは、わずか0.001グラムであった。放射線という目に見えない脅威に、人体はあまりにも脆い存在だ。正しい知識と、それに基づく適切な管理なくして身を守ることは決してできない。

放射線に無知であった人類
放射線の存在を初めて知ったのは、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンである。
1895年、高電圧の真空管を用いて実験を行っていた彼は、偶然にも奇妙な光線を発見する。真空管から放たれたその光線は、真空管を覆う黒い厚紙を透過し、スクリーンをかすかに照らしていた。

彼がこの光線に手をかざしたとき、驚くべきことが起きた。スクリーンには、自分の手の骨が移し出されたのだ。体内を覗き見る技術が初めて生まれた瞬間だった。

彼が「X線」と名づけた新種の光線は、瞬く間に世界中に広まった。X線を使った検査は「レントゲン」と呼ばれるようになり、人体に対する安全な利用法が確立した。
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さらに1898年、ポーランド出身の物理学者マリ・キュリーは、その夫ピェール・キュリーとともに、自然界に存在する新たな放射性元素を発見する。

今のチェコ共和国西部にあるヨアヒムスタール鉱山の鉱石から、彼らの苦労の末に抽出したのは、ポロニウムラジウムであった。

ポロニウムはマリ・キュリーの母国ポーランドから、ラジウムラテン語の「光線(radius)」にちなんで名づけられた。また彼女は、放射線を出す能力のことを「放射能(radioactivity)」と名づけた。科学における全く新たな一分野を切り開いたアンリ・ベクレル(フランスの物理学者・化学者。放射線の発見者)とキュリー夫妻の3人は、1903年、ノーベル物理学を受賞する。

だが当時、放射縁が持つ人体への危険性は、まだはっきりとはわかっていなかった。むしろきれいに光輝くラジウムは、さまざまな人気商品を生み出した。1920年代には、ラジウム入りの石鹸、美容クリーム、歯磨き粉などが発売され、ラジウム入りの飲料は健康に良いと宣伝された。

中でも世界的に有名な大問題を引き起こしたのが、アメリカ、ニュージャージー州にあった米国ラジウム社だ。1917年、同社はラジウムを利用した夜光塗料を開発し、これを時計や計器の文字盤に使った。特に戦争中の夜間戦では。自然に発光するラジウムは圧倒的に便利だった。この時期、アメリカでは軍用に400万個以上の夜行時計が作られた。

この塗料を塗る作業は、若い女性工員たちが担当した。繊細な作業であるだけに、女性たちたちは何度も筆を舐めて穂先を整えた。これが彼女らの体を蝕(むしば)んだ。繰り返す被曝によって、放射線障害が生じたのだ。顎の骨が壊死(えし)し、舌や首、顎に腫瘍ができた。骨髄が障害され、慢性的な病気を発症し、多くの人が亡くなった。

放射線によってDNAが損傷されると、細胞は修復機構によってこれを修復する。修復が不可能な場合は自死アポトーシス)を起こすが、修復がうまくいかないまま生き残ってしまうと、時にがん化して無秩序に増殖する。放射線によって起こる、数ある傷害の1つである。