アンリ・ベクレル - あのひと検索 SPYSEE
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antoine henri becquerel 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=QGJ9_2n7V8I
放射線の基礎 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LKP9-AIb4Cw
アンリ・ベクレル ウィキペディア(Wikipedia)より
アントワーヌ・アンリ・ベクレル(Antoine Henri Becquerel, 1852年12月15日 - 1908年8月25日)は フランスの物理学者。放射線の発見者であり、この功績により1903年ノーベル物理学賞を受賞した。パリ生まれ。息子のジャン・ベクレルも物理学者である。
蛍光や光化学の研究者アレクサンドル・エドモン・ベクレルの息子で、研究者の道に進んだ。エコール・ポリテクニークで自然科学を、国立土木学校で工学を学んだ。
1903年、ノーベル物理学賞をピエール・キュリー、マリ・キュリーと共に受賞した。
1908年、ブルターニュ半島のLe Croisicで55歳の若さで急死。マリ・キュリー同様、放射線障害が原因だと考えられる。
放射能のSI単位のベクレル(Bq)はアンリ・ベクレルにちなんでいる。
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『アシモフの科学者伝』 アイザック アシモフ/著 小学館 1995年発行
レントゲンとベクレル――目に見えない光線の発見者 (一部抜粋しています)
真空ポンプでガラス管の中の空気を抜き取り、その中で放電させると、不思議な光があらわれる。ウィルヘルム・レントゲン教授は、この光に魅せられていた。
ガラス管の中の、この不気味な光は、負の電極、つまり「陰極」のほうから始まるように思われたので、この現象は「陰極線」によって起こるとされていた。この光線がガラス管の壁に当たると、ガラスが緑ぃぽい光を発する。ガラス管の近くに、ある種の化学物資を置くと、それはガラスよりも、もっと明るく光った。これは「冷光現象」と呼ばれた。
レントゲンは、この冷光現象に、ことのほか興味を持った。1895年1月5日、彼は、陰極線管を薄いボール紙の箱の中に納め、部屋を暗くした。こうすれば、外からの光に邪魔されることなく、冷光現象を観察できるはずであった。
彼は、電気のスイッチを入れた。その瞬間、1つの光が彼の目を捕らえた。それは、陰極線管から出たものではなかった。彼は目をあげた。陰極線管からかなり離れたところに、たまたま1枚の紙が置いてあった。その紙には、シアン化白金バリウムが塗ってある。シアン化白金バリウムは、陰極線管の近くに置いたとき光を発する物質の1つなので、彼はこの紙を実験のさいに使ったのである。
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レントゲンは、精力的に実験した。彼は、さまざまな物質について、どの程度の厚さまでX線が透過するかを調べた。また、X線は、太陽光線と同じように写真乾板をくもらせることも発見した。彼は、このような研究成果を1895年の12月28日に発表した。科学界の人びとは、目を見はった。
数多くの科学者たちが、自分自身でも、前にこのような不思議な放射線を経験したことがあった。陰極管を研究していたイギリスの科学者ウイリアム・クルックスは、近くに置いた写真フィルムがくもってしまったことに、何回か気づいていた。彼は、それをたまたま起こったことだと考え、注意を払わなかった。1890年には、アメリカの物理学者A・W・グッドスピードが、現在、私たちがX線写真と呼んでいるものを、事実上、作り出していた。が、彼は、それをさらに追及し、この現象の本質を明らかにするだけの興味を持ち合わせてはいなかった。
レントゲンの研究は、フランスの科学者アントワーヌ・アンリ・ベクレルの想像力を刺激した。彼は、レントゲンより7つ年下で、有名な科学者の息子である。ベクレルの父は、冷光現象の1つの型である「蛍光現象」に関心を持っていた。蛍光物質は、紫外線や、それを含む太陽光線にさらされると光を発した。
ベクレルは首をひねった。「この蛍光現象にもX線が関係しているのではないだろうか」。1896年、ベクレルは写真フィルムを黒い紙に包み、そのうえに、蛍光を発する物質の結晶をのせて、太陽光線にさらした。このとき、彼は、父親が特に興味を持っていたウラン化合物を使った。
それで十分だった。フィルムを現像してみたら、それはくもっていた。ふつうの太陽光線は、黒い紙を通過しないが、X線なら通過できる。ベクレルは、ウラン塩が蛍光を発するときには、X線が出ていると確信した。
そのあと、くもりの日が続いたため、ベクレルは実験を継続することができなかった。3月1日まで、彼は、いらいらして過ごした。紙に包んだ写真フィルムと結晶は、引き出しの中に入れたままになっていた。そのフィルムのうちの何枚かを、どっちみち現像してみようと、彼は決めた。たぶん、前の蛍光現象がいくらか続いているに違いない。結晶は何日ものあいだ太陽光線にさらされていないけれども、おそらく、フイルムはかすかにくもっているだろう。少なくとも、なんらかの変化はあるに違いない。
が、現像してみて、彼は驚いた。フィルムは、かってないほど濃くくもっていたのだ。彼は太陽にさらす必要はないことに、すぐ気がついた。ウラン塩は、たえず放射線を出しており、その透過力は、X線よりも強かった。
1897年までに、陰極線の性質がはっきりした。イギリスの物理学者J・J・トムソンが、この線はものすごいスピードをもった小さな粒子の流れであることを示した。しかも、これらの粒子は、原子よりもずっと小さなものであった。それは、はじめて発見された「原子よりも小さな粒子で、「電子」と呼ばれた。
このような電子が原子にぶつかると、エネルギーが放出される。それは、ふつうの光に実によく似た放射線であった。光と違うのは、もっとエネルギーが強く、ものをつらぬく力がずっと強い点であった。高速の電子(つまり陰極線)が、陰極線管の陽極をたたくと、X線が発生した。このようなX線は、目に見える光と同じように、電磁波の一部をなすものである。
ベクレルのウラン線については、それは3種の放射線から成り立っていることが証明された。もっとも透過力のツ用のγ(ガンマ)線であった。これはX線に似た放射線だったが、エネルギーはX線より強かった。ほかの2つは、それぞれ電子とヘリウムの原子核とからなりたっていた。
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アンリ・ベクレル Google 検索
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