The Nazi Olympics: Berlin 1936
Berlin 1936 Olympic Games
Medals by country in 1936 Olympics
ヒトラーの祭典…1936年ベルリン・オリンピックの熱狂した様子
2009年6月12日 ライブドアニュース
1933年にアドルフ・ヒトラー率いるナチスがドイツの政権を奪取し、その3年後の1936年にはベルリンで夏季オリンピックを開催しました。
https://news.livedoor.com/article/detail/4199716/
『一冊でわかるドイツ史』
関眞興/著 河出書房新社 2019年発行
ドイツとはどういう国か。その歴史を図やイラストを使いながらわかりやすく、ていねいに描く。コラム「そのころ、日本では?」「知れば知るほどおもしろいドイツの偉人」も役に立つ。
5 ワイマール共和国からナチスドイツへ より
優秀な? ドイツ民族
ナチスが政権をとったころ、ドイツの労働者の賃金は低いままにされていました。1937年に完全雇用(すべての労働者が仕事に就く)が実現すると、雇い主は、労働者の離職を防ぐため、労働時間の短縮や特別手当を支給するようになります。
これに目をつけたナチスは、余暇活動や娯楽を通じて全国民の指示を得ようとしました。労働者の全国組織である労働戦線は「喜びを通じて力を」(歓喜力行団)をつくり、労働者に週末の音楽祭や日帰り旅行、あるいは北欧などへのクルージングといった楽しみを提供したのです。また、福祉政策のためのボランティア、母子家庭・貧困家庭への食料の援助などを行いました。
なお、ナチスの政策の1つに、国民が安く買える自動車をつくる「国民車構想」がありました。ヒトラーは、ポルシェ博士に指示して国民車(ドイツ語で「フォルクスワーゲン」)を設計させました。戦争が始まると軍備が優先され、国民に車は行き渡りませんでしたが、戦後に一般に売り出され全世界で人気となります。その車が、フォルクスワーゲンのタイプ1、通称ビートルズです。
ヒトラーのつくり上げたナチスの理論(ナチズム)は、後世、非難をあびます。しかし、ドイツの置かれていた状況や、ドイツの過去の歴史から見てみると、民族の繁栄を願い、国民に夢を与えるための考え方は魅力的な面もありました。
まず「生存圏」という考え方です。優秀なドイツ民族は生き延びなければならない。そのためには自給自足のための土地が必要であるというのです。これこそ、排他的で危険な考え方でした。ナチスは、すぐれたドイツ人による民族共同体をつくるとして、ドイツからユダヤ人と反社会分子・非健常者を取り除く行動に出ます。
ユダヤ人お断り
ユダヤ人への迫害はナチスが権力を握った1933年から本格化しました。この年、官僚や弁護士などの公的な職業からユダヤ人が締め出されます。また、ユダヤ人作家の書物は焼き払われました。
当時、ドイツ国内のユダヤ人は50万人ほどで全人口の1パーセントに満たない程度でした。初期のユダヤ人対策は、外国へ移住させることでした。ところが、受け入れ国が少なく、多くのユダヤ人は国内にとどまりました。
この状況に業(ごう)を煮(に)やしたナチスは1935年、「ニュルンベルク法」でユダヤ人の公民権(政治に参加する権利)を奪いました。ドイツ人との結婚を禁止され、ユダヤ人は2級市民の地位に落とされました。
そんななか、パリのドイツ大使館がユダヤ人青年に暗殺される事件が起こります。