じじぃの「歴史・思想_198_世界史の新常識・ポピュリスト・ヒトラー」

Hitler In Berlin (1936)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LOEfL4k_zF8

Adolf Hitler in Berlin, 1940

韓国の理解し難い反日政策に埋め込まれた、文在寅の「真の野望」

2019.8.30 ダイヤモンド・オンライン
●日韓関係を正しく理解しないと国際政治の未来予測を間違える
以前、当連載の記事で、N国党の躍進の陰に世界的なポピュリズムが進行している影響があるという話をしました。

現在進行形で起きている韓国の文在寅政権による対日批判も、「日本を批判する政治家が国民の支持を得やすい土壌がある」というポピュリズムが問題の背景にあります。

私は未来予測の専門家としての顔も持っており、令和の時代がどのような方向に動くのかを研究していますが、ポピュリズムは今の時代を読み解く重要なキーワードの1つです。
https://diamond.jp/articles/-/213314

『世界史の新常識』

文藝春秋/編 文春新書 2019年発行

近現代

独裁の秘術 ヒトラースターリン毛沢東 【執筆者】福田和也 より

ヒトラーはいつヒトラーになったのか?

これは非常に興味深い問いだ。
アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、ドイツとオーストチアの国境にある、ブラウナウという小さな町に、税関吏の息子として生まれた。
1907年、18歳で画家になることを志してウィーンに出た。しかし、ウィーン美術アカデミーの入試に失敗。父親の遺産と自分で描いた絵を売った金で糊口を凌いでいたが、とうとう浮浪者収容所に身を寄せることになってしまった。
ちょうどその頃当主であったフランツ・ヨーゼフ1世が王宮の窓から見下ろしていたウィーンの街を、ヒトラーは社会の底辺から見上げることになったのだ。この目線の低さ、大衆との距離の近さが、後に新しい指導者としての彼の強みとなる。
第一次世界大戦で、バイエルン陸軍に志願入隊したヒトラーは、伝令兵として最前線をを駆け回り、2度受勲するほどの勇敢さを発揮する。戦後、ミュンヘンの部隊に戻ると、民族主義思想を買わせて兵士の反共・愛国教育を任され、はじめは調査目的でドイツ労働者党に接近した。しかし、その尖鋭な民族主義に共鳴し専従職員となったヒトラーは、激しい演説などで頭角を現した。この党は1920年に「国民社会主義ドイツ労働党」と改称され、略称の「ナチス」で知られるようになる。ヒトラーが第1議長の座についたのは21年7月のことだった。
2年後の23年、中央政府からの政権奪取を目指してミュンヘン一揆を起こすも失敗に終わり、ナチスは解散、ヒトラーは禁固刑となる。
この失敗が、ヒトラーヒトラーとなる契機になった。
一気に武力革命を実現させることは無理だとみたヒトラーは、釈放されて党を再興すると、選挙による合法的な権力奪取へと方針を転回した。そして正規軍に歩み寄り、連携を深めるようになる。そのためには、党の武力組織だった突撃隊の粛清をも辞さなかった。つまり、大衆と軍を取り込むことこそが権力への道だと見極めたのである。
この迂回が、さらに大きな権力をヒトラーにもたらすことになった。
1932年、国会選挙でナチスは第1党となり、33年1月30日、ヒトラーヒンデンブルグ大統領からワイマール共和国の宰相に任命されたのだ。
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第二次世界大戦におけるヒトラーの行為が、人種主義を徹底した悪の権化であったことは間違いない。
しかしその一方で、ヒトラードイツ国の指導者として、ヒャルマル・シャハトに経済政策を任せて成功をおさめ、失業対策、公共事業、国民の娯楽と健康政策などに抜群の手腕を発揮したこともまた事実である。
その政策を一言でいえば、経済的ポピュリズムの見事な実現だった。アウトバーンなどの大規模な公共事業を立ち上げ、国民車フォルクスワーゲンを走らせて、郊外にもうけた自然豊かな公園などのレジャー空間へ送り込む。敗戦後の超インフレにあえいでいたドイツ国民に、職業、健康と慰安、そして強いドイツの復活という希望まで提供したのだ。
第一次大戦でドイツが失った東方地域には、戦後も多くのドイツ系住民が生活していた。不安定な状態に置かれた彼らの処遇も含め、失地回復こそ戦後ドイツの悲願だったのである。ヒトラーが打ち出した「生存間」は、そうした国民の欲望を反映したものだったといえる。
ヒトラーは、たとえば骨の髄まで党官僚だったスターリンなどとは異なり、国家システムを精密に作動させるテクノクラート的な作業は得手ではなかっただろう。その分、ヒトラーには、その底辺に近い生活体験から、敗戦に苦しむ大衆層が何を望んでいるかを的確に見据える、目線の低さがあった。そしてその大衆こそが、普通選挙と総力戦の20世紀において、最大の政治的パワーの源となることを掴んだのだ。
そう考えると、はたしてヒトラー第二次世界大戦への明確なヴィジョンや綿密な計画など、本当にあったのかどうか、疑問である。
私が見るところ、ヒトラーは何か機会を捉えては新たな果実を狙い続けるオポチュニストだった。
彼が第二次世界大戦中、幕僚たちに食事なのど折に漏らした座談を集めた、ヒュー・トレヴァー=ローバー著『ヒトラーのテーブル・トーク1941ー^1944』によると、ヒトラーは『わが闘争』などで唱えられたワグナー流の世界観もゲルマン神話も、すべてが演出に過ぎず、ただのコケ威しだったと言い切っている。
もしも彼に悪魔的なものがあるとすれば、それは生来の楽天性ではなうだろうか。第一次大戦を、1日5万人もの人間が死ぬような戦争を体験しながら、砲火とどろくなかを武器も持たずに伝令を届ける使命を嬉々として果たし、「私はこの世界が好きだ!(略)美しいものを満喫したい、手放したくないと心底願っている」(『ヒトラーのテーブル・トーク』)お世界を全肯定する楽天性こそが、彼を恐ろしい一連の実験の指導者たらしめたのだ。

大粛清はなぜ繰り返されたのか?

この3人(ヒトラースターリン毛沢東)政治の手法は、過去のものだといえるだろうか。

ヒトラーが行なったのは、積極的な経済政策に、ナショナリズムの高揚を加えた国家主義ポピュリズムだったといえる。

しかし、これは人種主義(ことに戦時下での反ユダヤ政策)を除けば、いまも多くの政権が採用している組み合わせではないだろうか。その意味で、いまなおヒトラー的手法は汎用性が高いといえるだろう。
そして官僚機構(党)への権力集中+恐怖による統治を展開したのがスターリンだ。これも20世紀の多くの権力者たちが採用した「ノーマルな独裁者」モデルだったといえる。
そして毛沢東である。反官僚主義はしばしばポピュリスト政治家に採用されるが、実際に押し進めると、ポルポト政権のように、近代国家そのものが成り立たなくなる。農民や職にあぶれた若者たちなど多数者の不満を煽り過ぎると、コントロール不能な内乱につながる危険性も高い。政治指導者にとっては扱い困難な劇薬なのだ。反汚職運動を進める習近平は、この規格外の先人からいかなる教訓を得ているのだろうか。