じじぃの「科学・地球_291_現代優生学・ナチス・ドイツの優生政策」

Parade Vor Dem Schopfer Grossdeutschlands Aka German Military Parade - Hitler Takes Salute (1940)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wWtGS_nT06U

Poster promoting the Nazi monthly publication Neues Volk

ナチスの月刊誌「Neues Volk」の広告ポスター

ホロコースト百科事典 より
ナチスの月刊誌「Neues Volk」の広告ポスター。 「国民共同体」のビジョンから除外されたグループはユダヤ人だけではありませんでした。
ナチス政権は、知的障害者身体障害者も攻撃の対象にしました。 ナチスの月刊誌「Neues Volk」を宣伝するこのポスターの見出しには、 「遺伝性の疾患を持つこの患者は、その生涯にわたって国に6万ライヒスマルクの負担をかけることになる。 ドイツ市民よ、これは皆さんが払う金なのだ」と書かれています。 ナチ党の人種局が作成したこの広告は、このような「不適」と見なされた人々が社会に与える負担を強調していました。
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/photo/poster-promoting-the-nazi-monthly-publication-neues-volk

『「現代優生学」の脅威』

池田清彦/著 インターナショナル新書 2021年発行

第3章 ナチス・ドイツの優生政策 より

ナチズムの「2つの地層」

前章では、「学問としての始まりから、アメリカでの優生運動まで」を解説しました。第3章では人種主義と優生学を結びつけた「ナチス・ドイツによる優生政策」について検討していきます。
ナチスの犯した人道的な罪として広く知られているのは、「優生政策」と「安楽死計画」、そして「ホロコースト」です。これらはナチスという「悪の集団」の特異さの象徴として、現代では同じ地平の上で語られてきました。しかし、医療社会学者の市野川容孝は、『優生学と人間社会』(米本昌平・松原洋子・橳島次郎との共著、講談社現代新書)のなかの論考で、「ナチズムには、相互にはっきり分かれる2つの地層がある」と指摘しています。
  ナチズムには、相互にはっきり分かれる2つの地層がある。1つは、ユダヤ人その他に対する人種差別と政治的迫害の層であり、もう1つは強制不妊手術や安楽死をもたらした優生政策の層である。

「民族」に奉仕する医療体制

第一次世界大戦の敗北による傷からようやく立ち直りかけていたワイマール共和国は、1929年に起こった世界恐慌により、再び大打撃を受けます。財政が逼迫する中、人種衛生学会は「低価値者に対する自発的な不妊手術を、可能にすべきだ」とする指針を採択しました。先に紹介した市野川の著作から、プレッツの『人種――社会生物学論叢』について書かれた部分を引用してみましょう。
  「治る見込みもない遺伝子欠陥者のために割かれる支出は、もはや遺伝的に健康な家系の者には総じて役立たないものとなっている。それゆえ、優生学に定位した福祉は今や必要不可欠なのである。屈強な者の労働が産みだす財は、何よりもまず予防的配慮に役立てられなければならない」(『優生学と人間社会』害2章「ドイツ――優生学はナチズムか?」)
福祉国家化が進む中、いよいよ「福祉切り捨て論」が優勢になろうとしていたのです。制定には至りませんでしたが、1932年にはこれまで慎重な姿勢を示していたプロシャで、州議会の決議に基づき断種法案が作成されました。その第1条では、「遺伝病者は、確実にその子孫が重度の身体的・精神的遺伝疾患に罹ることが予想されるときに断種対象となる」と定めています。

ナチス・ドイツ現代日本の類似点

先述したように、ナチスの打ち出す政策が支持された背景には、第一次世界大戦による荒廃と困窮がありました。第一次世界大戦が勃発した翌年の1915年から、休戦協定が成立した18年までのドイツの餓死者は、76万2000人以上と言われています。これには兵士の数は含まれていません。
この時期に発生した飢饉は、飼料用として主に用いられてきたルタバガ(カブラ)を食べて飢えをしのいだことから「カブラの冬」と呼ばれています。それほどまでに、ドイツ市民の生活は逼迫していました。「ドイツ市民よ、これは皆さんが払う金なのだ」というナチスの呼びかけが効果を発揮した背景には、前政権から続くこうした状況があったのです。
翻って、現代日本の状況はどうでしょうか。相模原障害者施設殺傷事件の植松死刑囚は、「重度障害者のために莫大な税金が支出されている」と述べていました。また、現代社会において、終末期医療の縮小を求める声は、常に一定以上の支持を集めています。
「役に立つ」「役に立たない」の線引きは、その時代の状況によって極めて恣意的に、そして差別的になされてきました。

今は「役に立たない人間」の排斥を叫んでいる人でさえ、いずれ「役に立たない側の人間」として切り捨てられてしまうかもしれません。現代の優生学は、いつ誰に向かってくるかわからない刃となって、社会全体を脅かしているのです。