【紹介】神谷美恵子『生きがいについて』 2018年5月 100分 de 名著 (若松 英輔)
長島愛生園歴史館 (ハンセン病療養所)
インターナショナル新書 「現代優生学」の脅威 紀伊國屋書店
池田清彦(著)
優生学はかたちを変え、何度でも甦る。
一度は封印されたはずの「優生学」が奇妙な新しさをまとい、いま再浮上している。優生学とは「優秀な人間の血統のみを次世代に継承し、劣った者たちの血筋は断絶させるか、もしくは有益な人間になるよう改良する」ことを目的とした科学的社会改良運動である。
かつて人類は、優生学的な思想により「障害者や高齢者、移民やユダヤ人といったマイノリティへの差別や排除、抹殺」を繰り返してきた。日本では「ハンセン病患者の隔離政策」がその典型である。
現代的な優生学の広がりに大きく寄与しているのが「科学の進歩」や「経済の低迷」、そして「新型コロナウイルスの感染拡大」だ。新型コロナウイルス感染症の本当の恐ろしさは、病気が不安を呼び、不安が差別を生み、差別が受診をためらわせることで病気の拡散につながっているところにある。
今こそ優生学の歴史を検証し、現代的な脅威を論じる。
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第4章 日本人と優生学 より
日本における「進化論の父」
加藤弘之(東京大学初代総理、1836~1916年)と並んで戦前の社会進化論を代表する人物としては、動物学者の丘浅次郎(1868~1944年)が挙げられます。進化論の啓蒙活動を熱心に行った丘は、1904年に日本で初めて大衆向けに書かれた進化論の解説書である『進化論講話』を著しました。『進化論講話』は異例のベストセラーとなり、文明批評家の土田杏林は丘のことを、日本における「進化論の父」と評しています。
又社会の制度の如きも、人種の維持繁栄に有功な所行をなしたものは何処までも尊重し、之に有害な所行をなしたものは出来るだけ厳しい制裁を加へ、従来人為的に自然淘汰の働きを止めて居た如き制度は全く廃して、知力・健康ともに優れたものは必ず勝ち、劣つたものは必ず負ける様な仕組に改めなければならぬ。
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この丘をどう評価するかは非常に難しく、一筋縄ではいきません。引用した部分だけを読むと、「劣つたもの」は滅ぶのみと主張しているようにも見えますが、別の章では「恰(あたか)も風月堂の隣りに駄菓子屋の店があつても、相手が違ふ故、両方とも相応に売れて相妨げぬ様なものである」と、共存を唱えているようにも読めるからです。
丘はドイツ留学中にエスペラント語(1887年にロシア領ポーランドのユダヤ人眼科医ザメンホフによって考案された国際補助語)を知り、日本人初のエスペランティストとなりました。進取の気性に富んだ人物であったことは間違いありませんが、進化論に関して言えば、ダーウィン進化論の枠組みを大きく逸脱し、社会ダーウィニズムに傾斜していったことは確かです。根拠なく敷衍したばかりに、本来の進化論とは異なる思想に達しました。
産めよ殖やせよ国のため
加藤や丘のこうした考え方は、消極的優生学に含まれます。彼らの思想は、アカデミズムの内部や一般読者の間では一定の支持を得ましたが、戦中の日本はナチスのような断種政策よりも「産めよ殖やせよ国のため」と戦力を増強する方向に国策が傾斜していたので、一部の者たちの考えに留まっていました。
ちなみに、この「産めよ殖やせよ国のため」というスローガンは、厚生省予防局民族衛生研究会が1939年につくった「結婚十訓」の1つです。結婚十訓は、ナチスの「配偶者選択十ヵ条」を参考にしてつくられました。
ハンセン病患者の隔離・断種政策
優生学的な断種手術、中絶、避妊を合法化した法律である優生保護法は、1996年に「不良な子孫の出生防止」条項が削除された「母体保護法」に改正されるまで存続しました。2019年の安倍首相(当時)のおわび談話を経て、2020年になってようやく、国会が立法経緯や被害実態の調査に着手しています。
この「不良な子孫の出生防止」の最たるものが、ハンセン病患者の隔離・断種政策でした。ここで、あらためてハンセン病について説明しておきましょう。
かつて「らい病」と呼ばれたハンセン病は、細菌の一種である「らい菌」の感染によって起こる慢性細菌感染症です。現在の病名は、1873年にらい菌を発見したノルウエーの医師アルマウェル・ハンセンに由来します。現在の患者は70歳以上がほとんどで、その原因も乳幼児期の感染によるものです。らい菌に感染すると、皮膚や末梢神経が侵され、進行すると顔面や手足の変形・欠損といった後遺症が残ります。
ハンセン病は、古くから世界各地に存在する病気でした。多くの古文書にハンセン病を思わせる記述が残されており、日本でも奈良時代に編まれた『日本書紀』に、ハンセン病を指す「白癩(びゃくらい)」という記述があります。
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ハンセン病は皮膚や顔に目立った特徴が表れることから、奥座敷や離れ小屋での生活を余儀なくされる人や、家族から離れて放浪する「放浪癩」と呼ばれる人が数多く存在しました。放浪を余儀なくされた患者たちが集落を形成し、物乞いなどをしていたという礼も記録に残っています。
歴史を冷静に見つめる
新型コロナウイルスの感染拡大が一向に収まる気配を見せませんが、感染者やその家族、さらに医療・介護・小売業といったエッセンシャルワーカー(生活維持に欠かせない職業)らへの差別やいじめ、誹謗中傷などを見ると、ハンセン病患者を強制隔離した歴史を思い起こさせます。
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1929年に始まった無癩県運動では、住民による密告を国は奨励しましたが、新型コロナウイルスによる自粛が続いていた時期にもまさに同じようなことが行われました。県域をまたいで移動する人たちや、休業要請に応じない店舗への市民同士の監視の目が厳しくなったのは記憶に新しいと思います。
ハンセン病に関しては、治療薬である「プロミン」の有効性が、アメリカでは1943年に確認されていました。にもかかわらず、「ハンセン病は恐ろしい病気だ」という考えが社会に拡がると、患者のみならず家族まで差別されてしまう。差別や偏見、誹謗中傷を防ぐためには、正しい知識を身につけることが何より重要です。