じじぃの「科学・地球_290_現代優生学・人種優越説」

Eugenics Movement in America

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5WOlv5nik3w

Francis Galton

Francis Galton pioneered scientific advances in many fields - but also founded the racist pseudoscience of eugenics

January 15, 2021 the conversation
A popular pseudoscience was leaving its mark on American culture a century ago in everything from massive reductions in quotas for immigration to the U.S., to thousands of “fitter family” contests at county fairs, to a growing acceptance of birth control by those who thought it could curtail the fertility of “undesirables.”
These are just a few examples of the influence of eugenics in the early 20th century. The idea of scientist Francis Galton, eugenics suggested that negative traits could be bred out of the human species by discouraging reproduction by those considered inferior. It laid the groundwork for forced sterilization laws in the U.S. and Nazi “racial hygiene” programs and the Holocaust.
https://theconversation.com/francis-galton-pioneered-scientific-advances-in-many-fields-but-also-founded-the-racist-pseudoscience-of-eugenics-144465

『「現代優生学」の脅威』

池田清彦/著 インターナショナル新書 2021年発行

第2章 優生学はどこから来たのか より

近代優生学の祖、ゴルドン

古代から近世にかけ、社会的あるいは宗教的に肯定されていた優生学的な思想は、近代に入ると「科学」によって後押しされるようになりました。その直接の祖を挙げるとすれば、イギリスの遺伝学者で統計学者のフランシス・ゴルドン(1822~1911)になります。ゴルドンは、進化論を提供したイギリスの博物学チャールズ・ダーウィン(1809~82年)の従弟にあたる人物です。ダーウィンの進化論の影響を受けたゴルドンは、心的遺伝への興味から出発し、やがて人間の才能が遺伝によって受け継がれるという考えに至りました。
ゴルドンギリシャ語で「良い」を意味する「eu」と、「種の」意味する「genics」を組み合わせた「eugenics(優生学)」という言葉を初めて使ったことでも知られています(『人間の能力とその発達の研究』 1883年)。「知的能力には遺伝が大きく影響する」という彼の主張は、社会的介入により人間の遺伝形質の改良を提唱する優生学の発端となりました。

アメリカの優生運動

この時代、優生学ゴルドンのみならず、優れた遺伝学者や統計学者によって研究され、先端科学として一大潮流を形成していました。

優生学を、社会実験の枠すらも逸脱した大規模な実践に移したのは、ご存じの通りナチス・ドイツです。しかし、ナチスに先駆けて優生学に基づいた政策が初めて大規模に実施された国は、じつは19世紀末から20世紀初頭のアメリカでした。

ナチスが政権を獲得した直後に制定した「遺伝病子孫予防法」は、カリフォルニア州の断種法を基にしていたのです。
アメリカで優生運動が盛り上がっていた当時の状況は、現代のアメリカと非常によく似ていました。黒人やヒスパニックが安い賃金で働くことから、マジョリティであるアングロサクソンの仕事が奪われ、失業する白人が増えていたのです。白人たちは、雇用状況や劣悪な待遇の改善を訴えました。労働争議の頻発に手を焼いた資本家・為政者は、黒人やヒスパニック、さらに障害者といった人びとを劣等人間と決めつけることにより、下層白人の不満をマイノリティに向けようとしたのです。こうした状況が、アメリカで優生政策が支持された大きな理由でした。

改良と断種

アメリカで最初に強制的な断種法が制定されたのは、1907年のインディアナ州です。性犯罪者や知的障害者を対象おしたインディアナ州の断種法を皮切りに、その後てんかん患者や知的障害者の結婚を制限する法律や断種法が、多くの州で成立していきました。
    ・
アメリカにおける断種法は、1913年に最初のピークを迎えます。最終的に32州で成立し、1936年までに2万人を超える男女が断種手術を受けました。最も多く断種が行われたカリフォルニア州では、1万1484人に断種手術が施されています。(『優生学と人間社会』第1章「イギリスからアメリカへ――優生学の起源」)。
なぜカリフォルニア州で、最も多くの断種手術が行われたのか。理由の1つとしては、ゴールドラッシュ以降の「外国人移民の増加」が挙げられます。当時のカリフォルニア州には移民が多く住んでいて、仕事を奪われた白人による労働争議が頻発していました。また、犯罪発生率も高く、そうした治安悪化の責任を移民に押し付けるような考えが広まっていたのです。やがて「移民はアングロサクソンよりも劣った人種である」という思想が生まれ、アングロサクソン優越説、白人優越説が徐々にアメリカ社会で強まっていきました。
そうした思想の根拠とされたのが、19世紀のヨーロッパ、特にイギリスで流行した「頭蓋計測学(骨相学)」です。当時のイギリス人は、アイルランド人やアフリカ系黒人を劣等人種と見下していました。そうしたかれらへの差別を正当化するものとして、「頭蓋骨の形状で、知能の差や犯罪性向などが測れる」という頭蓋計測学を利用したのです。この研究はナチスもまた、のちのアーリア人と非アーリア人を区別するための根拠として利用しています。