TIME 「King Me.」
The Story Behind TIME's Trump 'King Me' Cover
JUNE 7, 2018 TIME
https://time.com/5303844/donald-trump-king-cover/
白人ナショナリズムの位相 より
白人ナショナリズムの起源
米国における白人ナショナリズムの起源をどこに求めるか。見方によっては、先住民(インディアン)の制圧を支えた論理――先住民は生物学的かつ文化的に自分たち(欧州出身の白人)より下等であり、自分たちの支配下に入ることが先住民にとっても幸福であるという優越主義的な発想――そのものが白人ナショナリズムの発露とも言える。その場合、起源は米国建国以前のイギリス植民地時代にまで遡ることになる。
この優越主義的な眼差しは今日も消えてはいない。
例えば、2019年7月にトランプ大統領が非白人の民主党女性新人議員の4人を念頭に「米国にいることが幸せではなく、つねに不満ばかり言っているのなら、とても単純なことで、この国を去ればいい」とツィートし、物議を醸したことは第1章で記した通りである。その際、トランプ氏は「(彼女たちが)世界の他のどこよりも最も酷く腐敗し、無能で、完全に酷(ひど)いことになっている政府(そもそも政府が機能していればの話だが)の国からもともと来たのに、それが今や、世界で最も偉大で偉大で最強のこの合衆国の人びとに、この国の政府をああしろ、こうしろと大声で罵倒しているなんて、実に興味深い」とも述べている。
この発言には「移民は米国にいられることにひたすら感謝し、大人しく服従すべきだ」という優越主義の残滓が色濃く滲み出ている。米国例外主義(米国を「米国の縮図」と特別視する発想)や愛国心とも絡む複雑な言説ではあるが、トランプ氏が白人で、言及した相手が非白人だったこと、それまでもトランプ氏には人種差別的な言動が多かったことから、この発言は白人ナショナリズムと結びつけて論じられた。
と同時に、「嫌なら米国から出て行け」という発想は、自らを社会の所有者のごとく捕え、新参者を排除しようとする土着主義(ネイティビズム)の典型でもある。
クー・クラックス・クラン
しかし、南北戦争(1861~65年)を経て、白人ナショナリズムはより過激な形で米社会に再出現する。
最も有名なのは「クー・クラックス・クラン」(KKK)だろう。南北戦争直後の1865年末に旧南部連合の有力者を中心にテネシー州ナッシュビル近郊の田舎町プラスキで結成された。この第1期のKKKは、自由黒人(解放奴隷)や南部再建を主導した北部出身の急進派を狙ったテロ集団に近かった。しかし、人種隔離に基づく黒人差別を認める制度(ジム・クロウ法)が南部諸州で成立し始めたこと、連邦政府による取り締まり――連邦軍の派遣や「1871年KKK法」の制定など――が強化されたことなどを背景に、70年代半ばには活動は終息する。
ところが、1915年にジョージア州アトランタ郊外のストーンマウンテンで復活した第2期のKKKは、南部や農村部のみならず、北部や都市部、そして女性にも広がりを持つ全国的な政治組織となり、最盛期の20年代半ばには300万~500万人の会員がいたとされる。
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日本への原爆投下を命じたことで知られるハリー・トルーマン大統領や連邦最高判事を務めたヒューゴ・ブラックも一時KKKのメンバーだった(Linda Gordon, The Second Coming of the Kkk,2017)。
しかし、幹部の性的ないし金銭的なスキャンダルなどが相次ぎ、第2期のKKKの求心力はマンシーのみならず全国的に1920年末までに急減した。
第2期のKKKの急速かつ広汎な支持拡大の背景の1つには、D・W・グリフィス監督による1915年公開の無声映画『国民の創生』の興業的成功も挙げられる。黒人を「悪」、KKKを「正義」として描いたこの作品は、犯罪とは「黒人が白人に対して行う」(black-on-white)ものであるとのイメージを流布し、KKKの復活を助長したとの批判が絶えない。南軍を率いたリー将軍や南軍兵士の銅像、モニュメントの設置が急増したのもこの頃である。
この時期、白人による黒人の私刑(リンチ)数がピークに達したのも然り。ブルースの女王ビリー・ホリディの大ヒット曲「奇妙な果実」(Strange Fruit)は、木にぶら下がった黒人の死体を描写したもので、彼女が歌い始めた1939年当時も私刑は行なわれていた。