じじぃの「科学・芸術_819_大統領とハリウッド・『國民の創生』」

The Birth of a Nation (1915) (Film) [FULL]

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MQe5ShxM2DI

『大統領とハリウッド アメリカ政治と映画の百年』

村田晃嗣/著 中公新書 2019年発行

聳え立つリンカーン より

「映画の父」ことデヴィッド・ウォーク・グリフィスは、1875年にケンタッキーの北部に生まれた。リンカーン暗殺から10年後であり、リンカーンの出生地もケンタッキーであった。しかも、グリフィスの父は南軍の大佐として南北戦争に従事し、武名を馳せていた。10歳の時にこの父を亡くしたグリフィスは、苦労の末に地方劇団の巡業に参加した。そこで、彼は南北戦争を題材にした脚本を手がけた。もちろん、リンカーンが登場する。
やがて、1911年にネスター・フィルム社が最初のスタジオを設立したのを皮切りに、温暖で雨の少ないカリフォルニアのハリウッドが映画産業の拠点になった。まだ照明技術が十分でない時代に、この地の天候は映画撮影にとって大きな意味を持っていたのである。ここで、グリフィスは物語性の高い短編映画を量産するようになった。やがて、彼が映画の中でリンカーンのイメージ、さらには大統領のイメージを確立するのである。
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1914年の夏、この「映画の父」はトーマス・ディクソンの小説『クランズマン』(1905年)を原作に、ある映画の撮影に入った。クランズマンとは、南北戦争後に南部で結成された白人至上主義の秘密結社「クー・クラックス・クラン」(KKK)のメンバーという意味である。白装束と三角頭巾の不気味な姿は、誰もが知るところであろう。これはディクスンの考案であったという。実際には、19世紀のKKKは緋色(ひいろ)を基調にした衣装を用いたのである。白装束のほうが白人至上主義をイメージしやすし、白黒映画にとっても効果的であった。ハリエット・ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』は奴隷解放を呼びかけ、南北戦争の一因になったとされるが、『クランズマン』はそれへの反論に当たる。だが、さすがにKKKをそのまま映画の題名にすることに対しては、全米黒人地位向上協会(NAACP)からの抗議の声が上がった。そこで、南北戦争終結50周年に当たる翌15年に、『國民の創生』という題名で公開された。165分という本格的長編で、アメリカ映画史、否、世界の映画史にその名を刻む名作である。
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『國民の創生』は、南北戦争とその後の再建の時代を、北部のストーンマン家と南部のキャメロン家という2つの白人家族を軸に描いている。

そこでは、リンカーンも主要な登場人物になっている。リンカーンは負傷し捕虜になったキャメロン家の息子を寛大に釈放し、南部に厳罰を科そうとするストーンマンの主張を退ける。やがて、リンカーンが暗殺されると、ストーンマンは邪悪な黒人勢力と結託して、占領下の南部で非道のかぎりを尽くす。そこに、南部白人の名誉を守るためにKKKが立ち上がる。こうして、南部は秩序を回復し、キャメロン家の息子とストーンマン家の娘、キャメロン家の娘とストーンマン家の息子も結ばれて、アメリカは白人を中心に1つの国民として団結する。だから、『國民の創生』なのである。しかも、白人の俳優たちが顔を黒く塗って黒人を演じているのだから、二重に差別的であった。白人俳優が「愚鈍な」黒人を演じるのは、19世紀中ばに流行したミンストレル・ショーの伝統を受け継いだものである。
南北戦争は62万人の戦死者を出した。これは当時の人口の2%に相当し、アメリカ史上最大の戦死者数である。すべてのアメリカ人にとって、この戦争は強烈な共通の記憶となった。