じじぃの「歴史・思想_387_白人ナショナリズム・反ユダヤ主義」

Trial of Henry Ford Trailer

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2pgV0ehidyo

Henry Ford’s Anti-Semitism

Season 2 - Episode 01: Henry Ford’s Anti-Semitism

FEBRUARY 10, 2019 The Detroit History Podcast
Henry Ford’s Dearborn Independent newspaper published a series of anti-Semitic articles in the 1920s.
They gained wide traction, were translated into several languages and gathered together in a four-volume series, The International Jew.
https://detroithistorypodcast.com/podcast/henry-ford-anti-semitism/

『白人ナショナリズム-アメリカを揺るがす「文化的反動」』

渡辺靖 中公新書 2020年発行

白人ナショナリズムをめぐる論争 より

遺伝学の陥屏

遺伝(自然、生物)と環境(文化、社会)のどちらが個人や集団により大きな影響力を終始ているかは議論の絶えないテーマであるが、少なくとも、科学と人種の関係を論ずる際には以下の点に留意する必要があろう。
・差異の基準そのものが多数派や有力者の価値観を反映していないか。
・多数派や有力者が上位にくるようにデータを収集、解釈していないか。
・一見、生物学的に見える差異も、実は社会的、歴史的に育まれたものではないか。
・分析に用いるデータセットアルゴリズムに隔たりはないか。
例えば、1990年代以降、米国では国立衛生研究所(NIH)などが中心となって世界のゲノム研究をリードしてきた。その際、科学としての客観性を担保すべく、サンプルの多様性を重視し、「非白人」を積極的に臨床実験に加える方針を打ち出したところ、「白人か否か」という発想そのものが、非科学的で時代錯誤であるとの批判が湧き上がった。多様性を重んじようとする姿勢が善意に基づいていたとしても、調査そのものの前提が歪んでいれば、それは逆説的な結果をもたらしかねない。

反ユダヤ主義

今回、白人ナショナリストの遺伝学へのこだわりとともに、もう1つ驚いたのはその反ユダヤ主義の強さだ。SPLC(南部貧困法律センター)が「ホロコースト否定系」や「ネイナチ系」と分類する団体はもちろん、程度の差こそあれ、他の多くの団体でも反ユダヤ主義は広く共有されている。その点では、テイラー(「アメリカン・ルネサンス」編集長)やジョンソン(「米国自由党」代表、敬虔なモルモン教徒)などは例外である。「ユナイト・ザ・ライト」の集会では、お前たちを俺たちの代わりにはさせない」(”You will not replace us.”)というスローガンの”You”を”Jews”(ユダヤ人)に置き換えながら、あるいはナチスのスローガン「ジークハィル」(Sieg Heil'「勝利万歳」の意)を連呼しながら、デモ行進する様子が注目を集めた。
彼らによれば、グローバリズムを牽引しているのはユダヤ人であり、国際的な金融機関やメディアなどを支配し、コスモポリタンな世界観(多文化主義や文化的マルクス主義など)を流布することで、白人の圧殺を企図しているという。
米国では宗教的な理由からユダヤ人への差別は建国以前、すなわち植民地時代から存在していたが、政治的な色合いが濃くなったのはロシア革命(1917年)以降である。ユダヤ人と共産主義(さらには国際主義)を結びつけ、米国を第一次世界大戦へと駆り立てたのはユダヤ人であるとの見方が流布するようになった。
例えば、自動車王へんりー・フォードは、傘下の『ディアボーン・インディペンデント』紙に掲載された反ユダヤ的な記事を集め、1920年から22年にかけて全4巻の『国際ユダヤ人』(The Internationarl Jew)を出版、ドイツ語をはじめ、16ヵ国語に翻訳された。記事の多くは1903年にロシアで出版された『シオン賢者の議定書』――ユダヤ人指導者による世界支配の謀議録とされるが、偽書であることが繰り返し証明されている――を土台にしたものだった。フォードは第一次世界大戦のみならず、南北戦争エイブラハム・リンカーン大統領暗殺もユダヤ人の仕業だと公言していた。ユダヤ系の人権団体「名誉毀損防止同盟」(ADL、1913年設立)などの抗議を受け、『ディアボーン・インディペンデント』紙を廃刊にし、それまでの言動を撤回・謝罪したのは27年になってからだった。
その後も、1930年代にはカトリック教会のチャールズ・カフリン神父がラジオを通してユダヤ資本家と共産主義者の結託などを糾弾する説教を流布。「ラジオ司祭」(Radio Priest)の異名を取り、中央政界への影響力を有するまでに至った。また40年には「米国第1委員会」が設立されたが、その中心人物であるチャールズ・リンドバーグらは反共・反ユダヤの姿勢を鮮明に打ち出す一方で、ドイツに対しては中立的・宥和的だった。
冷戦が終結した今日でも、「共産主義」や「グローバリズム」などの言葉が「ユダヤ人」の隠語として用いられる場面は少なくない。また、米国の場合、反ユダヤ主義は白人のみならず、黒人やイスラム系の間にも存在する。