Stephen K. Bannon is arrested and charged with fraud by federal prosecutors
Shadow President Steve Bannon
Shadow President Steve Bannon
February 15, 2017 The Monkey Buddha
http://monkeybuddha.blogspot.com/2017/02/shadow-president-steve-bannon.html
デヴィッド・デュークとオルトライト より
デヴィッド・デュークとの会話
米国、いや世界の白人ナショナリスト団体の中で最も有名なのはおそらく「クー・クラックス・クラン」(KKK)であろう。とりわけ、かつてKKKの有力団体の最高幹部を務めたデヴィッド・デュークは知名度が高い。白三角頭巾と白マント、火の十字架をかざす儀式、黒人などへのリンチ、白人秘密結社……。KKKにはつねに不気味さがつきまとう。その最高幹部と言えばほとんど凶悪組織の大ボスのようなイメージだろうか。1970年代のコロラド州コロラド・スプリングのKKK系団体に潜入捜査した黒人とユダヤ人の警察官の実話をスパイク・リー監督が映画化した『ブラック・クランズマン』(2018年公開、アカデミー脚色賞受賞)では、捜査官の完璧な成りすましに騙されるデュークの役を俳優トファー・グレースが演じて話題になった。
KKKから政治家へ
デュークの軌跡を辿ることは今日の白人ナショナリズムの位相を理解するうえでも有益だろう。2016年の大統領選や翌年のシャーロックビルでの衝突事件で注目を集めるようになったオルトライト(新右翼)の原型がデュークに求めることもできるからだ。
デュークは1950年に米南中部オクラホマ州タルサで生まれた。シェル石油の社員だった父親の転勤で、家族とともにハーグ(オランダ)で過ごした後、55年に南部ルイジアナ州ニューオーリンズに移り住んだ。母親はアルコール依存症で、黒人の家政婦が1人いたという。デュークは現在もニューオーリンズ近郊で暮らしている。
14歳だった1964年には極右団体「米国市民評議会」(CCA)の会合に参加、3年後にはKKKに入会した。68年にルイジアナ州立大学に入学したが、ナチスの軍服姿でキャンパスを闊歩(かっぽ)し、弁舌を振るった。70年には「白人青年同盟」(WYA)という学生団体を設立。同団体は「国家社会主義白人党」(NSWPP)の下部組織で、NSWPPの前身は「米国ナチ党」(ANP)だった。23歳の時に米国の3大ネットワークの1つ、NBCテレビでトム・スナイダーが司会を務めた人気インタビュー番組「トゥモロー・ショウ」に出演している。
大学を卒業した翌年の1975年、デュークは「クー・クラックス・クランの騎士」(KKKK)を設立し、最高幹部の称号である「グランド・ウィザード」(Grand Wizard'「大魔術師」の意)を自らに用いた。日本ではデュークがKKK全体の最高幹部であるかのような記述が散見されるが、あくまで「KKKの有力団体」の代表である。KKKに連なる(ないし連なろうとする)団体は多く存在するが、それらを高次で統括する団体や組織、個人は存在しない。
旧世代の類似点と相違点
「オルトライト」(Alt-Right)は「もう1つの右翼」(alternative right)の略語だが、主張内容そのものは旧世代の白人ナショナリズムと大きく異なるわけではない。たとえばスペンサーの場合、「白人の帝国」(white race empire)や「白人のシオニズム」(white Zionism)を唱えるなどレトリックは挑発的だが、「白人のエスノステート」に象徴される白人分離主義を指向している点は変わらない。米国ナチ党の創始者ジョージ・リンカーン・ロックウェルを賞賛している点、欧州やロシアの極右団体とも親しい点、ネオコンや介入主義に否定的な点、フェミズムに批判的な点、日本社会の同質性を高く評価している点なども然(しか)りだ。
スティーブン・バノン
それだけではない。デュークの先駆性は自ら何度も公職に立候補し、政治的影響力を高めようとした点にもある。そのほとんどは泡沫候補に終わったが、ルイジアナ州議会の下院選に当選した1989年を中心に、80年代後半からの数年間は「政治家」として存在感を放った。若い世代のオルトライトには容易に真似できないことだ。スペンサーが2017年に行なわれたモンタナ州の連邦下院補選への立候補を示唆したものの、すぐに断念している。
とはいえ、それはオルトライトが政治的影響力を有しないことを必ずしも意味しない。オルトライト自体、トランプ氏が2016年の大統領選で擡頭するにつれ、オンラインから現実の世界へと活動の場を広げていった。そして、スティーブン・バノンがトランプ陣営の選対本部長に任命されるや、大いに活気付いた。右派系オンラインメディア「ブライトバード・ニュース・ネットワーク」(BNN)を引き継いだバノンは、デジタル・ネイティブの若い世代への支持拡大を企図し、イギリス出身の若手論客ヤノブルスらを重用し、リベラル派はもちろん、保守派や共和党の主流派をも挑発した。『マザー・ジョーンズ』誌(16年8月22日付)のインタビューでバノンは「私たちはオルトライトのプラットフォームです」と明言している。
そして、大統領となったトランプ氏がバノンをホワイトハウスの首席戦略官に任命するや、デュークやテイラー、スペンサーなど著名な白人ナショナリストが次々と歓迎の意を表した。移民政策から通商政策、高官人事に至るまで、政権発足当初、バノンが「影の大統領」と称されるほど強大な力を有していたことは日本でも広く報じられた。