【ゆっくり解説】命に優劣をつけた悪魔の学問-優生学-
「現代優生学」の脅威 (インターナショナル新書) 2021/4/7 Amazon
池田清彦(著)
生物学者で、テレビのコメンテーターとしても人気の著者が、優生学の歴史から現代的な広がり方についてまでを論じています。
正直、SNSが普及したこの時代に、優生学や優生思想的な考えを表明する人などいないと思っていました。そうした差別的な思想を表明すればあっという間に炎上して、大バッシングされるからです。ですが、本書を読んでその考えが間違っていたことに気づきました。
著者が言うように、「優生学は何度でも甦り」、さらに「AIの発達やゲノム編集、遺伝子の解析など、科学技術の進歩により、現代優生学は旧来の優生学から離れて、生産性のない人間を直接淘汰するという、より過激なほうへと向かっている」のかもしれません。
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訃報を機に読んだ、渡部昇一の優生学
2017年04月20日 mixiユーザーの日記
渡部昇一と大西巨人の間で生じた優生論争について、これまで詳しく調べたことがなかったのですが、渡部氏の訃報を機に、問題のコラム「神聖な義務」を読みました。で、一昨夜、入浴中にあれこれ考えてしまったので、せっかくだから考えたことをメモしておきます。
渡部昇一が言ってること。
(1) 劣悪な遺伝子があると自覚した人は、犠牲と克己の精神によって「自発的に」その遺伝子を残さないようにすべき。
(2) 国家や法律が強制するべきではない。劣悪遺伝子を持っていると気付いた人が、それを天命として受けとり、自ら進んでやることは聖者に近づく行為であり、高い道徳的・人間的価値がある。
(3) 「既に」生まれた生命の尊さは、常人と変わらない。しかし「未然に」避けうるものは避けるようにするのが、社会に対する神聖な義務である。
https://open.mixi.jp/user/946351/diary/1959924348
第1章 甦る優生学 より
大量殺人犯が信じた「革命」
相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の入所者ら45人を殺傷したとして殺人罪などに問われた植松聖被告(現・死刑囚、第1章のみ「被告」と表記)の裁判員裁判が、2020年1月8日に始まりました。初公判では傍聴券抽選のための整理券を求めて、多くの人が長い列をつくり、倍率はおよそ75倍に達したと言われています。
植松被告は初公判のときから起訴事実を認めていたので、裁判では「被告では責任能力があるかどうか」が争点となりました。弁護側が「大麻の乱用により、犯行時は心神喪失の状態にあった」と無罪を訴える一方、検察側の主張は「事件は計画的で、植松被告には責任能力がある」というものでした。
罪状認否を終え、自分の席へ戻ろうとした植松被告に、弁護人が追加で発言を求めたところ、ある事件が起こりました。「皆さまに深くおわびいたします」と証言台で謝罪の言葉を口にしたあと、植松被告が右手の小指を自ら噛みちぎろうとしたのです。法廷内は騒然となり、公判は一時休廷。午後の審理は被告人不在のまま再開されました。なお翌朝、植松被告は拘置所で自身の右手小指を第1関節から噛みちぎっています。
植松被告に対する初めての被告人質問が行なわれたのは、1月24日の第8回公判でした。その公判で植松被告は、弁護人の方へ前のめりになりながら熱のこもった声で、「意思疎通の取れない人間は安楽死させるべきだ」「重度障害者は必要ない」「国からお金を支給されて生活しているので、守ってはいけないと思う」などと述べました。公判以前に彼が示していた障害者への差別意識や生命観・社会観が、あらためて強調されたかたちです。
マルティン・ニーメラーの言葉
消極的優生学にせよ、積極的優生学にせよ。日本でそうした考え(優生政策)が表立って噴出している理由としては、深刻な財政難や経済の低迷がその背景にあるのは間違いありません。何とも心寒い状況です。
マジョリティの側にいる人は、まさか自分が排除される側になるとは思っていないのでしょうが、次に排除されるのが自分でない保証は、どこにもありません。そのことを示唆する有名な告白がありますので引用してみましよう。ドイツのルター派牧師で、反ナチス運動組織告白教会の指導者だったマルティン・ニーメラーの言葉です。戦後日本を代表する知識人で政治学者の丸山眞男も、自ら翻訳し著書で取り上げています。
ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。(丸山眞男『現代政治の思想と行動』 未来社)
ナチスが共産主義や労働組合を攻撃し始めた時、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、自分がいざ迫害対象になったときに声を上げてれる人は、社会のどこにもいなかった。この告白は、そうしたことを後世に伝えており、ニーメラーはこの体験から、<端初に抵抗せよ><結末を考えよ>という2つの原則を引き出しています。
すべてが少しずつ変わっているときには、「社会が恐ろしい方向に進んでいる」ことに誰も気がつきません。同じような悲劇を繰り返さないためにも、「優生学によって人類がどれほどの過ちを犯してきたのか」という歴史を、我々はもっと深く知る必要があるでしょう。
この章の最後に、日本における優生学論争の事例で最も有名な「神聖な義務」について、振り返っておきます。
「神聖な義務」論争
消極的優生学の多くは、「役に立たない人間」を減らすのと同時に、その形質や能力を次世代に残さないという「断種」を志向してきました。その典型ともいえる異例の1つが、英語学者で上智大学名誉教授の故・渡部昇一が、1980年に『週刊文春』誌上で発表したエッセイ「神聖な義務」です。
このエッセイで渡部は、『神聖喜劇』などで知られる作家の大西巨人が、「生活保護を受けつつ、血友病の子ども2人を育てていて、次男が手術したときには1ヵ月で1500万円の医療扶助を受けていた」という『週刊新潮』1980年9月18日号の記事を取り上げています。血友病が遺伝性の病気であることを知りつつ、第2子までもうけている大西のことを、渡部は<未然に避けうるものは避けるようにするのは、理性のある 人間としての社会に対する神聖な義務である>と批判しました。
国家が法律で異常者や劣悪者の断種を強制したり処置するのと、関係者、あるいは当人の意志でそれをやるのでは倫理的に天地の差がある。劣悪遺伝子を受けたと 気付いた人が、それを天命として受けとり、克己と犠牲の行為を自ら進んでやることは聖者に近づく行為で、高い道徳的・人間的価値があるのである。(『週刊文春』1980年10月2日号)
優生学が現代に甦りつつある
渡部は、ヒトラーのことを「非人道的な科学主義者」と批判していますが、「遺伝的に欠陥のある者たち」や「ジプシー」を「処理」したことの成果が西ドイツの戦後復興の源泉だったと評価している点で、抱いていた思想に大きな違いはありません。渡部の主張は『朝日新聞』などで批判的に報じられ、大西巨人本人だけでなく、脳性麻痺者による障害者もよる障害者運動団体「青い芝の会」の抗議行動をも引き起こし、社会的に大きな反響を呼びました。
こうした事例からもわかるように、かつての日本において優生学な思想は、決して極端な主張と見なされていませんでした。それは政策としてのハンセン病患者の隔離と断種が、近年まで続いていたことを見ても明らかです。「神聖な義務」論争は、優生学とナチスの思想が同一視される契機となり、これ以降、優生学的な思想は論壇の表舞台から姿を消しました。
しかし、そうした主張は、完全に途絶えたわけではありません。生産性や合理性を重視する新自由主義などと合流し、形を変えて現代に甦りつつあることを、相模原市の事件は示しています。