じじぃの「粗相し始めたわたし・君が去った後で!大人の流儀」

Older Dog

「やまゆり園事件」で植松被告に死刑判決、差別的主張による自説は曲げず

2020.3.16 ダイヤモンド・オンライン
神奈川県相模原市知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら45人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた元職員植松聖被告(30)の判決公判が16日、横浜地裁で開かれ、青沼潔裁判長は求刑通り死刑を言い渡した。
障害者に対する差別的な偏見が大量殺人の動機とされた過去に例を見ない事件。植松被告は最終意見陳述でも重度障害者への差別的な考えを主張した上で「どんな判決でも控訴しない」と自説を曲げなかった。
https://diamond.jp/articles/-/231826

『いろいろあった人へ 大人の流儀』

伊集院静/著 講談社 2018年発行

君が去った後で より

北国の短い夏の木洩れ陽の中でスヤスヤと昼寝をしていた仔犬が、今はあらゆる季節の移り行く風景を、ただじっと見つめている。
そっとうしろから近寄り、そのちいさな身体を抱き上げ、頬ずりをして言いたい。
――おまえが居てくれたお陰で、わたしたちはどんなに素晴らしい時間を持つことができたか……。
家人は、お兄ちゃんはこの夏はもう乗り切れないかもしれない、と言う。
それを彼女が明るく言うほど、彼女の胸の奥底にある不安と哀しみを感じる。
犬、猫(ワニでもいいが)ペットと暮らすというものはなかなか厳しいものである。
その第1は、彼らが人間と異なり、生きる生涯時間が速いということである。
お兄ちゃんは最初、この家に来るはずもなかった。なぜなら、我が家の縁の下に猫が仔猫を何匹か産み、その声と、たまたま外へ出た姿を家人が目にして、ミルクを与えはじめたことが、お兄ちゃんが来る原因だった。
家人は愛くるしい仔猫の表情を一目見て、ミルクをやるようになった。それが愉しみだった。ところが或る日、母猫と仔猫の皆が縁の下から消えた。
家人とお手伝いは縁の下まで潜った。
動物のすることだから、こちらにわかるはずがない。家人の落胆ぶりは目に余った。
誰が何の智恵をあたえたか、家人はペットショップに猫を身に行った。
そこで1匹のダイヤモンドのような瞳をした仔犬に出逢う。家人いわく。
――あれは運命だったのよ。
    ・
――まあいいか。
我が家は一変した。元々、人間に従順な犬種らしく、家中のあらゆる場所に犬の休憩所ができた。実際、気立ての良い犬だった。
どこへ出かけるにしても、アイス(天使という意味があるらしい)が中心で、それはそれで楽しいこともいくつもあった。
並の犬じゃないわ、と家人がおっしゃる。
そのアイスが老犬になり、時折、呼吸が切ないほど辛そうになる。
もう半年前から、家人は目覚める度にアイスの鼻のそばに手を伸ばし、息をしているかをたしかめると言う。それでも彼女は明るく振る舞い、大声で言う。
「アイス、頑張るのよ」
私と、東北一のバカのノボは、その1人と1匹のやりとりを見ながら顔を見合わせる。
あんなにちゃんとトイレができた子が粗相(そそう)をすると、申し訳なさそうに物陰に隠れる。家人は言う。
「いいの。もういいのよ」
それでもアイスは物陰から出て来ない。
躾とは生涯のものなのだろう。物陰で私に助けを求める目が、表情が切ない。
「おいで、おまえは十分に生きたんだから」

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どうでもいい、じじぃの日記。
2016年「津久井やまゆり園」で、入所者ら数十人を殺傷したとして元職員 植松聖被告の判決公判が3月16日に行われ死刑が言い渡された。
植松被告の少年時代の評判は、友だちもいて決して悪くはなかった。
「意思疎通の取れない重度障害者は生きる価値がない」
はどんなことを指すのだろうか。
障害者やお年寄りが「粗相」をしたときだろうか。
もしかしたら、入居者の中には、「ありがとう」とか言えない人がいたからなのだろうか。
それでもこんな理由で人を殺傷することは許されるものではない。
朝、トイレを我慢していたら、私も粗相をしてしまった。
トホホのホ。