じじぃの「どんな社会を望むか・無価値・抹殺したほうがよい?生きたかった」

相模原・障がい者施設殺傷事件 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=k0DCTa05YdU
殺さないでね

クローズアップ現代+ 「シリーズ障害者殺傷事件の真実 被告の手紙・遺族の声」 (追加) 2017年7月25日 NHK
【司会】武田真一鎌倉千秋 【ゲスト】森達也(映画監督)、熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター准教授)
「謎」に包まれていた事件の動機が独自取材で明らかに。1年前、相模原市の障害者施設で19人が殺害された障害者殺傷事件。
殺人などの罪で起訴された元職員の植松聖被告(27)が、手紙を通じた取材に対し、「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだ」と記すなど、今もゆがんだ考えを持ち続け、みずからを正当化する主張を続けていました。一方で、犠牲者や遺族への謝罪はありませんでした。
NHKは障害があるという理由で大勢が殺害された事件の深層に迫ろうと、先月から今月にかけて、横浜拘置支所に勾留されている植松被告本人と、4通の手紙のやり取りを行いました。
大学の友人、「聖がおかしくなっちゃってる。(事件の)1年前ぐらいですかね。言葉のキャッチボールもできない人が中にはいるって言っていて、すごく沸点が低くなったというか、すぐキレるようになった」
徐々に差別意識が強くなっていった植松被告。
手紙には「殺害に至るまでのきっかけ」が記されていました。それは事件のおよそ半年前のことだったと主張しています。
手紙の内容、「殺そうと考えたきっかけは、やまゆり園で見たテレビのニュースがはじまりです。ニュースでは、過激派組織ISの活動と、トランプ大統領の選挙演説が放送されました。世界には不幸な人たちがたくさんいる、トランプ大統領は真実を話していると思いました」
トランプ氏が繰り返していた過激な発言。捜査当局はこれを見ていた植松被告が自分の歪んだ考えを正当化したとみています。
手紙の内容、「深い考えなく、この人達を殺したらいいんじゃないですかね?と声にしました。一度しっかり考えてみれば、重度・重複障害者を肯定することはできませんでした」
その後、インターネットでさらに先鋭化していた可能性が浮かび上がってきました。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4013/index.html
『昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来』  ジャレド・ダイアモンド/著、倉骨彰/訳 日本経済新聞出版社 2013年発行
高齢者への対応――敬うか、遺棄するか、殺すか? より
これまで考察してきたように、高齢者が社会にとって有用かどうかについての評価の違いが、高齢者の世話をするか否かを左右する要因になっている。ところが、高齢者への対応の違いを左右する要因はもうひとつ存在しているのである。それは、価値観の違いである。つまり、その社会が高齢者を尊敬する社会なのか、あるいは軽蔑する社会なのかによっても、高齢者への対応は異なるのである。しかし、人間文化の他の領域と同じく、有用性が高いからといって敬意が払われるわけではない。有用性と評価の連関は緩やかなものである。高齢者の経済的な役割が同程度のふたつの社会を比べても、一方が他方よりも高齢者への尊敬が強かったりする。
高齢者に対して少なくともある程度の敬意を払う。これは人間の社会において広く実践されていることである。

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『生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの』 藤井克徳、池上洋通、石川満、井上英夫/著 大月書店 2016年発行
精神科医の立場から相模原事件をどう見るか 【執筆者】香山リカ精神科医立教大学現代心理学部教授) より
相模原市の「津久井やまゆり園」での事件に関して、精神科医として語ることができる(語るべき)ポイントは次の3点であろう。
(1)容疑者の精神病理やそれと犯行との関係について
(2)事件後の厚労省の「再発防止対策検討チーム」について
(3)この事件に象徴される社会病理について
以下、順に論じたい。
まず(1)について述べてみよう。容疑者は後述する衆議院議長への書状を手渡しに行った後、当時勤務していた津久井やまゆり園の延長と面談をおこなったが、その際、施設側の要請で出勤し待機していた警察官に「日本国の指示があれば(障害者を)大量抹殺できる」などとくりかえし発言したため、警察官通報によって相模原市が「緊急措置診察」の指示を出し、それに従って診察した医師が「躁病」との診断で「緊急措置入院」となっている。またその後、相模原市の職員が立ち会って2名の医師による「措置診察」がおこなわれ、1人の医師は「主たる精神障害を『大麻精神病』、従たる精神障害を『非社会性パーソナリティー障害』」と、もう1人は「主たる精神障害を『妄想性障害』、従たる精神障害を『薬物性精神障病性障害』と診察し、容疑者は措置入院となった。一般の人から見ると2人の医師の診断名の不一致が気になるところであろうが、「容疑者が精神障害者であり、入院させなければ精神障害のために他害のおそれがあると認める」という措置入院の用件については一致している。
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容疑者が入院した医療機関の医師は、いずれも衆議院議長宛てに書かれた書状は目にしていなかったとされるが、診察時に容疑者が口走った誇大的な発言を、ある医師は「躁病」と、ある医師は「妄想」と考え、最終的には大麻吸引により知覚が変容した結果の一時的なものと判断したのであろうか。
ただし、もし大麻がその人の思考や信念を持続的に歪曲し、妄想形成に至らしめなかったとしたら、容疑者の「障害者を大量に虐殺できる」といった発言は何に由来するのだろう。以下は論者の個人的な見解である。
この事件が起きた後、いくつかのメディアから、容疑者の精神状態に関する取材が論者のもとにもあった。が、論者は「これは精神医学の領域の話ではないと思う」と答え、診断名などを答えるのを避けた。なぜなら、衆議院議長への書状の全文を含めた報道をざっと見たところ、この容疑者に明らかな精神障害があるとは思えなかったからだ。「躁病」に出現する観念奔逸(ほんいつ)に基づく犯行なら、もっと計画性のない、まとまりを欠いたものとなり、入念な準備による侵入や19人もの入所者の殺害は不可能だろう。また容疑者が書いた書状には「妄想性障害」のような現実離れした妄想の核のようなものはない。さらに、容疑者が大麻を常用的に使用していたとしても、上に述べた理由により、あれだけの犯行につながるとは考えられない。
また、職員としての処遇に不満をもち、その恨みによる犯行ではないかという声もあったが、それも違うだろう。もしそうだとしたら、狙われるのは施設の管理者や職員であるはずだからだ。さらに、これを「無差別大量殺人事件」と表現したメディアもあったが、それは明らかに間違いだ。自暴自棄になった人間が起こすことの多い無差別殺人とは違い、今回は明らかに重症度の高い障害者のみを狙っている。
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そして、今回の犯行の予告ともいえる殺害計画が具体的につづられていた。もちろん、この書状のどこにも頷ける要素はなく、文体にもある種の高揚感が滲み出ているが、話題があちこちに飛び支離滅裂だったり、文法的に破綻したりしているわけではない。幻聴や瞑想など、総合失調症や妄想性障害を推測させる箇所もない。
つまり、この容疑者は「障害者は無価値、抹殺したほうがよい」という明確な意図をもち、犯行はそれに基づいて計画され遂行されたものと考えるべきだ。だとすると、容疑者はきわめて特殊な価値観をもってはいるが、それは精神疾患のためではなく、精神科医が治療をしたり論じたりするべき問題ではないのではないか、ということだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
高齢者をどう敬うか、遺棄するか、殺すか?
ジャレド・ダイアモンド著 『昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来』という本に、
「その社会が高齢者を尊敬する社会なのか、あるいは軽蔑する社会なのかによっても、高齢者への対応は異なるのである」
と、書かれていた。
高齢者と障害者は同じではないが、高齢になればなるほど障害者に近づいていく。
殺さないでね。