じじぃの「科学・芸術_394_脳死状態・パーソン論」

犯行前の本人動画入手「後悔していない」植松聖容疑者/2 津久井やまゆり園=知的障害者保護施設 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9kSkNMqUfnc
 脳死植物状態

臓器移植-いのちへの優しさとおもいやり- 熊本市ホームページ
脳死とは呼吸などを調節している脳幹といわれる部分も含めて脳全体の機能が停止して、元に戻らない状態をいいます。
脳死になると自力で呼吸をすることができません。人工呼吸器などの助けによって、しばらくは心臓を動かし続けることもできますが、やがては心臓も止まってしまいます。全死亡のうち、脳死になるのは1%未満です。
Q. 植物状態とどう違うの?
A. 植物状態は、意識はありませんが、呼吸などを調節する脳幹の機能が残っていて、自分で呼吸できることが多く、回復する可能性もあり、脳死とは全く違います。
https://www.city.kumamoto.jp/hpKiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=1643&class_set_id=3&class_id=571
高次脳機能障害――医療現場から社会をみる』 山口研一郎/著 岩波書店 2017年発行
これからの医療・福祉を考える より
容疑者は、犯行に至る5ヵ月前まで3年2ヵ月間、「やまゆり園」の職員(当初の4ヵ月非常勤、2013年4月からは常勤)として働いていた。元々教師を目指していた容疑者が福祉の道を選んだ動機として、人にかかわることが好きであった可能性が高かったと思われる。2014年12月からツイッターの書き込みを始めており、翌年10月まで続く。この間特に犯行の動機につながるような書き込みはみられない。2016年2月に再開された書き込みは、犯行声明とも受け取られるものになっており、その直後の衆議院議長への手紙に結びついていく。
福祉の世界へ希望を持って飛び込み、理想をかかげて日夜業務に備わった容疑者にとって、その思いと現実の世界にはかなりのギャップがあったに違いない。私たちも高次脳機能障害の人々に長年接しながら、リバビリヤ社会参加(就労)の過程で様々な壁に突き当たってきた。そのつど仲間と話し合い、会で報告し、行政との交渉を重ねてきた。すぐには実現しないものの、道は少しずつ拓かれつつある。
容疑者が置かれた立場はさらに厳しく、日々の過酷な労働には語り尽くせないものがあったはずである。彼は他の職員と悩みを分かち合うことではなく、働き始めて2年後の2014年秋頃、入所者への暴力というかたちで不満を表わし始めた。その後も、彼の態度はますますエスカレートし、矛先はいよいよ入所者である重度知的障害者へ向けられていった。「自分がこれほどつらい立場にあるのは、障害者の存在そのものが問題なのだ」との結論に達してしまったのだろう。学校のいじめ問題でも、疎外されそうな子は、自分より「弱い子」たちへ刃を向けてしまう。
植松容疑者が「生きているのは無意味」として差別意識を持つに至った相手は重度知的障害者とされている。一般に自力では、話したり食事をしたり移動したり日常的な生活動作が行えず、他者の介護に頼らざるを得ないとされる人たちである。特に、話ができないということを強く意識していたようだ。それは利用していた理容室の店長に対して2016年3月に、「意思疎通ができない重度の障碍者は生きていてもしょうがない」と語ったことから推測される。
そこには八木晃介氏、市野川容孝氏が論じておられるパーソン論が貫かれている。「パーソン論」そのものを容疑者が知り得ていたかどうかは定かではないが、脳死移植の推進過程において、脳=人の死と主張する人たちから必ず以下のような言葉が発せられていた。「人は自ら考えたり、話したり、行動したりできて始めて人としての価値があり、それができない脳死の人はもはや人として認められない」。脳死の人はもはや人としては認められない」。「脳死の人は生きる屍に等しい」。「脳死体は臓器を保存する死体である」。
極めつけは、かつて1988年、大阪府医師会特別講演会「脳死および臓器移植について」の場で、杉本侃大阪大学特殊緊急部教授(当時)が、これが脳死状態として示したスライドである。体は背広を着て都会にいるにもかかわらず、頭は既に成仏している様子が漫画として描かれていた。その際の説明は、「脳死は要するに、首から下は生きてて、首から上は死んでいるという現象です。そして、動物実験をやるときには、動物を断頭することによってつくることができます。(中略)ヒトの場合は、断頭実験というのはできませんけれども脳死の場合は、それと同じことが起っているということです。」(大阪府医師会会報」第234号、昭和63年4〜5月号併合、13頁)というものであった。
パーソン論」に基づく論理によって、「脳死(脳全体が機能不全に陥った状態)」や「植物症(大脳が機能不全に陥った状態)は、「人格でない」「生きるに値しない」と安楽死の対象にされた。さらに、「知的障害」「神経難病」「認知症」へと、容易に再現なく対象が広がる可能性がある。今回の「相模原事件」は、「パーソン論」を現実化し行動に表わしたものと言える。