じじぃの「科学・芸術_996_脳死・何が許されないのか」

This is Your Brain in Meltdown

脳死

立花隆/著 中公文庫 1988年発行

何が許され、何が許されないのか より

脳死が問題となるのは、ひとえにそれが臓器移植と結びつくからである。もちろん厚生省が研究班まで作って新しい判定基準作りに取り組んだのも、それをもって臓器移植を押し進めんがためである。それをあえて、脳死と移植は別のことだから切り離して考えよ、というのは欺瞞以外の何ものでもない。両者は一体のものとして考えられなければならない。世界中どこの国でも、脳死が問題にされ、脳死判定基準が作られたのは、ひとえに臓器移植のためだったのである。どこの国でもこの両者の明白な結びつきを隠したりはしなかった。
両者が結びついているからこそ、判定基準も、されをもって人の死と認め、それが満たされたときにはその人の心臓をとってもさしつかえないというだけの重さを持った判定基準でなければならない。また、そういう意識の下に作られた判定基準でなければならない。
移植とは無関係の脳死判定なら、先に述べたように、多少の誤診があったところで、プラクティカルにはあまり問題がない。「蘇生例が1例もない」ということで判定基準を正当化することも許されよう。しかし、それが移植と一体の脳死判定ならまかりまちがっても誤診はあってはならないことである。なぜなら、誤診された脳死判定の上に臓器移植がおこなわれるならば、それは殺人行為になるからである。「蘇生例が1例もない」だけではすまされない。脳死と判定された物が必ず死ぬというのではなく、脳死と判定された者がその時点において完全に死んでいるということが必要である。間もなく確実に死ぬ者でも、その者を殺せば殺人なのである。
    ・
これまで、脳死判定基準に即して話をすすめながら、脳死とはそもいかなる現象であるかを解説してきた。ここまでのところで、その大略は理解していただけたと思うが、もう1つ述べておかなければならない大切なポイントがある。

それは、脳死と心臓の関係である。

そもそも脳死とは、脳は死んでいるのに心臓は動いているという状態である。だが、なぜ脳は死んでも心臓は動きつづけることができるだろうか。
そして、脳死になると、ほとんどが数日中に心停止をきたすという。だが、その心停止はなぜ起るのか。
前半に着目すれば、脳死は心停止をもたらさないということができる。しかし、後半に着目すれば脳死は心停止をもたらすのである。両者はまるで矛盾するようだが、いったいどうなっているのか。
まず、そもそも心臓はなぜ動くのかを見ておこう。
    ・
――各臓器には局所的な血流調整機構がありますね。あれじゃダメなんですか。
「局所的な調整機構は局所的な小さな調整しかできないんです。全体を見回しての大きなふり分けはできません。それができるのは脳だけです。その機能が失われることが、多分脳死で心停止が起る原因だと思いますね」
脳死になるとなぜ遠からず心臓がと止まるについては、まだよくわかっていないのである。しかし、この説明はかなり説得的である。これでいけば、心臓神経除去動物や心臓移植者の心臓は止まらないが、脳死者の心臓は止まるというちがいを説明できる。前者においては、血流の全身的ふり分けのコントロールセンターは生きているし、そのふり分け作業は心臓への神経支配によってではなく、全身の血管系を局所的に収縮させたり拡大したりすることによっておこなわれるのだから、心臓への神経支配がなくても可能なのである。また心拍の調整も液性伝達である程度可能なのである。
    ・
脳機能の停止というのは心臓の機能停止のように、それまで拍動をつづけていた心臓の動きがパタリと止まるといった、外部からの明確に観察可能な1つのイベントとして起るのではない。脳機能というのはあまりに多機能であり、しかもその相当部分が外部から必ずしも明確に観察できない機能なのである。だから、5項目機能のチェックでは脳機能のすべてが停止したことの確認に必ずしもならない。心臓のような単一機能(ポンプ機能)の臓器の機能停止を確認することはたやすいが、脳のような多機能臓器の機能停止はそう単純に確認できないのである。
しかも、心臓の場合は、その機能の内容があまりにも簡単明快であるが、脳の場合は、その各機能の内容が複雑であり、よくわかっていない側面があまりにも多いのである。5項目のチェックで全脳機能が停止しているとするのは、かなり大胆な推論を含む経験的類推にすぎないのである。要するに、あれもこれもダメなら全部ダメだろうということなのだ。根本のところは大ざっぱな推定なのである。生徒の学力検査を5科目で実施して、5科目全部ダメなら、その生徒は5科目以外でもダメだろうというようなことなのである。それは大多数のケースにおいては当たっているだろうが、稀にはそうでないケースもありうる。しかし、そのような稀なケースは、このような方法論では無視されてしまうのである。本来なら、多機能臓器の全機能停止を確認するためには、全機能の停止を1つ1つ個別に確認すべきである。しかし、脳の場合には、その全機能たるや、どのような広がりと内容を持つのかが必ずしもよくわかっていないという根本的制約がある。だから、その全機能停止をいうには、どうしてもどこかで推定の要素が入らざるを得ない。だからこそ、全機能停止をいうには、慎重にも慎重であるべきである。可能な限りの機能検査を取り入れるべきである。