【閲覧注意】レッサーパンダ帽男殺人事件【凶悪事件】 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2LvcZdbEv0o
レッサーパンダ帽男殺人事件 ウィキペディア(Wikipedia) より
2001年4月30日午前10時35分頃、被害者(当時19歳、女子短大生)はブラジリアン柔術大会に出場する友人の応援をするために台東リバーサイドスポーツセンターに向かう途中であった。被害者の後を追うように、毛皮のコートを着てレッサーパンダを模した帽子を被った男(加害者)が、同じ道を進んでいた。交差点で被害者が加害者を確認した際に驚いた顔をしたため、加害者は自分が馬鹿にされたと思い込み、被害者を狭い路地に引き込んで胸や腹、背中などを包丁で刺し、失血により死亡させた。
現場近くで「動物のぬいぐるみを頭に載せた男」「レッサーパンダのような帽子を被った男」が何度も目撃されていたことから、捜査機関はこの男を容疑者とみて捜査を開始。5月10日、東京都代々木で加害者(当時29歳)が逮捕された。
事件直後から「レッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被った成人男性による犯行」という異様さに注目したマスコミ、特に週刊誌は、この事件を大々的に取り上げようとしていたが、容疑者が軽度の知的障害者と判明した後は報道が鎮静化した。加害者の家庭では17歳の時に母が病死し、加害者は家出や放浪を繰り返しており、窃盗など4件の前科があった。
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『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 佐藤幹夫/著 洋泉社 2005年発行
「なぜ顔を上げないのか」と男は問い詰められた より
自閉症の障害をもつかどうかの判断はさておいても、男にはいくつかの著しい特徴があった。
そのひとつはこれまでも触れてきたように、顔を上げない、視線を合わせようとしないという点であった。これはおよそ徹底していた。この47回に及んだ公判中、男は一度だけ、若い検察官より激しく問い詰められたことがあった(第4回公判)。
検察官は「あなたはまず、なんのためにOさんの背中を包丁で刺したのですか」。「答えられないのですか」。「Oさんを包丁で刺せばどうなると思いましたか」。「答えられないのですか」。「Oさんを包丁で刺せば死ぬとは思わなかったのですか」。「これも答えられないのですか」。「Oさんが死ぬとは思わなかったのですか」。「まだ答えられませんか」
どれくらの「間」があっただろうか。間髪をおかず、そのような問いが矢継ぎ早に投げかけられた。そして、「顔を上げられますか」と言うと、男がほんの一瞬だけ顔を上げた。
検察官 「もっと上げられませんか」
被告人 「できないです」
検察官 「なぜ上げられないのですか」
被告人 「……」
検察官 「顔を上げて、裁判官の方を向いて答えるべきではないですか」
被告人 「……」
男はそれから少しずつ検察官の問いに答えていくのだが、顔を上げて答えられないかと問い詰められるたびに、「いや」とか、「ちょっと……」とか、「できない」などと答えていた。そして前回の裁判で、男が「言葉では表現できないくらい申し訳ないと思っている」と答えた点について、検察官は次のように問い質した。
検察官 「なぜOさんに対して申し訳ないと思っているのですか」
被告人 「やっぱり自分としては、やっぱり……ああいうことになってしまって、なんというか……」
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自分のなしたことをどう思うかと聞かれ、「誤っても誤っても誤りきれない」とか「毎日手を合わせている」とは述べているが、それ以上の表現ができずにいる。抑揚のないその口調は、かえって聞いている者の神経を逆なでしかねないものであった。先にも引用したが、検察官に、なぜOさんに対して申し訳ないと思っているのかと問われた男は、「やっぱり、自分としては、やっぱり、ああいうことになってしまって、やっぱり、なんというか……」と答えるのにとどまっている。
社会規範も自己を律する「内なる他者」の別名である。反省や悔いるという心の動きも同様である。内なる他者によって自分のなしたことが十分に対象化されなくては、そのような心の動きは起こりえない。「共感性の欠如」とか「情操欠如」とか一般に言われてきたものがこれに当たる。ここがこの事件においてもっとも大きな「壁」となるところであり、最大の難問であると私は感じてきた。
うつむいていることが多い、とか共感性に欠けるという指摘だけであるならば、知的障害をもつ人びとにも見られる特徴でもある。しかし一方では、男にはつぎのような特徴も見られた。
交通機関をどう利用すれば予算内で上京できるか、仕事を探すにはどうするか、なにを拾えば金銭に交換できるか、というような社会的行動スキルは身につけている。絵を描く、単純作業をつづける、といった操作的能力にもそれなりに長けている。一方では著しく共感性の欠如を示し、もう一方では社会的行動のスキルを身につけている、ここに男の大きなアンバランスがある。
このアンバランスこそ、自閉性の障害をもつ人びとがしばしば示す特徴である。そしてここが、一般の人にはなかなか理解しがたいところでもあるだろう。場が読めない、浮いてしまう、トンチンカン、平気で他人を傷つける、これだけのことができるのになぜこんなことが分からないのか、多くはそんな困惑や苛立ちとともに「理解」されてきたはずである。
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どうでもいい、じじぃの日記。
古本屋に立ち寄ったら、佐藤幹夫著『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』という本があった。
300ページにも及ぶ、大著である。
事件が起きた2001年といえば、アメリカ同時多発テロ事件が起きた年だ。
日本では自閉症障害者の事件というのは、珍しいからなのだろうか。
アメリカでは毎年のように数十人単位で殺される銃乱射事件が起きている。その多くの犯人は精神障害者だ。
この本では、自閉症障害者の特徴を「共感性の欠如」だとしている。
私にも、心当たりがある。 (^^;;