じじぃの「未解決ファイル_318_ディアトロフ峠の遭難」

死の山で起きた未解決遭難事故…近代登山史史上最大の謎"ディアトロフ峠事件"をゆっくり解説 #73

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=b7v-ZumoxPE

ウラル山中に散乱した若き冒険者たち


『絶対に明かされない世界の未解決ファイル99』

ダニエル・スミス/著、小野智子+片山美佳子/訳 日経ナショナルジオグラフィック社 2022年発行

ディアトロフ峠の遭難 より

【未解決ファイル ウラル山中に散乱した若き冒険者9人の遺体】
1959年、9人のクロスカントリースキーヤーがロシアのウラル山脈で消息を絶った。2ヵ月半に及ぶ捜索で遺体が発見されたが、すべての状況は、彼らが何か恐ろしいものから逃げようとしていたことを示していた。宇宙人、ソ連の軍時機密、母なる自然へと、犯人捜しの矛先はあらゆるものに向けられた。

一行が出発したのは1959年1月末のことだった。リーダーはイーゴリ・ディアトロフ。後に、この悲劇の現場は、彼の名に因んでディアトロフ峠と呼ばれるようになる。ウラル科学技術学校の冒険心に溢れる10人の勇敢な仲間(男性8名、女性2名)を募り、ウラル山脈北部に位置するオトルテン山にスキーで向かう計画だった。

彼らはまず、列車でスベルドロフスク州イブデリの街まで行き、そこからトラックでビジャイに向かった。その先に集落はない。いよいよ1月27日、一行はオトルテン山に向けてスキーでの長距離トレッキングへと出発した。翌日、メンバーの一人が体調不良のため止むなく引き返したが、残った9人はさらに進み、2月1日にホラート・シャフイル山(現地の言葉で”死の山”の意味)の東側にたどり着いた。彼らは予定したコースから少し逸れてしまっていたのだが、その夜はそこにキャンプを設営することにした。

一行が無事にビジャイに戻り次第、学校で待っている友人にディアトロフが連絡する手はずになっていた。2月20日を過ぎても何の連絡もなかったことから、有志のグループが捜索を開始し、間もなく警察と軍の捜索隊も加わった。6日後、ホラート・シャフイル山で、放棄されたキャンプが発見された。テントは内側から切り裂かれており、損傷もひどく、雪に埋もれていた。一行の姿はどこにも見当たらず、荷物は置き去りにされていた。雪の上には、裸足か靴下を履いただけの足跡が残されており、ディアトロフと仲間たちが慌ててキャンプを離れたことを示していた。

間もなく、キャンプから数百メートル離れた場所で5人の遺体が発見された。彼らはまともに服を身につけておらず、着衣の様子もさまざまだった。その場から逃げ出そうとしていたように見える遺体もあれば、キャンプに戻ろうとしていたと思われる者もあった。

残り4人の遺体はようやく5月4日になって発見された。雪崩で深い積雪の下に埋もれていたのだ。彼らの服装は最初に発見された5人よりもまともだったが、自分のものではない衣服を身に着けている遺体もあった。

最初の5人の死因は低体温症だったか、他の4人はもっと複雑だった。外傷の形跡は誰にもなかったが、そのうちの3人の遺体には頭部または胸部にひどい損傷があり、交通事故の際と同様の強い衝撃によって引き起こされた圧傷と見られた。また、そのうちの一人、リュドミラ・ドゥビニナの遺体には舌が無かった。当局による公式調査は、9人は”あらがい難い自然の力”によって死亡したと結論づけた。ここから憶測が生まれる余地はいくらでもあった。

まず、この悲惨な事件の犯人として地元の先住民であるマンシ人に疑いの目が向けられたが、この説はすぐに否定されることになった。現場付近に一行以外の人間の痕跡がなく、どの遺体も、筋肉や血管といった軟部組織には暴行を原因とする損傷がまったく見られなかったからだ。同様の理由から動物に襲われたという説も否定された(ドゥビニナの舌については、発見されるまでの間に屍肉をあさる動物によって喰われてしまったのではないかという意見もあった)。

事件の晩と、その数週間後に、この地域で夜空に光るオレンジ色の球体を見たという報告が複数寄せられた。このことは、何か宇宙から来たものか、軍が事件に関係しているのではないかという憶測を生んだ。
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事件の公式報告がようやく一般公開されたのは1990年になってからで、しかもその頃には重要な資料の多くが失われていたため、遺体の状況や汚染範囲の詳細を検証することは不可能になっていた。

結局のところ、キャンプが突然の雪崩に襲われたと考えるのがもっとも妥当な説だろう。それなら、あわててテントを離れたことや不自然な服装の説明がつく。また、低温症と放射能汚染の形跡だけを残している者と、何かに衝突したような損傷の見られる遺体が混在する理由としても納得できる。しかし、事件の現場付近は昔から雪崩の危険地帯ではない。それに、たとえ雪崩原因説が状況を説明するのには一番好都合だとしても、多くの疑問は未解決のまま残されている。

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じじぃの日記。

ダニエル・スミス著『絶対に明かされない世界の未解決ファイル99』という本に、「ディアトロフ峠の遭難」というのがあった。

ディアトロフ峠の遭難事件とは、1959年2月2日の夜、ソビエト連邦ウラル山脈北部で雪山登山をしていた男女9人が遭難し不可解な死を遂げたことで知られる事件だ。

これまでに出ていた様々な説

1.UFO説
2.ミサイル発射説
3.核爆発説
4.暴風説

「結局のところ、キャンプが突然の雪崩に襲われたと考えるのがもっとも妥当な説だろう」

「そのうちの一人、リュドミラ・ドゥビニナの遺体には舌が無かった」

雪崩で遺体が損傷されるということはあるかもしれない。

動物に舌が喰われた?

まあ、場所がソ連内で起きたことなので、隠された謎がまだありそうな感じだ。

信じるか信じないかはあなた次第です!