じじぃの「人の死にざま_1660_鈴木・紀夫(探検家)」

鈴木紀夫小野田寛郎

小野田寛郎さんを発見した 青年・鈴木紀夫さんの人生も波瀾万丈な件 2014年01月18日 中二病速報
鈴木紀夫(すずき のりお、1949年4月 - 1986年11月)は、日本の冒険家。千葉県市原市八幡出身。法政大学経済学部二部中退。
1974年2月
小野田との接触に成功。ルパング島には日本語が話せる原住民が多かったため、日本語が話せるだけでは日本人と判断されなかったため初対面の際には小野田に銃を向けられて発砲される直前だったが、毛の靴下にサンダル履きという原住民にはない珍妙なスタイルであったため、事なきを得る。
この接触により、小野田の救出が現実味を帯び3月に小野田は帰国。
かつて「パンダ・小野田さん・雪男に会うのが夢だ」と語っており、最後に残った「雪男発見」に情熱を注ぐ。
http://chunisoku.com/archives/35740839.html
『あの世心得。』 永六輔/著 文春ネスコ 2003年発行
見つけちゃった、見つかっちゃった 鈴木紀夫(探検家) (一部抜粋しています)
鈴木紀夫、植村直巳、堀江謙一。この人たちの顔形は、まるで兄弟のように似ているとは思わないだろうか。もう一人つけ加えれば、ノーベル賞利根川進。してみると、日本という管理社会に適応できない人相の典型的なるものなのかもしれない。
鈴木紀夫は、19歳、法政大学2年のとき、「もう日本はいやだ」と言い残して、世界放浪の旅に出た。以来、約4年間に50ヵ国を放浪する。その間に、「パンダ、小野田さん、雪男が生涯のテーマ」になった。パンダや雪男と同列に扱われては、小野田さんは不満だったろうが、鈴木青年の意識ではそのとおりだっただろう。
「僕が小野田さんを発見したのではない。小野田さんが僕を発見したのだ」と、彼は言った。状況としてはそのとおりだった。ルバングの山中の小川で米をといでいると「オイッ!」という押し殺した声がして、振り向くと、銃を構えた小野田さんが立っていたのである。前に厚生省が派遣した大デレゲーションも、当然小野田さんによって、”発見”されていた。しかし小野田さんは出てこなかった。
「あれじゃ出てくるわけがない」と言って、単身のこのことルバングの山の中に入っていったところに、鈴木紀夫のすごさがある。
小野田さんは発見された。もはやパンダでもない。世間が鈴木紀夫の名を忘れかけたころ、彼は繰り返しヒマラヤに雪男を探しに行っていた。その間、1978(昭和53)年には、作家・林房雄の長女・京子さんと結婚したが、新婚旅行先もヒマラヤだった。
そのヒマラヤから最後の便りが届いたのが、86年の12月。そして87年の9月28日、京子夫人らの捜索隊が、ネパールのダウラギリ四峰の中腹で、雪崩で遭難したと思われる鈴木紀夫の遺体を発見した。