じじぃの「人の死にざま_1174_鈴木・梅太郎」

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「米ぬか」の炒り方 動画 YouTube
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鈴木梅太郎 ウィキペディアWikipedia)より
鈴木梅太郎(1874年4月7日 - 1943年9月20日)は、戦前の日本の農芸化学者。米糠(ぬか)を脚気の予防に使えることを発見した事で有名。勲等は勲一等瑞宝章東京帝国大学名誉教授、理化学研究所設立者。帝国学士院会員。文化勲章受章者。
【ビタミンの発見】
糠の有効成分の化学実体が不明であった点でも、脚気医学は混乱していた。アンチベリベリン(都築)、ウリヒン(遠山椿吉)、銀皮エキス(遠城兵造)、オリザニン鈴木梅太郎)、ビタミン(フンク)のすべてがニコチン酸をふくむ不純化合物であった。その中でオリザニンは、純粋単離に成功するのが販売されて20年後の1931年(昭和6年)であり、翌1932年(昭和7年)、脚気病研究会で香川昇三がオリザニンの「純粋結晶」は脚気に特効のあることを報告した。
しかし、それでも脚気は、一般人にとって難病であった。国民の脚気死亡者は、日中戦争の拡大などにより食糧事情が悪化するまで、毎年1万人から2万人で推移した(日本の脚気史#概要参照)。その理由として、ビタミンB1製造を天然物質からの抽出に頼っていたために値段が高かったこと、もともと消化吸収率がよくない成分であるために発病後の摂取による治療が困難であったことが挙げられる。その後も、アリナミンとその類似品が社会に浸透する1950年代後半まで、毎年1千人以上の脚気死亡者がでることになる。
なお、上記で「ビタミンの発見」としたが、鈴木が発見したのは正確にはチアミンビタミンB1)である。ビタミンとは微量で必要な栄養素のうち有機化合物の総称として現在は定義されている。ビタミンを初めて抽出したとして世界的に知られるのはカジミール・フンクであり、ビタミンの名称は彼の命名によるものとされるが、実際にはフンクの命名は"vitamine"であり、ビタミンを複数の栄養素の総称と定義しなおされるにあたって"vitamin"と綴りが変えられた。
脚気 ウィキペディアWikipedia)より
脚気(かっけ、英: beriberi)はビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれる。心臓機能の低下・不全を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。

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『栄養学を拓いた巨人たち 「病原菌なき難病」征服のドラマ』 杉晴夫/著 ブルーバックス 2013年発行
脚気因子「サイアミン」の発見 (一部抜粋しています)
脚気因子(脚気の予防・治療因子)の研究は、エイクマンが先鞭をつけていた。その後、彼の研究を引き継いだグレインスは、これが抗神経炎因子であることを指摘した。さらにマッカラムは、同じ因子を「水溶性B因子」と名づけた。
これをもって抗脚気因子の研究は1つの段階を通過し、あとに残されたのは、この水溶性因子を誰がいちはやく単離し、同定するかの競争であった。
この因子の単離・結晶化に成功したのは。東京大学名誉教授の鈴木梅太郎と、ビタミンの命名者フンクであった。
鈴木は米ぬかを処理してこの因子の結晶化を得ることに成功し、イネの学名(oryza)にちなんで「オリザニン」と命名した。この物質はたしかにニワトリの脚気症状に対し、予防・治療効果を示した。しかし、この結晶はのちに混合物であったことがわかった。彼はこれらの結果を、1912年にドイツ語の論文として発表した。
一方、フンクもほぼ同じ時期に、この因子を単離・結晶化し、英文の総説論文を書いた。また、結晶化した因子をハトに与えて、その脚気症状を治癒してみせた。彼が「ビタミン」という呼称を使ったのはこの研究においてであった。
しかし、フンクはその論文中で、本来なら引用すべきであった鈴木の研究を無視している。また、のちにこれを引用したときには、鈴木の結果は追試できないとして、非難している。このため、鈴木の業績は欧米ではあまり評価されなかった。こうしたフンクの「あく」の強い性格は、エイクマン、ホプキンスのノーベル賞受賞に強く抗議したことからもうかがえる。
栄養学上では、ビタミンなどの微量栄養素の発見は以下の段階を経ておこなわれる。
(1)ある飼料(食事)が、実験動物(人間)の健康に害があることを発見する。
(2)その飼料(食事)に新たにある食物をつけ加えると、動物(人間)が健康を取り戻す。
(3)新たにつけ加えた食物中に未知の栄養素があることを指摘する。
(4)この未知の栄養素を食物から単離し、化学物質を明らかにする。
(5)さらにこの栄養素の化学構造を決定し、化学的合成を可能にする。
ただし鈴木、フンクの両者とも、微量栄養素の発見段階では(5)の手前までしか達していない。つまり(4)未知の栄養素を食物から単離し、化学物質を明らかにすることには成功したが、(5)さらにこの栄養素の化学構造を決定し、化学的合成を可能にするまでには至らなかった。
成人が健康を保つために必要な抗脚気因子の量は、現在では1日あたり1.2mgとされている。これほどのごく微量で、この因子は効果を現すのである。したがって食餌中に含まれる因子の量もきわめて微量でしかない。この事実が、化学技術の未発達であった20世紀初頭の研究者にとって、いかに重荷であったかは想像にあまるものがある。

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