じじぃの「作り話・ヒトラーの日記・生きていたヒトラー?だましの文化史」

ヒトラーは生きていた 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sezXSqgpFvw
Hitler, Eva Braun

インドのロープ奇術

ヒトラー逃亡説」の実態
ヒトラーナチス崩壊とともにベルリンの総統官邸の地下壕でピストル自殺したとされている。多くの人はヒトラーの「自殺」が揺るがすことのできない歴史的事実だと認識している。
だがその一方で、ヒトラーの死にまつわる疑惑が密かに、そして執拗にささやかれているのも、また事実なのである……。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc350.html
ヒトラーの日記 ウィキペディアWikipedia) より
ヒトラーの日記(Hitler Diaries)とは、西ドイツの雑誌「シュテルン」(Stern)が、かつてのナチス・ドイツの指導者のアドルフ・ヒトラーが1932年から1945年まで書き綴った日記を発見し、その抜粋を報道したが、後に詐欺のために捏造された偽書であることが、1983年に判明した事件である。

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『だましの文化史 作り話の動機と真実』 ゴードン スタイン/編著 GALEブックス 2000年発行
生きていたヒトラー (一部抜粋しています)
権力者は、しばしば、生死をめぐってさまざまなうわさをたてられるものだ。アドルフ・ヒトラーの臨終に立ち会ったのはごく少数の者で、しかも全員が忠実なナチ党員であったため、彼らの話は疑われやすい。ベルリンを占領し、ヒトラーが最後に目撃された防空壕に立ち入ったのはロシア人だったが、彼らはおそらくなにか思惑があって、ヒトラーの死を公表したのだろう。
1945年4月30日のできごとについは、事実であることが立証されている。そのできごとは、次のようなものである。ヒトラーはその日、愛人のエヴァ・ブラウンとともに、ベルリンの総糖官邸の地下にある防空壕にいた。いっしょにいたのは、エヴァ・ブラウンと、ナチ党員のヨセフ・ゲッペルス、マルチン・ボルマン、そしてヒトラーのふたりの秘書、運転手のエーリッヒ・ケンプカ、従者のハインツ・リンゲ、そして数人の護衛だった。ロシアはベルリンを進軍し、総統官邸に近づきつつあった。ひとらーの健康状態は思わしくなく、パーキンソン病のためか、あるいはアンフェタミン[中枢神経刺激剤]の濫用のためか、両手が激しくふるえていた。
ロシアはその日のうちに、ベルリンの残りの地域も侵略した。クレムリンからヒトラー死亡の発表が最初にあったのは5月2日のことだった。ロシアのタス通信によれば、ドイツ側は、ヒトラーが前の日の正午に死亡し、デーニツ大提督を後継者に指名したと発表した。タス通信はまた、「ドイツのファシストが、ヒトラー死亡のニュースを広めることで、ヒトラーに、その場を逃れて地下に潜る手段与えようとしていることは明らかだ」とつけくわえた。
ヒトラーとボルマンがドイツを逃れ、潜水艦で南米に渡ったといううわさが広まった。ヒトラー南極大陸にいるといううわさもあった。ロシアは、1968年までヒトラーの遺体の解剖結果を公開せず、さまざまなうわさを否定することもなかった。解剖結果は、旧ソ連の諜報部員レフ・ベジメンスキーの本に書かれたが、本が世に出ることはなかった。
この本は、防諜対策機関(スメルシュ)がヒトラーの護衛のひとりを逮捕した場面を、克明に描いている。その護衛は、ヒトラーエヴァ・ブラウンの遺体を防空壕から運び出し庭で焼くところに立ち会ったという。スメルシュは、ゲッペルスとその妻の遺体を発見した。1945年5月4日には、防空壕の庭に埋められた男女の遺体を発見した。
最初は、ヒトラーエヴァ・ブラウンのものとは思われなかったが、防空壕の内部をくまなく捜しても、ふたりの遺体は見つからなかった。遺体を焼くところを見た護衛が、あとのなって、焼かれた遺体は爆弾の破裂でできた孔に安置され、泥で埋められたとつけくわえたため、スメルシュは、掘り起こした遺体を慎重に検査した。解剖の結果、ふたつの遺体の口からガラスの破片が見つかったため、死因は毒物(シアン化物)のカプセルをかみ砕いて飲んだものと報告された。男の遺体は頭を撃たれていたが、これは明らかに服毒後のことである。男には、ヒトラーと同じく、睾丸がひとつしかなかった。また、ソビエトは、遺体の歯とヒトラーの歯科医から取り寄せた記録とを比べてみた。両者はぴたりと一致した。女の遺体も、葉の治療の跡から、エヴァ・ブラウンのものと確認された。この本では、遺体は解剖後、火葬され、灰はばらまかれたことになっている。
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ヒトラーの副官のうち、メンゲレやアイヒマンなど何人かは逃走した。マルチン・ボルマンも逃走したが、捕えられ、やがて処刑された。1972年に頭蓋骨で本人と確認されたので、これは確かだ。ヒトラーは逃走しなかった。
それでも、ヒトラーが生きているという作り話はあとを絶たない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ヒトラーはブラジルで生きていた」という伝説があるのだそうだ。
「男には、ヒトラーと同じく、睾丸がひとつしかなかった」
ヒトラーの影武者も睾丸がひとつだったのかなあ。 (^^;;
ヒトラーの日記」、「インドのロープ奇術」というのも、作り話らしい。