じじぃの「科学・芸術_953_世界の陰謀論・暗殺だったのか?」

The JFK assassination | 72 Hours that changed America

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=msw-SCSQm3Q

Who killed JFK ? The Kennedy conspiracy theories

『ビジュアルストーリー 世界の陰謀論

マイケル・ロビンソン/著、安納令奈/訳 ナショナル・ジオグラフィック 2019年発行

暗殺だったのか?

在任中に暗殺された米国大統領「といえば、ジョン・F・ケネディがまず思い浮かぶ。しかし、実は歴代で4人が暗殺されている。いずれも銃で狙撃され、その傷がもとで亡くなった。さらに、ケネディ以降はどの大統領も命を狙われた。唯一、標的にさらされなかったのは、ケネディの死後に副大統領から大統領に繰り上がったリンドン・B・ジョンソン(1908~1973年)だけである。暗殺事件はもちろん米国に限った話ではない。それに、狙われるのは国家元首だけとは限らない。ここでは、世界中の人々を震撼させた暗殺事件をいくつか取り上げ、その謎に包まれた背景を紹介する。

ロマノフ一族

ロマノフ家。それは、1917年の十月革命当時、ロシアを統治していた皇帝一族である。その皇帝ニコライ2世(1868~1918年)には妻と5人の子どもがいた。1917年、左派グループのボルシェビキが権力を掌握する。すると一家は臨時政府によって連れ去られ、保護拘置下に置かれた。そして1918年、裁判などの公式な手続きもなく、拘置先で処刑された。手を下した銃殺隊はボルシェビキの指導者レーニン(1870~1924年)の命を受けていた。
この一家は生きて、どこかにかくまわれているという噂も飛んだが、皇帝と皇后、子どものうち3人の遺体を、1979年に歴史愛好家たちが発見した。だが、彼らは当局の追求を恐れて発見を隠し続けた。この恐ろしい発見がようやく公式に認められたのはソ連崩壊後のこと。1992年にDNA鑑定が行われ、遺体の身元が確認された。残り2人の子どもの遺体もやっと2007年に見つかるが、2体ともまだ埋葬されておらず、その一人の娘アナスターシャが無事に逃げ延びたという設定で、本や映画がいくつも作られている。自分こそアナスターシャだと称する人物も何人か現れたが、結局すべて、にせ者だった。しかし、当局がいまだ埋葬していないことは、この生存説の真実を示しているのではないだろうか?

JFK

1963年11月22日、米国テキサス州ダラスで、第35代米国大統領ジョン・F・ケネディ(1917~1963年)が暗殺された。おそらくこの暗殺事件ほど、陰謀説が世間を驚かせた事件はないだろう。犯行をめぐって争点になるポイントは3つある。それは、殺された理由、首謀者、暗殺方法である。ケネディの死を受け、副大統領から繰り上げられて第36代大統領となったリンドン・B・ジョンソン(1908~1973年)は、大統領令に署名し、この3つの謎の解明に乗り出した。それは暗殺からわずか1週間後のことだった。ウォーレン委員会が発足し、10ヵ月後、報告書がまとめられた。ケネディ暗殺の犯人は、事件当日、現場で逮捕された主犯格の容疑者リー・ハーヴェイ・オズワルド(1939~1963年)であり、彼による単独の犯行、という結論だった。
同委員会によると、大統領を撃った銃弾は、テキサス教科書倉庫の屋上から発射された。現場ではボルト・アクション方式(手動)のライフルが発見された。ケネディの命を奪った銃弾は2発。1発目は首の後ろから貫通し、2発目は頭部を撃った。この2発目が、致命傷になった。さらに、ケネディのすぐ前に座っていたテキサス州知事ジョン・コナリー(1917~1993年)にも銃弾が当たり、背中、胸、手首と太ももを傷つけた。ウオーレン委員会によれば、最初にケネディに命中した銃弾が首を貫通してそのまま飛び、前に座席にいたコナリーに当ったのだという。
ところがコナリー本人が、この委員会の調査結果を大いに疑った。ほかにも多くの人々が、たった1発の弾がそんな複雑な弾道を描いて、2人の人間にダメージを与えられたはずがない、と考えた。そのためこの銃弾は皮肉をこめて、”魔法の銃弾”と呼ばれることもある。そうなると、真実が隠されていると信じる人々はこう考える。少なくとも狙撃者はもう一人いて、おそらく同じ倉庫ビルの屋上の別の位置から撃った可能性のほうがまだ現実的だ、と。
また、致命傷となった2発目の銃弾についても、いまも熱い議論が続く。暗殺の瞬間、ウクライナ出身の米国人エイブラハム・サプルーダー(1905~1970年)が、このパレードの様子を家庭用動画カメラで撮影していた。のちの死因分析で、この映像が1コマ1コマつぶさに調べられた。2発目がケネディの顔に命中したとき、その衝撃で、大統領の身体が後方に反り返ったように見えた。そのため、もう一人の狙撃犯はパレードの前方にある「グラッシーノール(草の多い小山)」と地元で呼ばれる小高い緑地に隠れ、大統領を正面から撃った可能性を多くの人が指摘した。ザブルーダーのこの映像はいまも、陰謀説の核心部分を握っている。ウォーレン委員会が発表したオズワルド単独犯説は事実と異なるし、当局は間違いなくその事実を隠している、という疑いは晴れない。
逮捕からたったの2日後、オズワルドは一人の狙撃者、当局によればマフィアの用心棒だった男によって殺された。それゆえ、大統領暗殺がオズワルドの単独犯だったのかどうかは、おそらく永遠に謎となるだろう。ケネディ暗殺にはマフィアとCIAの両方が関与している、と考える陰謀論者は多い。その陰謀のシナリオの数だけ、動機もある。