じじぃの「科学・芸術_240_ジョン・レノン暗殺」

John Lennon - Imagine 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=YkgkThdzX-8
John Lennon Killed in 1980

ジョン・レノンの名曲「イマジン」、オノ・ヨーコさん共作と認定 2017.6.16 産経ニュース
ビートルズの元メンバー、ジョン・レノンの1971年の名曲「イマジン」について、米音楽出版社協会が妻のオノ・ヨーコさんを「共作者」として認めた。米誌ビルボードなどが15日伝えた。
レノンはかつて「(イマジンの)歌詞もコンセプトも多くがヨーコからのもの」と英BBCのインタビューで語っており、「レノン/オノ作」のクレジットを付けるべきだったとの考えを示していた。
http://www.sankei.com/entertainments/news/170616/ent1706160004-n1.html
マーク・チャップマン ウィキペディアWikipedia) より
マーク・デイヴィッド・チャップマン(Mark David Chapman、1955年5月10日 - )は、アメリカの殺人犯。ジョン・レノン殺害犯として知られる。
【事件の疑惑】
犯行当時、レノンの狂信的なファンであると報じられ、世界的にその報道が定着したが、さまざまな憶測も語られた。ケネディ大統領暗殺事件に似た陰謀的暗殺説、CIAの関与した催眠術説などがあるが、現在はチャップマンの単独犯行であると結論付けられている。
暗殺説が語られた背景には、レノンの反戦運動の政治的影響力などがあると言われる。また、1981年にはレノンがアメリカ国籍を正式に取得することが可能となる予定であり (永住権取得後、連続5年滞在で申請資格が出来る) 、これがその直前の犯行に結びつけられることもあった。
チャップマン自身は、仮釈放申請の際に、殺人の動機はレノンを殺すことで注目を集め有名になりたかった、と語っている。

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『世界の特別な1日未来に残したい100の報道写真』 マルゲリータ・ジャコーザ、その他/著、村田綾子/訳 日経ナショナル ジオグラフィック 2017年発行
1980年12月14日 米国、ニューヨーク ジョン・レノン暗殺 (一部抜粋しています)
1980年12月8日月曜日。ジョン・レノンオノ・ヨーコにとってはいつもと変わらない、あるいは、いつもよりすばらしい1日だった。公民権運動と反戦運動を支持していたレノンは当局に国外退去を命じられていたが、裁判で勝訴したばかりだった。彼はニューヨークでようやく平安を見いだしつつあった。その5年前から公の場に姿を見せることはなくなり、一般市民のように穏やかな暮らしを送ろうとしていた。ビートルズ時代には考えられないことだった。とはいえ、数ヵ月前に音楽活動を再開していた。
この月曜日はラジオ局のインタビューを受けたあと、ヨーコとスタジオに行ってレコーディングをした。それが最後のインタビュー、最後の楽曲になるとは知る由もなかった。ジョンとヨーコが住んでいたのはセントラルパークを見下ろす「ダコタ・ハウス」で、建物の玄関前にはいつもおおぜいのファンが待っていた。そうしたファンのなかに26歳のマーク・デビッド・チャップマンの姿があった。チャップマンはレノンが外出するのを見ていた。彼に近づき、アルバムにサインまでもらっていた。だがその日の午後10時50分、帰宅したレノンとヨーコが建物に入ろうとしたとき、チャップマンが背後からレノンを5発撃った。彼の死は全世界にとって晴天の霹靂だった。
12月14日、オノ・ヨーコの呼びかけにより、あらゆる場所で追悼の集会が開かれた。ニューヨークではセントラルパークに25万人が集まり、ジョンを偲んだ。写真からは悲しみと驚愕が伝わってくる。「どうして?」。彼を愛した人たちは問いかける。