じじぃの「ハラリ・サピエンス全史・人間はどこへ行くのか?科学する心」

【UG# 227】2018/04/2 人類最大の武器‘知恵’の正体 徹底解説 サピエンス全史

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=d_8AjHlGQeE


『科学する心』

池澤夏樹/著 集英社インターナショナル 2019年発行

第7章 知力による制覇の得失『サピエンス全史』を巡って より

人間はどこから来てどこにいるのか
十数年前、古代や先史時代のアートが見たくて世界中十数か所の遺蹟に赴き、『パレオマニア』という本を書いた。このタイトルは勝手な造語、古代妄想狂というような意味で、企画自体が誇大妄想だったかもしれない。現代文明に何かと不満があって、それに対抗する立脚点として古代を持ち出す。ギリシャ、エジプト、メソポタミア……。一般的な「昔はよかった」の極端な例だろうか。過去に戻ることはできないのは承知で、またそのつもりもないのに、現代を批判するために遠い昔を引き合いに出す。持論に都合のいい便法であるのはわかっているのだが。

今、また人間が立っているこの位置を改めて確認してみたいと思う。時事的な各論ではなく、総論として人間はどこから来てどこにいるのか、それが知りたい。1年先ではなく(それだってとんでもないことになっているかもしれないが)、100年先、1000年先が知りたい。まるでゴーギャンのあの絵のタイトルのように。

そういう視点から読んで『サピエンス全史』(河出書房新社)という本はおもしろかった。ユヴァル・ノア・ハラリという若いイスラエル人の手になるもので、まあ博学多才、八宗兼学、たいしたものだ。まずは知識の量がすごい。理系と文系をすっかり網羅しているようで、フィールドからフィールドへとジャンプして駆け抜けるように感服した。
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ディストピアが待っていても、この流れを止めるものはない
先が読めないままに高速で走っている。カーブの先が見通せない。この車にはブレーキがない。農業革命がヒトを奴隷化したと言うのはいいが、しかし戻ることはできないし、どこで間違えたのかも今となってはわからない。それはもう遠い過去だ。奴隷はいつになっても解放されない。同じことが資本主義についても、またグローバリゼーションについても(ハラリは帝国という表現を好むが)言えるのではないか。我々に未来を洞察する力はない。アルコール依存症の治療が自分が病気であることを認めるところから始まるように、この事実をまず認めよう。
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ハラリはサピエンスを論じて未来に向かう。生命科学はどんどん進んでいるから、人体改造や遺伝子操作によって今の環境に対してより適性の高い個体を生み出すことが可能になりつつある。コンピューターと生理学と脳の生理学も発達しているから、いつか意識をコンピューターに移し替えることができるかもしれない。そうなればサピエンスは不死を手に入れられる(電気が供給されている限り)。

問題はこの流れを止めるものはないということだ。農業革命の場合と「同じでその先にどれほどのディストピアが待っているにしてもフランケンシュタイン博士は研究を止めない。結局のところ、サピエンスはどこへ行くかわからないまま知力に駆動されてますます速く走ってゆくことになる。

ハラリの関心は数万年前に始まって今に至り、更に未来に向かうサピエンスの歩みである。だから科学者が実験動物を見るようにちょっと突き放してヒトを見ることができる。コンピューターの中で生きるサピエンスを肯定的に置いて考えられる。『楽しい週末』を書いたぼくはたった今ここで生きている人間たちに対する愛着が強すぎてそこまで客観視できない。

ヒトの未来について別の展開を提示しておこう。前に『楽しい終末』でも引用したところだが、サル学の江原昭善はこう言う──(脳のサイズはもう変わらないが)
「脳の使い方が変わるだけで、まだ飛躍できる余地がある。まだ脳の半分は遊んでいるといわれますからね、姿形はたいして変わらなくて、精神能力だけが大きく向上する。たとえば、人類の多くがキリストとかマホメットとか、ああいう偉大な精神能力を持った人間になるという可能性がある」(立花隆『サル学の現在』<文春文庫>)

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じじぃの日記。

池澤夏樹著『科学する心』という本に、「知力による制覇の得失『サピエンス全史』を巡って」というのがあった。

「ハラリの関心は数万年前に始まって今に至り、更に未来に向かうサピエンスの歩みである」

この章の最後に作家 立花隆さんの『サル学の現在』のことが書かれていた。

私も立花さんの本は数冊読んだ。

「人間とはなにか」を生涯問い続けた立花さんだった。

人類の知は今後相互に影響し合い、さらに複雑化。
個々の人の意識がくもの巣のように絡み合います。

それにより人類全体がより高次の意識を持ち次のステージに立つと、立花さんは書いていた。

「脳の使い方が変わるだけで、まだ飛躍できる余地がある。まだ脳の半分は遊んでいるといわれますからね、姿形はたいして変わらなくて、精神能力だけが大きく向上する」

100年後、世界は、そして日本はどうなっているんでしょうか。