イスラム教とお酒の歴史━━それでも私は酒を飲む。背中を鞭打たれるのを知りながら。
宗教を知る(「シャリーア(イスラーム法)」)
goo blog 慶喜
イスラム教徒の規範は、神から与えられ、法学者が解釈を付した「シャリーア」です。
https://blog.goo.ne.jp/taitouku19/e/0d34c1eae713fe42e622896311e81e8c
タリバンが記者会見 イスラム法の範囲で女性の権利認めると
2021年8月18日 BBCニュース
アフガニスタンを支配下に置いた武装勢力タリバンは17日、首都カブール掌握後初の記者会見を開いた。内外で懸念されている女性の権利については、「シャリア(イスラム法)の枠組みの中」で尊重すると述べた。
15日にカブールを掌握してから初の記者会見で、報道担当のザビフラ・ムジャヒド幹部は、女性は就労の自由が認められると述べた。しかし、他の規則や規制について詳細は明らかにしなかった。
https://www.bbc.com/japanese/58252824
日本人のためのイスラム原論(新装版)
【目次】
第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる
第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた
第2節……「日本教」に規範なし
第2章 イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」
第1節……「一神教」の系譜
第2節……予定説と宿命論
第3節……「殉教」の世界史
第3章 欧米とイスラム―なぜ、かくも対立するのか
第1節……「十字軍コンプレックス」を解剖する
第2節……苦悩する現代イスラム
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『日本人のためのイスラム原論(新装版)』
小室直樹/著 集英社インターナショナル 2023年発行
今もなおイスラムはなぜ欧米を憎み、欧米はイスラムを叩くのか?
この本を読めばイスラムがわかり、世界がわかる。
稀代の大学者、小室直樹が執筆した、今こそ日本人必読の書。
第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる より
第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた
規範の大原則は”白か黒か”である
イスラム教徒としての「第4の柱」は断食(サウム)である。
イスラム暦(れき)の第9月(ラマダン)の間、信者は断食をしなければならない。
断食と言っても、イスラムの場合、それは日の出から日没までに限定される。日が沈めば、物を食べてもいい。コーランには「その晩は妻と交わるがよい」とまで書いてある。
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イスラム教の規定では、たしかに断食は全信徒の義務である。しかし、その一方で断食をしなくてもいい人がいる。いわば、抜け道が存在するわけだが、この抜け道は、けっしてグレー・ゾーンなどではない。合法的例外なのである。
つまり、例外とされている妊婦や子ども、あるいは病人などは断食をしなくても、ちっとも罪の意識におびえる必要もなければ、憚(はばか)る(気がねする)こともない。明確に定められた例外規定に従っていれば、規範を破ったことにならないのである。
「宗教の法」が「社会の法」となるイスラム世界
では、旅行者の場合はどうか。これが砂漠でラクダで旅しているのであれば、文句なく例外規定にあてはまるだろう。じりじりと照りつける日差しの中、唾(つば)も飲み込んではいけないのであれば死ぬしかないわけだから、これは当然である。
しかし、同じ旅行と言っても、それがクーラーの利(き)いた自動車でほんの2~3時間の距離の町に行くのも旅と言えるのか。
これが数百年前の話なら、100キロも離れた町に行くのは旅行だった。東京から小田原までがだいたい100キロである。しかし、今はどうだろう。日帰りで行けるところに行くのを、旅行と呼べるか微妙なところである。
だが、そこで「その程度なら、まあ旅にしよう」と、いい加減に決めてしまったら大問題である。100キロで旅行なら、90キロの移動は旅行に含まれるのか、では80キロは、70キロは……こんな議論がきっと生まれてくるに違いない。
そういう主張をどんどん認めてしまったら、ついには「一歩家の外に出たら、旅行」という見解が生まれても何の不思議はない。これでは規範が完全に空洞化してしまうことになる。
そこで出てくるのが、イスラム法である。つまり、どこまでが旅行で、どこまでが単なる移動かの線引きは個々人で勝手に行なってはならない。イスラム法の規定に照らし合わせて、それが合法であるか、違法であるかを判定するというわけである。
イスラムの世界では「宗教の法イコール社会の法」である。
信者の生活は五行(ごぎょう)をはじめとする、さまざまな規範によって縛られている。日常生活のあれこれから始まって、商取引の方法、犯罪者への刑罰、戦争のやり方に至るまで、すべてがイスラムの教えに則(のっと)って定められている。そうした”規範の集合”が「イスラム法」であるのだ。
「イスラム法」のしくみ
イスラム法の基本にあるのが、コーランであることは言うまでもない。コーランは神が大天使ガブリエルを通じて与えた最高の啓典なのだから、これが最高の法源(ほうげん、法の基準)となる。
しかし、いかにコーランが神の言葉であるからといって、そこにすべての答えが書かれているわけではない。モハメッドの時代には、自動車という言葉すらなかったのだから、「どれだけ走れば、自動車旅行になるのか」という話がコーランに記されているはずもない。
では、そういう場合、どこに基準を求めるのか。
イスラム法では、コーランでは解決できないテーマが出てきた場合、まずコーランに次ぐ第2法源「スンナ」に拠(よ)り所を求める。スンナとは、預言者モハメッドの言行録(「伝承」)を学者がまとめた書物のことである。生前のマホメットの発言、行動などから、「これはいい」「ここが悪い」という判定を下すというわけである。
といっても、スンナはイスラムの啓典ではない。だが、イスラム法の法源の1つとして信徒の生活とは切っても切れない関係にあるわけだ。
しかし、もちろんマホメットの時代には自動車なんて存在しないわけだから、スンナを読んでも答えはない。
その場合、第3法源「イジュマー」の出番である。
イジュマーとは、もともと「決断」「合意」といった意味の言葉である。
コーランを読んでもスンナを読んでも答えがないとき、そこで登場するのがムジュタヒドと呼ばれる法学者たちである。
イスラム世界には前に述べたように僧侶や坊主はいない。しかし、その代わりに尊敬されているのが、ムジュタヒドである。彼らはコーランやスンナを完璧にマスターし、イスラム法の蘊奥(うんのう、極意)を極めた大学者である。
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たとえば、読者もご承知のように、イスラムでは飲酒を禁じているのだが、コーランが書かれた時代、つまりマホメットの時代において酒といえば、ワインのことであった。
だからコーランが禁止しているのはワインだけであって、ビールや焼酎、ウイスキーはいいという理屈も成り立つわけである。
しかし、コーランをよく読むと、神がワインを飲むのを禁じたのは、それが酩酊作用をもたらすものであるからだと分かる。したがって、ワインと同様の理由から、ビールもウイスキーも飲んでいけないという類推ができるというわけである。これがキヤースである。