じじぃの「カオス・地球_221_イスラム原論・第1章・旧約聖書・ユダヤ教」

嘆きの壁の前で祈る正統派ユダヤ教徒


【金言10選】ユダヤ人の成功の秘訣「タルムード」の教え

2017/8/25 NEWS PICKS
●戒律は成功につながるのか
厳しい戒律を守り、聖典を読む日々を過ごしながら、北欧にロンドン、シリコンバレーに、イスラエルを往来し、経済事情にも詳しい石角氏は、ユダヤ人たちが経済的に成功する背景について、一つの確信に至ったという。
ユダヤ人の成功を生み出しているのは、『不自由さ』です。ユダヤ教では、その宗教上の戒律ゆえに、常にユダヤ人が『飢餓の状態』に留め置かれ、普遍的なアイデアイノベーションを誘引しているのです」
https://newspicks.com/news/2439722/body/

日本人のためのイスラム原論(新装版)

【目次】

第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる

 第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた
 第2節……「日本教」に規範なし
第2章 イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」
 第1節……「一神教」の系譜
 第2節……予定説と宿命論
 第3節……「殉教」の世界史
第3章 欧米とイスラム―なぜ、かくも対立するのか
 第1節……「十字軍コンプレックス」を解剖する
 第2節……苦悩する現代イスラム

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『日本人のためのイスラム原論(新装版)』

小室直樹/著 集英社インターナショナル 2023年発行

今もなおイスラムはなぜ欧米を憎み、欧米はイスラムを叩くのか?
この本を読めばイスラムがわかり、世界がわかる。
稀代の大学者、小室直樹が執筆した、今こそ日本人必読の書。

第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる より

第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた

2大世界宗教の”母胎”となったユダヤ教
一時(いちじ)が万事(ばんじ)、キリスト教には、およそイスラム教のような規範はどこにもない。
しかし、それは当然のことで、そもそもイエスは規範を否定するところからキリスト教を作り上げたのである。
読者もよくご存知のとおり、キリスト教の啓典(けいてん)である聖書のうち、旧約聖書ユダヤ教の啓典でもある。というより、キリスト教ユダヤ教という土壌の中から生まれた宗教なのである。
ちなみに、イスラム教でも聖書を啓典(キターブ)とする。といっても聖書のすべてではなく、その中でも預言者モーセに与えられた「トーラー」(「モーセ五書」)、ダビデに与えられた「詩篇」。そしてイエスに与えられた「福音書」の3つだけが啓典となっている。

それはさておき、ユダヤ教イスラム教と同じ規範宗教である。イスラムではコーランやスンナなどが規範(=法)の基準、つまり法源(ほうげん)となっているわけだが、ユダヤ教ではトーラーと「タルムード」の2つが主要な法源である。
先ほども述べたが、トーラーとは預言者モーセに対して神が与えた命令である。
例の十戒(じっかい)もトーラーの中に書かれている規範であるわけだが、神がモーセに対して十戒を与えたときには、ひじょうに詳細な規定を同時に与えているのである。そうしないと十戒は規範ではなくなるのだから当然の措置である。

たとえば、礼拝について神はこう命じている。
神を礼拝するときに捧げる奉納物として許されるのは以下のものに限る。金、銀、青銅、青・紫・緋色(ひいろ)の毛糸、亜麻布(あまぬの)、ヤギの毛皮、赤く染色した雄羊の皮、いるかの皮、アカシアの材。
あるいは聖所(神を祀る場所)に置く燭台(しょくだい)についても、以下のように神は命令を下している。

  「純金の燭台をつくらねばならない。燭台はその台も軸も打出し細工でつくり、その盃(さかずき)、すなわちがくと花をそれにつける。6本の枝がそのわきから、つまり燭台の3本の枝は一方のわきから、さらに燭台の3本の枝は他方のわきから、つき出るようにつくる……」(「出エジプト記」25-31~32)

何ともうんざりするような細かさであるが、このように明確な定義をしないかぎり、規範は規範として機能しないのである。

ユダヤ教の規範は「タルムード」にあり
しかし、これだけ微に入り細(さい)を穿(うが)つ規定があっても、現実の生活において規範を守ろうとすれば、いろいろな問題が起きてくる。そこで生まれたのがタルムードなどである。

イスラムイスラム法学者がいるように、ユダヤ教にも規範の細則(さいそく)を確定するための学者がいる。それを律法学者と呼ぶ。律法とはユダヤ教における規範である。

タルムードは律法学者たちが作り上げたものである。

具体的には、昔から伝わる「ミシュナ」という口伝(くでん)をまとめ、さらにそれに関する学者の議論と解釈を加えたものがタルムードなのである。

だから、タルムードは時代を経るにしたがって、どんどん大きく膨(ふく)れあがった。
6世紀に成立した「決定版」とも言えるバビロニア版タルムードは、全20巻2000ページ、250万語以上の分量がある。
しかし、これだけ膨大な規定(=法)があったとしても、やはり充分ではない。イスラム法では第十法源まであったわけだが、ユダヤ教でもタルムードだけで解決できない場合、「バライタ」「メギラ」「セフタ」などの法源によって結論を出すことになっている。

律法破りをあえて行なったイエス
さて、イエスエルサレムの地でその教えを説(と)きはじめたわけだが、その教えはまさにユダヤ教の律法と対立するものであった。
エスは「私が律法や預言書(旧約聖書のこと)を廃止するために来たとは思ってなならない。廃止するどころか、成就(じょうじゅ)するためにやって来たのである」(マタイデン)と語ってはいたが、彼が実際に行っていることは、ちっとも律法にかなっていなかったからである。

こうした例は福音者の中に、いくつも記されている。
たとえば、マルコ伝の中にはイエスとその弟子たちがタルムードの定める断食日を無視したことや、労働をしてはいけない安息日に麦の穂を摘(つ)んだ話が記されている。こうした律法破りの行動をパリサイ人(ユダヤ教徒の一派)が詰問したところ、イエスはこう答えたという。

  「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」(「マルコ伝」2-27)

こんな”暴言”をユダヤの律法学者が許すはずはない。安息日は神が定めた規範である以上、絶対に守らなければならない。それを破るとは何事か。イエスがのちに十字架にかけられることになったのも、その最大の理由はこうしたユダヤ教徒の反発にあったのである。

こうした律法破りを行なったイエスが、はたして律法を完全に否定しつくすつもりだったかは、福音者を読むかぎりでは判然としない。「イエスは律法そのものは否定せず、その解釈に新機軸を出したのだ」と言う人もあれば、「いや、イエスは律法を廃止したのだ」と考える人もいて意見はまちまちである。

エスの生涯はあまりにも短い。だから彼が律法にどう対処していくつもりであったかは、知る材料があまりにも少ないのである。

パウロの回心によってキリスト教は完成した
ユダヤ教に由来する律法から、キリスト教が完全に自由になったのはパウロの時代に入ってからだった。

キリスト教はイエスが創始したものだが、その教えを完成させたのはパウロである。パウロなくして、今日のキリスト教はありえない。

パウロはパリサイ人の家庭に生まれ、自分自身も律法に忠実であった。成人してからは律法を守らないキリスト教徒を迫害したが、あるとき回心(かいしん、conversion)を経験してキリスト教に改宗。以後、熱心な伝道者となってエーゲ海一帯などを回る。最後には皇帝ネロによって処刑されたと言われている。