第2章 イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」
第1節……「一神教」の系譜
第2節……予定説と宿命論
第3節……「殉教」の世界史
第3章 欧米とイスラム―なぜ、かくも対立するのか
第1節……「十字軍コンプレックス」を解剖する
第2節……苦悩する現代イスラム
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『日本人のためのイスラム原論(新装版)』
小室直樹/著 集英社インターナショナル 2023年発行
今もなおイスラムはなぜ欧米を憎み、、欧米はイスラムを叩くのか?
この本を読めばイスラムがわかり、世界がわかる。
稀代の大学者、小室直樹が執筆した、今こそ日本人必読の書。
第1節……「一神教」の系譜 ――キリスト教の「愛」とアッラーの「慈悲」を比較する
「アッラー」になって神の性格は一変した
ユダヤ教やキリスト教における「神」とは、人類に対して容赦なき力を振るう神である。
神の怒りに触れれば、たとえ神を崇(あが)めていようともたちまち殺されてしまう。ましてや異教徒ななおさらのこと。
神にとって異教徒は「隣人」ではない。
彼らは皆殺しにしても、奴隷にしてもかまわない。財産はすべて没収すべて没収するがよい。
これが神がヨシュア(モーセの後継者として、古代イスラエルの民のカナーン入植を指揮した人物)に与えた指令である。
だからこそ、大航海時代のキリスト教徒たちは歴史上、類を見ないほどの虐殺や略奪を各地で行なって平然としておれた。アフリカの黒人は人間ではないのだから、奴隷にしても良心は痛まなかった。
この当時の白人は何もキリスト教精神神を持たなかったわけではない。むしろ、聖書に忠実であったと解釈することもできるのである。
ところが、この恐るべき神は「アッラー」と名前が変わったとたんに、その性格までも一変してしまうのである。
ユダヤ教の神(ヤハウェ)とキリスト教の神、そしてイスラムのアッラーは名前こそ違うが、同じ神である。このことはコーランの中にも明示されている。マホメットに啓示を与えたアッラーは、かつてアブラハムの前に現われたし、イエスを預言者として派遣した。そう書いてある。
だが、その人格ときたら、かつての恐ろしさの面影はどこにもない。これが同じ神であろうかと思うくらいである。
前にイスラム教の「六信(ろくしん)」を紹介した。
この6つの中で最も重要なのがアッラーであることは言うまでもない。
だが、アッラーを信じるとは、具体的にはどういうことなのか。
この点に関して、イスラム教に抜(ぬ)かりはない。
まず「アッラーの他に神がない」ことから始まって、アッラーは天地創造の絶対神であることを信じる。
アッラーは「全知全能 omnipotent」であり、どこにでもおられ(偏在 omnipresent)、天地とその間にあるすべてのものを作り、支配している。
唯一絶対の神なのだから、これは当然のことなのだが、この他にも信じなければならない重要なことがある。
アッラーの持っている99の美質。これらをみな信じることが求められる。
これらの性質についていちいち解説をしていく暇はないので、別表に掲げる。ご興味のある方、お時間のある方はそちらをじっくり読んでいただき、アッラーの金甌無欠(きんおうむけつ)たること(完全にして欠点がないこと)を実感していただきたい。
唯一神アッラーの99の美質
創始、引き下げ、保護、生を与える、約束、気高い・・・柔軟、巨大、先導、創造、忍耐。
これら99の美質の中で、もっとも重要なものは何か。
これが問題である。
その答えはコーラン劈頭(へきとう)を見ただけでも、ただちに分かるというものだ。
「讃えあれ、アッラー、万世の主 慈愛ふかく慈愛あまねき御神 審きの日の主宰者」(「コーラン」1-1~3)
イスラム流「聖書の読み方」
慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名(みな)において……」(コーランの冒頭)
イスラム教の神は、ユダヤ教やキリスト教の神とは大違い。けっして怒(いか)りにまかせて人類を滅亡させたりあるいは信者を試したりするようなことはない。その慈悲は海よりも深く、山よりも高い。
信者が少々の過ちを犯したぐらいでは、アッラーの神は怒ったりはしない。改悛(かいしゅん)の情しだいでは、優しく許してくださるであろう。
いったいなぜこんなに性格が変わったのか。
神様も、人格ならぬ神格修養道場にお通(かよ)いなさったのか。
そう考えてくるほどだが、イスラム教はこの点について、次のように述べている。
すなわち、ユダヤ教やキリスト教の信者たちは「神は恐ろしい存在」と考えているが、それがそもそもの誤解である。
なぜなら、もし、神がほんとうに心の狭い、慈悲心のない存在であったとしたら、今頃ユダヤの民は皆殺しに遭(あ)って、地球上に存在していなくても不思議はない。
何しろ、かつてイスラエル王国が存在したとき、その王たるソロモン(ダビデ王の息子)は信仰心を忘れて、他の神様を祀(まつ)った。
これは十戒(じっかい)冒頭の「我の他、何ものを神とすべからず」という戒(いまし)めを破ったことに他ならない。神を信じる者にとって、これぐらい重大な罪はない。
ところが、イスラエル王国はソドムやゴモラのように焼き尽くされたりしなかった。たしかに国は分裂し、滅んだが、民は殺されなかった。
つまり、お前たちは知らないだけで、神はずっと昔から慈悲深くおられたのだ……。
なるほど、こう説明されれば納得がいく。
旧約聖書を読んでいるだけでは、なぜ歴代のイスラエルの民があれだけ涜神的(とくしんてき)なことを行ないつづけておりながら、神が彼らを滅ぼさなかったかの説明ができないが、「慈悲ふかく、慈愛あまねきアッラー」だと思えば、すべて合理的に説明が付くのである。