じじぃの「未解決ファイル_316_真珠湾攻撃の真相」

Avenge December 7 (Pearl Harbor) (1942)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BIM4qUwHHSQ


Avenge December 7

●Description
This Second World War American poster, which depicts a sailor with a clenched fist and warships among explosions, refers to the surpirse attack by Japanese aircraft on Pearl Harbour on the morning of 7 December 1941.
One of the warships depicted is the USS 'Arizona' which was lost at its moorings resulting in a high loss of life.
https://www.awm.gov.au/collection/C96233

ハル・ノート

ウィキペディアWikipedia) より
ハル・ノート(Hull note)は、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前の日米交渉において、1941年(昭和16年)11月26日にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。

附属のオーラルステートメントでは、ハル・ノートは「太平洋全地域に亙る広汎乍ら簡単なる解決の一案」「六月二十一日附米国案と九月二十五日附日本案の懸隔を調整」と説明されているが、実際には日本側の要望はすべて無視したものであった。6月21日付米国案では、日中和平の条件として日本の立場に理解を示す文言(共産主義運動に対する防衛のための日本軍の中国駐兵を今後の検討対象とする、「満洲国に関する友誼的交渉」といった項目)もあったが、ハル・ノートは条件をつり上げたことになる。

【日本側の反応】
昭和天皇は27日午後1時27分に東條英機首相から日米交渉について奏上を受け、翌28日午前11時30分には東郷外相からハル・ノートの説明を受けた。『木戸幸一日記』には11月28日の欄に「東郷外相参内米国の対案を説明言上す。形勢逆転なり」と記されている。
昭和天皇の戦後の回想では、「実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、万一の僥倖に期しても、戦つた方が良いといふ考が決定的になつたのは自然の勢と云はねばならぬ、…その内にハルの所謂最后通牒が来たので、外交的にも最后の段階に立至つた訳である」となっている。

つまり、ハル・ノートで米国から満洲撤兵の要求もあったと公然と言われるようになったのは戦後のことであり、その起源を辿ると、東京裁判における被告側(日本側)の主張―満洲を含む中国からの撤兵という苛酷な要求により日本は開戦を強いられたという「ハル・ノート開戦説」―と一致する。

また、ジョセフ・グルー駐日米国大使はハル・ノートは決して最後通牒ではない、日米間で認められた協議の基礎を明示したものであることを東郷茂徳外相に説明したいと、吉田茂に依頼して会談を申し入れたが、東郷は応じなかった。後にグルーは東郷に会ったが、「自分は甚だしく失望している」と告げられたという。

実際、東郷や大蔵大臣の賀屋興宣も開戦に反対せず、海軍も戦争の決意を固め、全員一致で開戦の決意がなされた。その意味でハル・ノートは日本にとって真珠湾攻撃に匹敵する衝撃を与えたとする主張もある。

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『絶対に明かされない世界の未解決ファイル99』

ダニエル・スミス/著、小野智子+片山美佳子/訳 日経ナショナルジオグラフィック社 2022年発行

真珠湾攻撃の真相 より

【未解決ファイル 米国大統領ルーズベルトは日本の攻撃を事前に知っていた】
日本による真珠湾攻撃は、米国海軍に多大なダメージをもたらし、第二次世界大戦に米国が加わるきっかけとなった。もし真珠湾攻撃がなく、米国が参戦していなければ、現在の世界は全く違うものとなっていただろう。ところで、当時の米国大統領は、攻撃が差し迫っていることを知りながら、あえて放置していたという疑惑は本当だろうか。

1941年12月7日、ハワイの真珠湾は日本軍による奇襲を受け多くの軍艦と軍用機が破壊された。米兵の犠牲者は2400人に達した。大統領フランクリン・D・ルーズベルトはこの日のことを「歴史に残る不名誉な日」と述べている。

翌日、米国は日本に対して宣戦布告、それに応じる形でドイツとイタリアが米国に宣戦布告する。遠い海の向こうで起こっている戦争に介入しない、という圧倒的な米国の世論は、真珠湾攻撃を受けて一転し、参戦を後押しする民衆の声が高まっていった。

米国の参戦は、第二次世界大戦終結の時期と結果に多大な影響を与えたと歴史家は口を揃える。第二次世界大戦中の英国の伝説的な首相、ウインストン・チャーチルは、米国の参戦は極めて重要だという考えを以前から抱いており、過去にホワイトハウス参戦を断られて業を煮やしていた。確かにルーズベルトは難しい立場にあった。世界の勢力の均衡を維持するためには、米国の参戦が必須だと考えていたことは確かだ。ただその一方で、国内の世論を無視することもできなかったのだ。

そんなジレンマに陥っていた大統領が、奇襲攻撃に憤慨しながらも、多少安堵の気持ちを抱いたのは無理もないことだった。究極の徴発を受け、国内外の誰もが参戦を正当と考えるような状況が出来上がり、戦争への道が開かれたのだ。

ところが戦後、この一連の出来事に新たな疑惑が浮上する。ルーズベルトは日本の攻撃を事前に察知していたが、宣戦布告の口実を作るために、あえて阻止しなかったというのだ。

多くの文書や個人の回想録の随所に「日本を窮地に陥れて徴発する」意図がホワイトハウスあったことが垣間見える。たとえば、米国は日本に対し、中国からの撤退を要求していたが、当時の政治評論家は異口同音にに、日本がそのような要求をのむはずがないとしていた。つまりそれは、日本を焚きつけるのが目的の、計画的な要求だったと思われる。

また、証拠となる文書もある。陸軍長官ヘンリー・スティムソンが、真珠湾攻撃の10日前の日記に、大統領との会話について書いている。その内容は「米国を大きな危険にさらすことなく、日本から攻撃するよう仕向けるにはどうすればよいか」というものだった。
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米国が真珠湾攻撃を事前に知っていたかどうか、という疑問については、さらに検討の余地がある。米海軍諜報局が日本軍の接近を無線で傍受していた可能性はあるが、内容を解析し、攻撃が差し迫っているということを理解できたか否かははっきりしない。そして、無線の内容を大統領が聞いたかどうかも分かっていない。

ただ、大統領の執務室には、攻撃の3日前に26ページに及ぶ、ある書類があったとされる。それには日本が、特に米国西海岸、パナマ運河、ハワイ準州に関心を示しており、米国陸海軍および商業上の情報を手に入れようとしているという警告が記されていた。

具体的な攻撃に関するものではないにせよ、警告の書類があった以上、真珠湾攻撃は青天のへきれきとまでは言えないはずだ。また、真珠湾攻撃の数週間前から、ハワイに大量の医療物資や備品が運びこまれたという説もある。

ルーズベルトは日本の真珠湾攻撃のことを事前に認識していながら、単に、日本が米国海軍基地の防御を破るほどの艦隊をハワイに送り込むことなどできないと高をくくっていたのだという説もある。

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じじぃの日記。

ダニエル・スミス著『絶対に明かされない世界の未解決ファイル99』という本に、「真珠湾攻撃の真相」というのがあった。

未解決ファイル 米国大統領ルーズベルトは日本の攻撃を事前に知っていた?

真珠湾攻撃」は歴史の転換点なのだそうだ。

真珠湾攻撃によって、第二次世界大戦への米国の参戦は決定的となり、その結果米国は枢軸国(日本、ドイツ、イタリア)と敵対することになった。

アングロサクソンはなぜ最強なのか

世界の覇権は18世紀初めにイギリスが、その後アメリカが握った。

一説に、アングロサクソンとは戦争をしてはいけない、というのがあるんだそうです。

「もしトランプ大統領が再登場したら?」を意味する“もしトラ”という言葉がはやっています。
トランプさんを、信じるか信じないかはあなた次第です!