ムハンマドの言行=「スンナ」
コーランを分かりやすく解説!知られざる内容やイスラムにおける重要性とは?
ターキッシュエア&トラベル
●コーランの文章は音楽(歌)のように美しい
コーランは目で読まれるものではなく、読誦(声を出して読む)されるものだとされています。コーランの文章は詩のように韻をふんでいて、音楽のような独特なリズムと響きがあってとても美しいと言われているので、アラビア語が分からない人が聞いても、その美しい響きを感じられます。
https://turkish.jp/turkey/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3/
第2章 イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」
第1節……「一神教」の系譜
第2節……予定説と宿命論
第3節……「殉教」の世界史
第3章 欧米とイスラム―なぜ、かくも対立するのか
第1節……「十字軍コンプレックス」を解剖する
第2節……苦悩する現代イスラム
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
『日本人のためのイスラム原論(新装版)』
小室直樹/著 集英社インターナショナル 2023年発行
今もなおイスラムはなぜ欧米を憎み、、欧米はイスラムを叩くのか?
この本を読めばイスラムがわかり、世界がわかる。
稀代の大学者、小室直樹が執筆した、今こそ日本人必読の書。
第2節……予定説と宿命論――イスラムにおける「救済とは何か」
コーランを丸暗記するムスリム、聖書知らずのクリスチャン
ところで、ここで付言しておけb、ルターやカルヴァンたちが「聖書に帰れ」と主張したことを先ほど紹介したわけだが、これは考えてみればおかしな話だ。
・
実は中世のクリスチャンたちは、ほとんどと言っていいほど聖書を読んでいなかった。クリスチャンでありながら、一生、聖書を読んだことのない信者がざらであったのである。
だからこそ、長い間、カトリック教会が聖書に書かれていない秘蹟を行なっていても、そのおかしさに誰も気が付かなかった。こういうわけなのである。
こんなことはイスラム教では考えられない話だ。
イスラム教では、昔から信者にコーランを徹底的に読ませる。
かつて中国の科挙(かきょ)では、受験生は四書五経(ししょごきょう)を丸暗記したものだが、それと同じようにイスラム圏でも教育の基本はコーランであり、イスラム法学者になるほどの逸材(いつざい)ともなれば、成人前にコーランを完全に暗誦し終えている。
すでに本書の中で紹介した『イスラームの法』(東京大学出版会)の序文にも、著者ハッラーフ教授が「町のコーラン学校で聖コーランの暗誦を終えて、1900年にアズハル大学に入る」という略歴が麗々(れいれい)しく掲(かか)げられている。
断っておくが、コーランの分量はけっして少ないない。
日本語訳のコーランを例にとれば、その総ページ数は文庫本で900ページに達する。
前にも述べたように、コーランは「読誦(どくしょう)」という意味のアラビア語から生まれた言葉から生まれた言葉である。そのことからも分かるようにコーランは一種の詩であって朗誦(ろうしょう)に向いているから、「詩篇(しへん)」以外はすべて散文の聖書に比べれば覚えやすいのかもしれない。
だが、それにしてもこれだけの分量を覚えるのは容易なことではない。それを完璧に暗記してしまう少年が現われるくらいだから、いかにコーラン教育が重視されているかが分かるというものだ。
ユダヤ教でも、これは同じである。ユダヤ人の子弟教育では、やはりトーラー(モーセ五書)を読ませ、暗記させることに重点を置く。
何しろ啓典というのは、神が与えし聖なる書であり、しかも日常生活を律するものなのだから、暗記するのは信者として当たり前のことなのである。
ヨーロッパが”文字なき”ころ、イスラムは”学問の園”だった
ところが、同じ啓典宗教のキリスト教では、その当たり前のことが行なわれていなかった。
なぜ、そんな「あってはならないこと」が許されていたのか。
その理由は大きく言って、2つある。
1つは、中世のヨーロッパではそもそも字が読める人間が圧倒的に少なかった。識字率は10パーセントとも、わずか2パーセントとも言われているが、聖書を読もうにも字を知らないのではどうにもならない。
ちなみに11世紀のサラセン諸国(アラビア北部のアラブ人)では、識字率は100パーセントに近い。信者なら誰でもコーランを読まなければならないのだから、それは当然のことだとも言えるが、そのころのヨーロッパとイスラム圏とでは、民度(みんど)において圧倒的な差があったのである。
しかも、当時の聖書はギリシャ語かラテン語で書かれたものがあるのみだった。ヨーロッパの各国語に翻訳されるのは宗教改革になってからの話である。
だから、当時のカトリックの僧侶の中にも、ギリシャ語聖書を読めない人間がざらにいたのだ。いや、聖ヒエロニムスによるラテン語訳聖書すら読めない僧侶もいた。
そこでもう一度、比較のためにイスラム圏の状況を言えば、イスラムではトーラー(モーセ五書)や福音者はコーランに次ぐ聖典とされていたから、ギリシャ語で書かれた聖書を読める人間はざらにいたし、その研究もさかんに行なわれていた。さらに付け加えれば、イスラム圏ではギリシャ哲学に関する研究も進んでいた。
だから、当時のキリスト教の神学者たちは、異教のサラセン諸国に留学しては、聖書の読解やギリシャ哲学をムスリムの学者から学んでいたわけである。
つまり、キリスト教会にとっては、イスラム圏は大事な恩師なのである。今日のキリスト教進学があるのは、まさにイスラムのおかげと言ってよい。その恩師を十字軍で襲うのだから、ほんとうにキリスト教徒というのは因業(いんごう)な連中だ。
さて、それはさておき、中世のクリスチャンが聖書を読まなかった、もう1つの理由はもちろん教会の側にある。
つまり、信者に聖書を読ませたら、教会のインチキがばれてしまうから、彼らはあえて聖書を遠ざけた。そしてその代わりに、賛美歌をうたい、祈祷書(きとうしょ)を読ませて、お茶を濁(にご)していたというわけである。