じじぃの「カオス・地球_229_イスラム原論・第2章・マホメットの奇蹟」

Voice of Quran Episode 05 | Quran Ki Awaz | Ramzan Special 2023 | Kids Madani Channel

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mwpYCPb-tLQ

Quran


The voice of Quran

#SurahYasin #SheikhSudais #Hamza
About Surah yaseen:―― Yaseen; Arabic: ―― is the 36th chapter (surah) of the Quran.
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ざっくり聖書入門 「エレミヤ」~預言者たち~

【エレミヤのプロフィール】
①祭司、レビ族出身 (ベニヤミン領内の町アナトテ)
②若くして預言者に召される。
③生涯独身。
④繊細で、慎み深い人。
しかし、イスラエルの罪を厳しく糾弾する奉仕に用いられた。
イスラエルの苦難の時代に生き、「涙の預言者」と呼ばれる。
https://seishoforum.net/tokachi/wp-content/uploads/sites/45/2020/05/336392f4cdb6e0a991a9c52b2eaf3757.pdf

日本人のためのイスラム原論(新装版)

【目次】
第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる
 第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた
 第2節……「日本教」に規範なし

第2章 イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」

 第1節……「一神教」の系譜
 第2節……予定説と宿命論
 第3節……「殉教」の世界史
第3章 欧米とイスラム―なぜ、かくも対立するのか
 第1節……「十字軍コンプレックス」を解剖する
 第2節……苦悩する現代イスラム

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『日本人のためのイスラム原論(新装版)』

小室直樹/著 集英社インターナショナル 2023年発行

今もなおイスラムはなぜ欧米を憎み、、欧米はイスラムを叩くのか?
この本を読めばイスラムがわかり、世界がわかる。
稀代の大学者、小室直樹が執筆した、今こそ日本人必読の書。

第2章 イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」 より

第2節……予定説と宿命論――イスラムにおける「救済とは何か」

マホメットが起こした「最大の奇蹟」とは何か
奇蹟という概念はもちろんイスラム教の中にもある。イスラム教においても、神は絶対にして万能なのだから、呪術の付け入る隙はないのである。
ただし、「神の子」であるイエスはさかんに奇蹟を起こしているが、マホメットは生前、瀕死の病人を救ったこともないし、火の中、水の上を歩いたこともない。

そこで周囲のユダヤ教徒キリスト教徒どもはさかんにマホメットを揶揄(やゆ)した。
「神の声が聞こえるというのなら、奇蹟の1つも起こしてみせたらどうか」と言うわけだ。
これに対して、マホメットは堂々と答えた。

すなわち「コーランこそが最大の奇蹟である」と言ったのである。

大天使ガブリエルが私の前に現われ、神の言葉を伝えてくださった。これ以上の奇蹟があろうか。「その証拠に……」と彼は言った。
もし、この奇蹟を疑うのであれば、コーランの詩句を超える作品を書いてみるとよい。コーランの文章は神自らがお作りになったものであるから、人間ごときに真似(まね)できるわけがない。
この挑戦に対して、アラブの詩人たちはコーラン以上の作品をを作る作ろうとした。しかし、それらはいずれも失敗したと伝えらている。
と書くと、読者の中には「そんなものはイスラム教徒の自画自賛」だろう」と思う人が多いにちがいない。
だが、コーランの詩句が人間業(わざ)とは思えぬ出来であることは、多くの人が証言している。
たとえば、コーランの日本語訳を完成させたイスラム学者の井筒俊彦氏は、こう記している。

  「実は『コーラン』には特殊な文法上の技巧が非常に上手に使用されているのである。この技巧、ないし技術は人為的になかなか真似できるものではない」(岩波文庫コーラン』上・解説)

イスラム圏のモスクから流れてくるコーランの(どくしょう)が、荘重(そうちょう)にして美しい響きを持っていることは素人でもよく分かる。
そもそも、コーランとは「読誦」という意味のアラビア語から生まれた言葉である。このことからも分かるように、コーランはそもそも声に出して朗誦(ろうしょう)されてこそ、本当の美しさが発揮できると言われている。そしてその美しさは、異教徒にも充分伝わるものなのである。

ちなみにここで付言しておけば、読み物としてはコーランは決して面白いものではない。というのも、アッラーの言葉だけを集めたものだから、そこには聖書のような物語性はないからである。また、その配列順も読み手のために工夫を凝(こ)らしたものではなく、おおむね時間的に新しいものから古いものへと配列してあるだけだ。

したがって、何も予備知識を持たずにコーランを読んでも、早々と挫折するのは請け合いである。

もっとも、コーランを編纂(へんさん)したのはマホメットではなく後世の人間なのだから、これはマホメットにも、無論アッラーには責任はないのだが。

預言者エレミヤの悲劇
さて、古代イスラエル人が行なった一神教の合理化は「奇蹟」と同時に「預言者」という概念をもたらした。これもまた他の宗教に類(るい)を見ないものである。
すでに述べたように、多少なりとも呪術的要素が混入している宗教では、神官や祭司といった聖職者が現われる。彼らが大事にされるのは、神を操るための呪術を知っているからである。
しかし、ヤハウェはこのような存在を許さない。
なぜなら、神は絶対にして万能の存在であり、人間なぞが操れるわけなどないからである。
そこで現われたのが預言者であった。

預言者とは何か。

わかりやすく言えば、預言者とは「神のラウド・スピーカー」である。つまり、神の言葉を人々に伝えるために選ばれた人物である。神の道具といったほうがイメージを持ちやすいかもしれない。
この預言者の代表がモーセである。
モーセは最初からイスラエル人を救うといった願望を抱いていたわけではない。
神が突然、彼の前に現われて命令したので、そのとおりに従った。そして神の指示に従って話し、神の指示どおりに行動した。そこにはモーセの自由意志は存在しない。つまり神の道具なのだ。

この預言者像が極限にまで推し進められたのが、預言者エレミヤである。
エレミヤは、古代イスラエル王国が南北に分裂したのちに現われた預言者である。
聖書によれば、このエレミヤは生まれる前から預言者として定められていた。
だが、生前から神に選ばれていたからといって、彼に何かの特権が与えられたり、あるいは幸福や富(とみ)が約束されていたというわけではない。それとは逆に、預言者になったがゆえに、エレミヤは不幸な人生を送らなければならなかった。

というのも、神が彼に与えた使命というのは、イスラエル人に対して警告を与えよというものであったからだ。
すなわち、イスラエルの人々は神を軽んじ、神との契約を守らなくなった。そこで神が間もなくイスラエルの民に災いを与えることにしたから、それを警告して回れというわけだ。
これに対して、エレミヤは「まだ私は若くて、どう語っていいのかも分かりません」と答えた。
すると神は「若いから」などというのは理由にならないとピシャリとはねつけて、こう命じたのである。

  「すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない」(「エレミヤ書」1-7)

つまり、預言者エレミヤには何の拒否権もないというわけだ。望む望まざるに関係なく、神の命じたとおりに語り、行動せよ。これぞ預言者預言者たるゆえんである。
そこでエレミヤは神の命じたとおりに行動した。
その結果は、まさにエレミヤにとって苦難の連続であった。
というのも、エレミヤの口から出てくる「神の言葉」はイスラエルの人たちにとっては不愉快というか、不吉(ふきち)このうえない。何しろエレミヤが言うことときたら、「このままでは、お前らは滅びるであろう」ということだからだ。