じじぃの「カオス・地球_217_イスラム原論・第1章・キリスト教との違い」

ユダヤ教キリスト教イスラム教】3つの宗教の始まりが超簡単に理解できる。

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=znUg-0DBzJs

図1 あまり現実に即していない「3聖典の包含関係」イメージ


イスラム教徒はキリストの生誕を祝うのか?

2015.12.21 JBpress
●三経典の包含関係
キリスト教ユダヤ教の「旧約聖書」を聖典に含み、イスラム教はユダヤ教キリスト教の新旧約聖書聖典に含む・・・こんな風に書くと、多くの人は 図1のような関係を想起されるかもしれません。

ユダヤ教のすべてを、キリスト教が是としたわけではないのです。形骸化した「律法」の多くをイエスが否定して回るさまは福音書の随所に生き生きと描かれている。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45573?page=4

日本人のためのイスラム原論(新装版)

【目次】

第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる

 第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた
 第2節……「日本教」に規範なし
第2章 イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」
 第1節……「一神教」の系譜
 第2節……予定説と宿命論
 第3節……「殉教」の世界史
第3章 欧米とイスラム―なぜ、かくも対立するのか
 第1節……「十字軍コンプレックス」を解剖する
 第2節……苦悩する現代イスラム

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『日本人のためのイスラム原論(新装版)』

小室直樹/著 集英社インターナショナル 2023年発行

今もなおイスラムはなぜ欧米を憎み、欧米はイスラムを叩くのか?
この本を読めばイスラムがわかり、世界がわかる。
稀代の大学者、小室直樹が執筆した、今こそ日本人必読の書。

第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる より

第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた

2大世界宗教の決定的な違い
アラビア語で分かるとおり、日本にイスラム教が入ってこなかった責任をイスラム教の側に求めるのは無理というものである。言葉に代表される、さまざまな壁を乗り越えてきたからこそ、現にイスラム教は世界に広まった。現代風の言い方をすれば、イスラム教にはグローバルな魅力があったというわけである。
ところが、その魅力が日本人にだけは伝わらなかった。
ということは、これはイスラム教の問題というより、日本人のハワの問題なのである。
日本人にとっては「馬の耳に念仏」ならぬ「馬の耳にコーラン」。ありがたいアッラーの教えをムスリムたちがどんなに熱心に説いて聞かせても、世界中で日本人だけは最初からそれを受け付けようともしなかった。だからこそ、日本にはイスラム教徒が少ないのである。

では、いったいイスラムの教えのどこが、日本人にとって駄目だったのか。
その答えを知るには、キリスト教イスラム教を比較してみるのが一番である。
ご承知のとおり、キリスト教イスラム教も、ともに唯一にして絶対の神を信仰する一神教である。
しかも、マホメットに大天使ガブリエルが訪れたことでも分かるように、その信仰の基盤にはともに聖書がある。ガブリエルはキリスト生誕のようすを記した宗教美術にしばしば現れてくる。マリアに受胎を告知したのも、この大天使である。

キリスト教でもイスラム教でも、旧約聖書に書かれていることはすべて真実であると見なす。神がこの世界を作りたもうたことも、アダムとイブの楽園追放も、イブの洪水も、はたまた古代イスラエル人のエジプト脱出(エクソダス)もすべては事実。またシナイ山モーセに神が十戒(じっかい)を下されたことも、キリスト教イスラム教も歴史的事実であると考える。

このように共通点が多い2つの宗教だが、決定的に違うところが1つある。

その答えは、規範(ノルム)の存在である。

規範とは、分かりやすく言ってしまえば、「これをしろ」「あれをしろ」という命令(禁止)である。

キリスト教には、この規範がまったくない。

これに対しイスラム教は規範だらけ。規範なくしては、イスラム教ではない。

この大きな違いこそ、我々は注目しなくてはならない。

規範は「目に見える行動」だけを対象にする
キリスト教は「無規範宗教」である。
キリスト教には規範がない。これに間違いはない。そのことをこれから証明していきたい。
先ほども述べたように、規範とは「これをしろ」「あれをするな」という命令(禁止)であるわけだが、この場合、あくまでも人間の外面的行動に限られる。
ここが理解のポイントである。
なぜ、規範は外面的行動に限られるのか。
外面的行動でなければ、命令を破ったか破らなかったかが測定できないからである。
このことをイスラム教の場合で考えてみよう。
イスラム教の信者には、基本的な義務として「六信五行(ろくしんごぎょう)」というものが課せられている。読んで字のごとく、6つのことを信じ、5つの行ないをなせ。これを守らなければ、イスラム教を信じたことにならないのである。

まず、六信の中身を簡単に説明しよう。
イスラム教徒は、以下の6つを信仰しなければならない。すなわち、神(アッラー)、天使(マラク)、経典(キターブ)、預言者(ナビー)、来世(アーキラット)、天命(カダル)である。
これらの個々の説明は後で述べるつもりだが、要するに、イスラム教徒は神や天使の実在を信じ、コーランに代表される教典や預言者マホメットの言葉を信じなければならない。また、最後の審判ののちに天国(イスラムでは緑園と呼ぶ)か地獄のどちらかに行くことや、この世の中の出来事はすべてアッラーの意志に基づくことに疑いを差しはさんではいけないというわけである。

信仰とは文字どおり、信じることだが、キリスト教とは根本的に違う。
神(アッラー)にはきちんとした九九の属性があり、それらもすべて信じなければならない。その他の天使(マラク)以下の五者も内容は確定されており、それらもまた信じなければならない。
さらに問題は、五行のほうである。