じじぃの「カオス・地球_167_共感革命・第5章・戦争は人間の本性か」

荀子 性悪説性善説 天命を否定した人物【人間関係】

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習近平の行動哲理【兵不血刃】(刃に血塗らずして勝つ) 狙うは多極化と非米陣営経済圏構築

2023/7/22 Yahoo!ニュース
【執筆者】遠藤誉(中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士)

習近平の行動哲理はは荀子(じゅんし)の【兵不血刃(ひょうふけつじん)】=【刃(やいば)に血塗らずして勝つ】だ。台湾平和統一然り、「米一極から多極化への地殻変動」然り。最後に笑うのは誰かを狙っている。中国経済が芳しくない中、米政府高官の北京詣でが続いたのもその現象の一つだ。

毛沢東の行動哲理は荀子の【兵不血刃】
2013年12月26日の「半月談」(中共中央宣伝部委託新華社主宰の隔月版雑誌)は、「毛沢東の尋常でない読書量に関しては今さら言うまでもないが」と断った上で、毛沢東がことのほか、荀子に深い興味を持っていたことを紹介している。

荀子というのは紀元前313年頃から238年(諸説あり)まで生きていた中国戦国時代末期の思想家・哲学者で、「性悪説」で知られる。
荀子は農業こそは国家の富の生産の最も重要なもので、「人々がただ学者でしかなく(思想・哲学のみを語り)、産業や商業に力を注がないと、国家は貧しくなる」と断言している。
毛沢東荀子哲学の中でも、特に【兵不血刃】(刃に血塗らずして勝つ)が気に入っていた。

 そのため毛沢東は農業を重んじ、また「農村を以て都市を包囲する」という、【兵不血刃】の哲理で戦うことを得意とした。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c16a420f060d592820a62afbbfa2a617492a80d7

河出新書 共感革命――社交する人類の進化と未来

【目次】
序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった
第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション
第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心
第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した――生存戦略としての家族システム

第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象

第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す――自然とつながる身体の回復
終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代

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『共感革命』

山極壽一/著 河出新書 2023年発行
人類は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、独自の進化を遂げた。やがて言葉を獲得したことによって「認知革命」が起きたとされている。しかし、実はその前に、もっと大きな革命があった。それが「共感革命」だ。

第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象 より

西洋近代への日本霊長類学者の反論

人間を戦争へと導いた理由としては、共感力も挙げられるだろう。

17世紀、トマス・ホッブズは『リヴァイアサン』の中で、自然状態の人間は闘争状態であるから、その闘争状態に秩序をもたらすためには大きな権力、リヴァイアサンという怪物を必要とし、人びとが自分たちの権利をそこに譲渡し、その権力による支配が平和をもたらすと記した。政治権力を認める考え方である。
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しかし、今西錦司の根本原理は棲み分け論で、競争原理ではない。

世界にこれだけ多様な生物がいるのは、生物が互いに共存し合おうと互いの性質を変え、環境に適応するように暮らし方を変えていったからで、「棲み分けの多様化」こそが進化なのだと主張した。
大変画期的な考えだったが、残念ながら当時、この主張は認められなかった。進化のメカニズムが、競争によるものではなく、共存によるものだという説を証明できなかった。

だが、これは大変重要な考えだ。今西が主張した進化は大進化のことで、ダーウィンの進化は個体の進化、つまり小進化なのだ。生き残ることによって、その個体の子孫の性質は受け継がれる。これは遺伝子レベルで証明が可能だ。しかし、今西の考える進化は、その種全体が変わっていくことであり、個体の進化を説明しているわけではない。なぜオオカミとリカオンの違いが生まれたのか、ゾウとキリンのような形が違う動物ができたのか、有袋類、有胎盤類という系統の全く違う哺乳類でフクロオオカミ、オオカミという形態のよく似た種が生まれたのはなぜか、などということを捉えていった進化論なのだ。

巨大文明が築かれ、世界宗教が誕生した

現代の社会では、これまで想像もしなかった形で不平等が生まれている。情報通信機器が様々な文化のあいだをフラットにつなぐことで、そこに見えない権力が生じ、階層ができる。世界は見事に、情報文明による中央集権的な社会となったのである。

これまで人類は、対面で付き合い、目の前にいる他者に配慮することによって平等性をつくってきた。土地の特性に合わせ不平等が生じないよう工夫してきた。

ところが情報の大流通によって、文化は消滅した。これまで不平等をなくすためには権力を倒せばよかったが、現代ではその権力が見えにくくなった。これが今、直面している大きな危機なのだ。

人類は共感力を誤ったがゆえに、闘争と暴力が支配する社会を助走している。

哺乳類と霊長類と人間の死亡率を比較し、集団間の暴力によって死亡した1000人あたりの人数を計算したところ、哺乳類に対し霊長類は数倍高い死亡率だったという論文が、2018年に「ネイチャー」誌に発表された。その理由は、霊長類が集団でなわばりを構えて敵対する傾向が強いからと見なされている。

人類の祖先も、今から5000年前までは他の霊長類と同様の比率だった。それが5000年から3000年前、巨大な文明が現れた時代に一気に変動し、死亡率は10倍以上に急上昇している。

農耕牧畜が登場した際、集団間の暴力は増えたが、初期の暴力の増大は大きくなかった。その後、農耕地が拡大して支配と被支配の構造が生まれ、君主制が登場して巨大文明が生まれ、暴力は激増した。そしてその直後に世界三大宗教が生まれる。キリスト教イスラム教、仏教だ。まさに人間の文明による暴力を解釈し、それを軽減しなくてはならない時代が到来したのだ。

繰り返しになるが、暴力や戦争は、人間の本性ではない。言葉によって人間がつくりあげてしまった虚構なのだ。人間の共感力はその虚構を強固なものにしてしまった。虚構が敵対意識をつくり出し、暴力を正当化してしまったのだ。

戦争は人間の本性ではない

今、世界中の政治家は、人間の本性が悪だと思い込んでいるように見える。

だからこそ人間の本性を抑えつける必要があり、人々が平和に暮らせるよう、秩序をもたらすためには管理するための権力が必要で、それが政治家の役割だと考えている。

しかし、オランダの若き歴史家でジャーナリストのルトガー・ブレグマンが著わした『Humankind 希望の歴史』は、人間の性悪説を見事に覆してくれる。

彼は有名なスタンフォード大学の囚人実験や、ミルグラムの電気ショック実験などの欺瞞(ぎまん)を暴いた。人間の本性を悪だと考える人たちが信じている歴史的なエピソードのウソを豊富に紹介しており、人間は本来助け合う心に満ちていると実感できる。
この本は、人間の本性を性善説として解釈したら、世界はどう見えるだろうかと問いかけているのだ。

人間は共感力をもって他人同士が助け合うことに喜びを見出し、社会をつくってきた。
この本ではホッブズの「万人の万人による闘争」も、ダーウィンの「自然淘汰」の社会進化も懐疑的に見られている。まさにその通りなのではないかと私も思う。

しかし、いまだに、戦争は避けられない、戦争は人間の本能だ、と考える人々は多い。この「戦争は人間の本性だ」という考えには、ある背景がある。

オーストラリアの人類学者、レイモンド・ダートは、1924年南アフリカで、約250万年前のアウストラロピテクス・アフリカヌスという人類の古い化石を発見した。そしてダートは、第二次世界大戦直後の1950年代になって突然、人間にとって戦争はずっと古い現象だったと言い始めた。

ダートは、200万年前、猿人の時代から人間は戦い合っており、その証拠として古い人類の化石を見つけたのと同じ場所で頭蓋骨が陥没している化石を見つけた。人類は石器のような道具を使う前に動物の骨を道具にしていたと主張した。頭蓋骨の陥没は、骨でつくった棍棒で人間同士が殺し合っていた跡と見なして、だから戦争は人間によって本性なのだ、というのである。

しかし今、この仮説は完全に否定されている。ダートは動物の骨を使って撲殺したと主張したが、その傷は、洞窟内の岩石が落下した結果できたもので、頭骨にあいた穴は、ヒョウの牙と一致したため、ヒョウに食べられたものだとわかった。つまり自然災害や他の動物の餌食になっていたことが証明されたのだ。人間同士が殺し合った跡ではないことが多くの人類学者、生物学者の調査・研究によって明らかになり、ダートの説は間違いだったとわかった。

人間が初めて狩猟のために石器を使用して槍をつくったのは50万年前である。しかもその頃の石器はただ木の先につけられているだけで、投槍ではなく、殺傷力も低かった。

人間が狩猟によって社会をつくったという説もあったが、これも間違っている。人間は狩猟される側として、いかに安全を確保するか、安全のためにいかに仲間と協力するかが集団生活の主な動機だった。肉食動物の脅威から逃れるために仲間同士で助け合い、安全確保を最優先することによって、社会がつくられてきたと考えるほうが自然だろう。

人間が狩猟者になったのは、進化の過程においてまだ新しいことなのだ。

人間の本性は善であり、共感力を発揮して互いに助け合う社会をつい最近までつくってきたというのが私の考えで、その本質に従えば、もっとその方向性を伸ばせるのではないだろうか。

歴史の見方を誤り、戦争を本能だと肯定してしまう人たちがいるが、間違いであることは広く知られるべくだろう。