じじぃの「カオス・地球_169_共感革命・第6章・日本人の自然観」

「立ち止まって、考える」特別対談 山極寿一総長・出口康夫ユニット長

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3zbVOMMHvtE

山極壽一「一神教の争いには、日本的“間”の文化を活かせ」

『Voice』2020年3月号 山極壽一氏の「死と生の『間』にいる高齢者の役割」

ゴリラの喧嘩仲裁から学ぶ、紛争解決法

――ゴリラと同じ霊長類に属するホモ・サピエンス(ヒト)の世界は、ますます物騒になっています。二度の世界大戦を経験しても、いまや「自国第一主義」を公言する指導者で溢れている。国家の衝突を抑えるために、ゴリラから学べることはありますか。

【山極】京都大学の先達である西田幾多郎今西錦司が指摘したように、日本には「間(あいだ)」の思想が存在します。

それはわが国の風土に溢れていて、里山はその典型です。山や森は「ハレ(非日常)」の世界ですが、里は「ケ(日常)」ですね。その「間」にあるのが里山だといえます。

「ハレ」でも「ケ」でもないその中間が、日本の風景の至るところに見られるのです。

ところが西洋の一神教には「間」がない。インド論理学に、テトラレンマ(四句分別)という概念があります。

これは「AはAである」「Aは非Aである」「AはAではないし非Aでもない」「AはAでもあるし非Aでもある」という四つの問いから構成されます。
https://voice.php.co.jp/detail/7365

河出新書 共感革命――社交する人類の進化と未来

【目次】
序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった
第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション
第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心
第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した――生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象

第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司西田幾多郎、平和への哲学

第7章 「共同体」の虚構をつくり直す――自然とつながる身体の回復
終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代

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『共感革命』

山極壽一/著 河出新書 2023年発行
人類は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、独自の進化を遂げた。やがて言葉を獲得したことによって「認知革命」が起きたとされている。しかし、実はその前に、もっと大きな革命があった。それが「共感革命」だ。

第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象 より

西洋近代への日本霊長類学者の反論

人間を戦争へと導いた理由としては、共感力も挙げられるだろう。

17世紀、トマス・ホッブズは『リヴァイアサン』の中で、自然状態の人間は闘争状態であるから、その闘争状態に秩序をもたらすためには大きな権力、リヴァイアサンという怪物を必要とし、人びとが自分たちの権利をそこに譲渡し、その権力による支配が平和をもたらすと記した。政治権力を認める考え方である。
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しかし、今西錦司の根本原理は棲み分け論で、競争原理ではない。

世界にこれだけ多様な生物がいるのは、生物が互いに共存し合おうと互いの性質を変え、環境に適応するように暮らし方を変えていったからで、「棲み分けの多様化」こそが進化なのだと主張した。
大変画期的な考えだったが、残念ながら当時、この主張は認められなかった。進化のメカニズムが、競争によるものではなく、共存によるものだという説を証明できなかった。

だが、これは大変重要な考えだ。今西が主張した進化は大進化のことで、ダーウィンの進化は個体の進化、つまり小進化なのだ。生き残ることによって、その個体の子孫の性質は受け継がれる。これは遺伝子レベルで証明が可能だ。しかし、今西の考える進化は、その種全体が変わっていくことであり、個体の進化を説明しているわけではない。なぜオオカミとリカオンの違いが生まれたのか、ゾウとキリンのような形が違う動物ができたのか、有袋類、有胎盤類という系統の全く違う哺乳類でフクロオオカミ、オオカミという形態のよく似た種が生まれたのはなぜか、などということを捉えていった進化論なのだ。

第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司西田幾多郎、平和への哲学 より

「人間の本性は暴力的」というウソ

家族の進化を考えると、人類の社会が共感力を高めて次第に集団の規模を大きくしてきた過程が浮かび上がってくる。それは、食物に乏しく、危険な肉食獣の多い草原という過酷な環境で、高い身体能力も武器も持たない人類の祖先が生き延びるために獲得した社会力だった。しかし、その社会力の発達を、つい最近まで狩猟能力や闘争力と見なしてきた歴史がある。私はそこに現代の人間と社会に対する大きな誤解が潜んでいると思う。
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ところが、一般の人々はまだ「人間の本性は暴力的」という仮説を信じている。2009年にノーベル平和賞を受賞したバラク・オバマ米大統領も、その受賞演説で「戦争は、如何なる形にせよ、最初の人類と共に現れた。歴史の黎明期には、その道義性は問われなかった。それは旱魃や疾病と同様、単なる事実に過ぎなかった」と語っているのである。

また、19世紀にゴリラが欧米人によって「発見」されて以来、100年以上も「獰猛(どうもう)で好戦的な悪魔の化身」として扱われてきたのも、人間の過去の暴力的な姿を受け継いでいると見なされたからに他ならない。

ゴリラと同じくアフリカの人々は、「野蛮で暴力的な性質を持っている民族」と差別され、植民地政策の口実にされた。当時の人々は、自然状態の暴力性を法の力によって克服することが文明の役割だと信じきっていたのだ。その欧米中心の考え方は、現代でも色濃く残っている。いかにこの考え方が私たちの人間観に深く根付いているかがわかる。

しかし何度も繰り返すように「人間の本性は暴力的」という考えは明らかに間違っている。

人間以外の霊長類が社会をつくる主な理由は、食物を効率よく探すため、外敵から身を守るためである。同種の仲間からのハラスメントや子殺しが社会を変える影響力を持つ場合もあるが、一部の霊長類に限られているし、大規模な環境変動によって引き起こされることもある。

戦争のように、集団のために命を投げ出して同種の敵と戦うような行動は、人間にとって極めて新しいものなので、まだ変更可能な性質なのだ。しかも、狩猟に用いる攻撃性(経済行為)と集団間の争いに用いる攻撃性(社会行為)は明らかに異なり、それが混同されるのは言葉が現れてからである。

繰り返しになるが、私は、長い狩猟採集生活を通じて人間の生存確率を高めるために必要だった共感力が、言葉の登場と定住化によって方向性を変えて力を増し、文明の発達とともに所有権を争う暴力となって噴出し始めたのではないかと考えている。つまり、人間の身体と同じく、自然との接点を失い、人工的な環境がコンフリクトを起こして、不協和音を発し始めているのが暴力だというわけである。

その状況を改善するためにあ、人間と自然との関係を見直すことが必要である。日本人の自然観には、その重要なヒントが隠されている。

日本人の自然観

日本の自然には「見立て」や「あいだ」の概念が織り込まれている。

例えば、里山という場所も「あいだ」の思想によって生み出されたものである。これは先ほども触れた容中律の原理に則っている。里山は山でも里でもないし、山でも里でもあるという見方ができるからだ。

里山という語は、2010年に名古屋で開催された生物多様性COP10(第10回締約国会議)を契機として「SATOYAMA イニシアティブ」という国際的な枠組みになったことで知られるようになった。これはユネスコのMAB(Man and the Biosphere 人間と生物圏)計画の概念とは違う。MABは野生動物の暮らす場所をコアとして人間の生活圏と分け、あいだにバッファゾーン(緩衝地帯)を置くことによって両者の軋轢を緩和しようとする概念である。

これに対して里山は、人間と野生動物のどちらも利用し、出会う、どちらにとっても豊富な資源が得られる生物多様性の高い場所なのである。ここは、ハレ(聖)とケ(日常)のあいだにある場所でもあり、神社や寺がよく鎮座している。

キリスト教は農耕や牧畜のために草地を切り拓いた。そして森や山、川や海は悪霊や悪魔の住み処なので、人が神の力を借りて征服する領域であると考える。ギリシャやローマ時代までは海にも神がいたが、キリスト教になってからの海は怪物のいる場所になった。

一方、多神教の日本にとっては、山や森も海も神々の領域で、恵みをもたらす源泉でもある。里海や海岸も里山と同じように里と海の「あいだ」にある豊かな場所であり、ここで人々は貝を採集し、浅瀬にいるナマコやエビを採り、生計を立てた。山から里に神を下りてくるように、海の神は山の神とつながっており、それをサルとカメが先導すると考えられていた。里山と里海は神聖な場所の入り口であり、そこには鳥居が立てられて、ご来光を拝むという習慣も生まれた。

西田哲学は「場所の論理」「述語の論理」と呼ばれるが、これは「あいだ」を意味する。内側でも外側でもなく、無の場所であって、自覚する(隠れているものに気づく)場所とも言われる。

実は先ほども紹介した、ユクスキュルの「環世界」も、今西の「生活の場所」も、和辻の「風土」も、はっきりとその輪郭や境界が認知できる領域ではなく、「あいだ」として働く場所である。西田はこれを感知する日本人の情緒を、「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」と表現した。
世界の中に隠れている隠れている根源的な働きは、われわれの目や耳で一時的に捕まえて可視化できるだけなのだ。

動的なイメージから実在を認識し、その形や色が、「形や声なきところ」から湧きあがり、また去っていく遷移的な動中にあるものと見なす。日本の文化には、「情的」で「動的」な特徴を表現しているものが豊富にある。

その感性は日本の絵画にも反映されており、余白を大胆に用いた雪舟上村松園の作品が代表的なものとして挙げられる。余白という一見無の画面に、花鳥風月や人々が行き交う世界を想像するのである。

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こういった日本的の心身に染みついた情緒は、なにかにつけて自己が確立されていない集団的なもので、近代市民としての自覚が足りないと非難の対象になってきた。確かにそういう一面があることは見逃せないし、明治維新から第二次世界大戦まで日本がたどった歴史を見ると、その負の側面が悲劇を生んだと言わざるを得ない。

しかし、自我の確立と客観視によって個人の欲望を拡大させてきた西洋近代の古典的パラダイムが行き詰まっているのを見ると、日本や東洋の思想をもう一度見直し、その良いところを取り入れて世界観や人間観を再構築できないかと感じるのである。

さらに、近年これらの日本人の情緒が次第に薄れ始めていることも懸念される。日本人の感性は、日本に独特な自然と一体になって発達してきた。それが、明治の開国に伴って西洋の自然観が勢いよく流入し、風景の読み方が一変した。その好例が山や海に関する見方である。

江戸時代まで山は神々の座とされ、登頂するのは修験者や山伏たちに限られていた。
しかし、西洋からアルピニストやスキーの文化が入ってくると、日本でも登山熱や高原志向が高まり、山には冒険やレジャーの場所に変わった。白樺並木や雪景色が美しいものとして人々の目に映るようになった。広葉樹が雑木として見下されて伐採され、スギやヒノキなどの成長の速い針葉樹が有用材として植林され、山の景色は一変した。

日本全国に道路網が敷かれてスーパー林道特定森林地域開発林道)やトンネルが山々を貫き、奥山まで人々が気軽に足を運べるようになった。大きな橋やダムが河川にかかり、水の流れはあちこちでせき止められた。魚群探知機を積んだ大型の漁船が各地で操業をはじめ、あちこちで港が整備された。松林や砂浜で縁取られていた海岸線には防波堤が立ち並び、いたるところにテトラポットが埋め込まれて人工的な海岸と化した。さらに宅地造成や工業団地の開発により、各地で海岸は埋め立てられて土地は大きく変形した。
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もちろん、近代の歩みには便利になった側面もある。しかし、山や海の神聖さが失われ、里山や里海がハレとケの「あいだ」としての機能を果たさなくなったのも事実だ。
かつての日本の風景は、歌や絵画や写真の中でしか出会えなくなりつつある。それとともに、日本人の情緒も失われつつあるのではないだろうか。