じじぃの「カオス・地球_163_共感革命・第3章・シェアとコモンズ」

【理事長対談Vol.15】ゴリラから人間を考える | 山極壽一氏 総合地球環境学研究所所長・人類学者

動画 YouTube
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【人類を繁栄させた「共感力」が、いま人類を滅ぼそうとしている】京大前総長・山極壽一氏による最新刊『共感革命』(河出新書)発売!

2023.10.24 antenna
第3章 人類は森の生活を忘れない--狩猟採集民という本能
森を追い出された人類/ネアンデルタール人はなぜ滅びたのか/所有のない、平等な遊動生活/ヴァーチャルな縁で動く時代/自由を取り戻し始めた人類/ジャングルというコモンズ/生態系から切り離される文明/人間社会の3つの自由/シェアとコモンズを再考する時代
https://antenna.jp/articles/20595209

河出新書 共感革命――社交する人類の進化と未来

【目次】
序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった
第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション
第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心

第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能

第4章 弱い種族は集団を選択した――生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象
第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す――自然とつながる身体の回復
終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代

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『共感革命』

山極壽一/著 河出新書 2023年発行
人類は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、独自の進化を遂げた。やがて言葉を獲得したことによって「認知革命」が起きたとされている。しかし、実はその前に、もっと大きな革命があった。それが「共感革命」だ。

第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能 より

ヴァーチャルな縁で動く時代

今後、「第2の遊動」時代が到来すると私は考えている。

皮肉に感じるかもしれないが、人類に文明生活をもたらした科学技術のさらなる進展が、、遊動の感覚や生活を甦(よみがえ)らせてくれているのだ。

今、交通手段の発展による、安価にいくらでも遠くへ行けるようになった。例えば東京から沖縄まで飛行機の往復が数千円で可能なこともある。グローバルな時代とは誰もが自由に移動できる時代で、国境を越えることにも昔ほどの制約はなくなった。入国にビザが要らない国もたくさんある。移動が自由になったことで個人を縛る縁がきわめて薄くなった。
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人類は生活を農耕牧畜に切り替え、定住生活をスタートしてから、定住先で自分の所有物を貯めることによって、自分の価値を高めていった。その生活が1万年近く続いていた。
高価な首飾りをしたり、高級な外車を乗りまわしたり、高価なブランドものの服を着たり、高級レストランで食事をしたりする、そういう行為が社会的地位を表すと考えられていた。

だが今は、新型コロナウイルスによるパンデミックというインパクトのある体験も経て、そのような感覚が急速に低下したように感じる。装飾品で自分を飾ることが自分の社会的地位を表すものではなくなりつつある。

今やFacebookInstagramに載せる情報は、自分は何をした、何を見た、何を経験した、という行為そのものなのである。それにみんなが「いいね」をする時代で、所有物がその人の価値を表すのではなく、その人の行為が価値を表す時代になってきた。

これが「第2の遊動」時代の変化なのだ。かつてのように、移動が当たり前で、所有や縄張りという概念がなかった時代に、現代人は非常に近づいてきている。

ジャングルというコモンズ

現在、地球上でジャングルと呼ばれる熱帯雨林は大きく分けて3ヵ所ある。

南米のアマゾン川流域、南アジアの半島や島嶼(とうしょ)地域、アフリカのコンゴ盆地だ。この中で、現在でも類人猿が生息しているのはアジアとアフリカで、人間に最も近いゴリラとチンパンジーはアフリカだけに生息している。もともと中南米に霊長類は存在していなかったが、今ではサルが生息している。かつて、アフリカから流木などに乗って流れ着き、アマゾンの浸水林に適応したと思われる。アマゾンでは雨季になると森林が水浸しになるから地上を歩くサルは進化できず、樹上生活だけに適応し、大型の類人猿が登場することもなかったのだろう。
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人間の祖先は700万年前にこれらの類人猿の祖先から分かれ、しだいにジャングルからサバンナへと進出した。ジャングルを離れた理由としては、森が小さくなりゴリラやチンパンジーとの競合があった可能性をすでに指摘した。しかし、なぜ危険なはずのサバンナで生き延びられたのかなど、人類のサバンナ進出について、まだたくさんの解明されていない疑問が残っている。その秘密を解く鍵は、現代の人間、すなわち私たちの体と心のどこかに宿っているはずだ。

ジャングルはすべての生物にとってのコモンズである。コモンズとは「共有財」という意味で、誰もが平等に利用できる資産のことだ。ジャングルには多種多様な生物が共存し、それぞれの種がその特徴に応じてジャングルを利用し、調和関係を保って生きている。このジャングルの生態系こそが、コモンズの原型だと思うのだが、現代人はその記憶を忘れかけているのではないか。

人間社会の3つの自由

先に述べたように、人間の社会は3つの自由によってつくられえている。動く自由、集まる自由、対話する自由である。人間は毎日働いて、さまざまな場所に出向いて集まり、そこで語り合い、他者と交流することかよって生きる喜びを得る。サルや類人猿と比べ、人間はこの3つの自由を拡大してきた歴史がある。

サルも類人猿も年間に動く範囲は決まっており、熱帯や亜熱帯の森で暮らすサルたちはせいぜい1平方キロメートルの範囲が生活圏だ。
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ゴリラやチンパンジーなどの類人猿は、サルよりもさらに胃腸の働きが弱いため、熟した果実が豊富にある熱帯雨林から離れられない。サルより広い範囲を動き回ったとしても年間20平方キロメートルほどである。

同じ森にすむピグミーと呼ばれる狩猟採集民は、年間100平方キロメートル以上、サバンナで暮らすブッシュマンと呼ばれる狩猟採集民は、数百平方キロメートル、ときには1000平方キロメートルに及ぶ範囲を歩き回って暮らしている。

集団に参加する自由度も、人間とサルでは大きく異なる。群れをつくるサルたちは集団への帰属意識を強く持ち、めったに群れから離れない。
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サルや類人猿と比べると、人間は集団の出入りに関して許容度がかなり高いといえるだろう。
私たちは日々、家庭や会社や取引先やご近所といった複数の異なる集団に出入りをしながら暮らしており、それぞれの集団で違う顔を持っている。この多層的な社会は、都会でも地方でも変わらない。この違いこそ、人間の社会の大きな特徴なのだ。

このようなことが可能なのは、人間の中に帰属意識とともに自己犠牲を払っても集団のために尽くすという独特な社会性があるからだろう。多くの人は、自分がどのような集団に所属しているかを意識し続けており、それがアイデンティティの1つになっている。帰属意識があるからこそ、ほかの集団が行き来しても、いつかは戻れるという安心感を持てるし、自己犠牲を厭わないからこそ他の集団に受け入れられるのだ。

シェアとコモンズを再考する時代

私はアフリカの熱帯雨林でゴリラを調査しながら、現地に住むピグミー系の狩猟採集民と長く付き合ってきた。彼らは今でこそ保護区の外で定住生活を強いられているが、つい最近まで熱帯雨林の中で移動生活を送っていたし、場所によっては今でも移動しながら暮らしている人々もいる。

森での住居は、ドーム形の葉っぱの小屋だ。細い木を円形に地面に突き刺して上に束ね、つるを周囲にめぐらしてクズウコンなどの葉で覆う簡単なもので、30分程度で完成する。所有物といえば、調理に必要な鍋やナイフ、狩猟に使う槍、弓、網、山刀などで、必要なものはなんでも森で手に入れる。椅子やテーブルは木を切ってつくるし、大きな葉がお皿になる。毎朝川で体を洗い、森で用を足せば虫たちが分解してくれる。きわめて衛生的な生活なのだ。

それでも同じ場所に長居すれば、採集できる野生の食事がだんだんと不足するし、排泄物やゴミなどで周囲が汚染される。それを漁(あさ)る動物や寄生虫が増える。そこで数日から数週間ほどで、次の適した場所を求め移動する。

その生活の中で徹底しているのは、すべてを分配し、共有することだ。狩りで捕らえた獲物やヤムイモなどの採集物は、持ち帰ってみんなの前で広げ、各家族に分配する。燻製(くんせい)などの保存食をつくることもあるが、誰かが富として独占することもない。分配のやり方は細かく決められていて、必ずすべての仲間に行き届くようになっている。自分の狩猟具を持っていてもあえて使わず、互いに貸し借りして使う。大きな獲物を捕ってきても、むしろ大した獲物ではないと恐縮して見せる。これらの態度は一貫して仲間の間で権力をつくらず、互いに平等な関係を維持しようとする努力の反映なのだ。狩猟採集民の社会では、そのような仕掛けがたくさん用意されている。

このようなコモンズを増やし、平等な関係を構築しようとする狩猟採集民的な精神を再び広げることこそが、今、必要とされる選択なのではないか。

これからの日本は人口減少が続くが、狩猟採集民的な精神を持って科学技術を使えば、たとえ人々が地方に散らばって生活していたとしても、遠隔医療は可能だし、ドローンでの生活物質輸送もできる。複数の拠点を転々としながら、多様な暮らしを謳歌(おうか)できるはずだ。これからは人々が小規模な集団を訪ね歩き、ネットで効果的につながれる時代になっていくはずだ。