じじぃの「カオス・地球_158_共感革命・第1章・仲間への信頼」

EMPATHY - iDOL LiVE JAPAN Zepp Yokohama (05/06/2022)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5KJRz4C_pDs

EMPATHY【ライブレポート】


河出新書 共感革命――社交する人類の進化と未来

【目次】
序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった

第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション

第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心
第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した――生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象
第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す――自然とつながる身体の回復
終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代

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『共感革命』

山極壽一/著 河出新書 2023年発行
人類は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、独自の進化を遂げた。やがて言葉を獲得したことによって「認知革命」が起きたとされている。しかし、実はその前に、もっと大きな革命があった。それが「共感革命」だ。

序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった より

二足歩行が共感革命を起こした

類人猿の子ども特有の遊びに、ピルエットと呼ばれるものがある。

ピルエットとはぐるぐると回転することだ。この遊びはサルには見られず、類人猿にしか見られない。フランスの社会学者ロジェ・カイヨウが分類した4つの遊びの中で最も自由な、浮遊感に満たされた冒険的な緊張感に包まれる遊びで、類人猿が人間に進化するにつれてこの遊びは拡大し、ダンスという音楽的な才能と結びついていった。

私は人類が直立二足歩行を始めた理由の1つに、この「踊る身体」の獲得があったと考えている。

第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション より

直立二足歩行による世界の拡大は、人類の進化にとって相当大きな出来事だった。

二足歩行によって自由になった手で食物を安全な場所に持ち帰り、仲間と一緒に食べる。そうすることによって、これまでにはない社会性が芽生えた。自分で獲得したわけではない食物を食べる経験によって、見えないものを欲望できるようになったのだ。遠くに行った仲間が、自分の元に好物を持って帰ってきてくれるに違いないという期待と、待っている仲間が採集に向かう自分に対して期待しているに違いないという思い。互いに相手の行動が見えなくても、きっと自分の願った通りになるという感情がそこに芽生える。

サルや類人猿を観察していると、基本的に食物は見つけた場所でしか食べないし、離れた場所にいる仲間に分配することもない。狩りや採集からの帰りを待つ側の人類からすると、遠くから持ち運ばれてくる食物は採れた場面を確かめたわけではないから、不安に思うケースがあったはずだ。しかし人類は、自分の目だけを信じるのではなく、持ってきた仲間を信じて食べるという、信頼感を持っている。

市販されている食品を食べるという行為は、現代の私たちからすると当たり前だが、仲間を信じて、仲間がくれたものを食べるまでには、大きな認知の飛躍があったはずだ。

仲間への信頼が当たり前ではなかった時代には、仲間に「食べても大丈夫だ」と信じさせるために、何らかのコミュニケーションが必要となっただろう。恐らく人類は、身振り手振りで安全であると伝えようとした。あそこの山から持ってきた食物で安全なんだとか、自分たちも食べたが美味しかった、などと伝えようとしたはずだ。

仲間への信頼感が類人猿以上に高まらなければ、仲間が運んできた食物を食べられない。音楽的な能力と同時に、仲間への共感、信頼感がこの頃から高まったのだ。

音楽は生き延びるためのコミュニケーション

人類は180万年ほど前に、アフリカ大陸を出た。

アフリカ大陸を出るためには広大なサバンナを超えなくてはいけない。
サバンナにはライオンやハイエナなど現代よりずっと多くの猛獣がいて、草原と低木が広がる場所だから簡単に隠れることもできない。そんな危険な場所を大勢の人類が越えられたということは、そのときまでに、危険地帯をくぐり抜けられるほどの防衛力を備えた社会性を備えた社会性を持っていたはずだ。

その社会性とは、共感力を基にしたものだったのだろう。つまり他者と協力する能力だ。その能力は、複数の家族で成立する重層構造の社会を構築する過程で高められたと私は考えている。

人類はサバンナを生き抜くために多産という生存戦略を選択した。草原に進出した初期には幼児がたくさん肉食動物の餌食になった。人類の祖先も餌食になる動物と同じように子どもをたくさんつくって補充したのである。
しかし、人類の子どもの成長には時間がかかる。たくさんの子どもを抱えてしまうと、両親だけでは育てられない。そのために、子育ての単位によって集団規模は大きくならざるを得ず、緊密に付き合う仲間の数によって脳は大きくなったと考えられる。
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人類は共感力に基づいて知能を高めたため、重層構造を持つ社会を築くことができた。
重層構造を持つ社会が維持できれば、集団規模をどんどん大きくできる。そうすると、段々と仲間の人数も増える。仲間同士の社会関係を頭に入れておく必要性ができるから、社会脳としての脳は大きくなる。これが序章でも紹介した、ロビン・ダンバーの「社会脳仮説」だ。

言葉を獲得していない時期に多重構造の社会を可能にしたのが、音楽的なコミュニケーションだったと考えられる。

現代においても、その名残はある。たとえばスタジアムなどの広い会場で、サッカーや音楽ライブを観る際に、声を出して応援できるようになると、人々はとても生き生きとする。今も一緒に踊るとか、あるいは声を上げて歌う行為は、人々の心をつなぐ非常に大きなコミュニケーションなのだ。

言葉という、音声と意味が合体されたコミュニケーションが出てこなくても、身体を共鳴させたり、他者と声を出し合って、合唱したりすることもできる。そうすれば集団の一体感は強まり、信頼しあえる仲間の規模は大きくなり、大型肉食獣にも打ち勝てる、そうやって人類はサバンナを越え、ユーラシア大陸へと進出していった。人類にとって、社会構造もコミュニケーションも、共感力を高めたことが大事な資源となったのだ。