じじぃの「カオス・地球_161_共感革命・第2章・石器(ハンドアックス)」

【VOICEVOX解説】打製石器の作り方

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AOIO8qiaAGs


小型化する石器

石器は、人類が最初に作り始めた道具である。およそ260万年前には、東アフリカで原始的な石器製作がおこなわれていた。
約175万年前には、多くの加工を施したハンドアックス(握斧)が同地域で出現し、その製作技術を持った人類がアフリカの外へも進出する。
https://www.um.u-tokyo.ac.jp/UMUTopenlab/library/b_53.html

河出新書 共感革命――社交する人類の進化と未来

【目次】
序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった
第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション

第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心

第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した――生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象
第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す――自然とつながる身体の回復
終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代

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『共感革命』

山極壽一/著 河出新書 2023年発行
人類は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、独自の進化を遂げた。やがて言葉を獲得したことによって「認知革命」が起きたとされている。しかし、実はその前に、もっと大きな革命があった。それが「共感革命」だ。

第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心 より

心が文化を生み、社会をつくった

チンパンジーやオランウータンの事例を見てもわかる通り、類人猿は道具を使用する中で文化的な能力を発揮している。ということは、700万年前に類人猿との共通祖先から分かれた人類の祖先たちも、恐らく道具を使用して生活していた可能性が高い。

ただ残念なことに、木製の道具は化石して残りにくい。道具が化石として最初に現れたのは260万年前のタンザニアのオルドバイ渓谷の地層で、ここで見つかったのは大きな石を割ってできた破片だ。この破片の尖った部分を使用して、肉食獣が食べ残した獲物から肉を切り取ったり、骨を割って骨髄を取り出したりして食べたと考えられている。骨髄はやわらかいため、加工しなくても食べられるのだ。

この最古の石器はオルドワン石器と呼ばれているのだが、石から使いやすいサイズの破片をつくるのは案外難しい。石を別の石などに向かって正確にぶつけなければ使える破片は取れないのだ。石をしっかりと掴むためには、親指が大きく、他の指としっかり対向していなければならない。類人猿の親指は短かったため、石を強く握るのは不可能だ。そのため、この石器をつくったと思われる人類の化石が見つかったとき、推定される脳の容量は600ccほどで、ゴリラより100ccほど大きかっただけなのに、親指のサイズと他の指との対向性から、先史人類学者リーキーはホモ・ハビリス(器用な人)と名付けて、初めてホモ属の仲間入りをさせた。

このオルドワン石器だが、長い期間、形が変わることはなく、美的な感覚があったとは思えない。ただ、次に登場するホモ・エレクトスになると、形が洗練されて、手でしっかりと握って作業できる効果的な形状の石器に変わる。

代表的なものが、ハンドアックス(握斧)と呼ばれる。左右対称形の大型の石器だ。そもそも左右対称で大きな石器をつくるためには、まず完成形を想像し、適した石を選び、石を丁寧に打ちおろしていかなければいけない。時代を経るごとに涙のような形をした石器も見つかっており、そこには美的なセンスや知性が感じられる。中には使用した形跡のない石器もあることから、象徴物として扱われた可能性もある。

シンボルと道具、芸術、そして言葉が生まれた

石器の芸術性が高まっている時期に、集団の規模も拡大し、脳の容量も増加している。

仲間の数が増えて、その仲間同士の社会関係を記憶するために社会脳として発達した、というのがこれまでに紹介したダンバーの仮説だが、道具の発達と脳のサイズの変化にも何らかの関係があるのは間違いないだろう。

ホモ・エレクトスは180万年ほど前に誕生し、その後、初めてアフリカ大陸からユーラシアへと進出した人類だ。インドネシアのジャワ島や中国などで化石が見つかっており、多様な環境へ踏み出していったことがわかる。これまでとは全く違う土地へ移り住む中で、道具を使って環境に適応し、さらに道具を洗練させていったのであれば、そこには現在にも通じるような社会的な知性があったはずだ。
道具は本来の機能だけではなく、自分の価値を示すことに使ったり、別の道具や食物の交換に使ったりした可能性もあるだろう。ホモ・エレクトスは、家族と複数の家族を含み共同体という重層構造の社会をつくっていたと推定されるので、家族の中での自分や、家族以外の集団の中での自分など、複数の人格を使い分ける必要があったはずだ。道具も集団内の位置づけや役割の一端を担ったのだろう。

またトルコの辺りでは、障害のある仲間が長く生き延びた証拠も見つかっており、シンパシーやエンパシーといった感情もその頃には芽生え始めていた可能性がある。

人間の認知能力とコミュニケーションは、インデックス(指標)→アイコン(類像)→シンボル(象徴)へと進化したと考えられている。
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現代人は、類人猿より2段階ほど上の認知能力を持っているが、これは映画やドラマを見て、解釈する能力につながる。他人同士の会話やちょっとした表情の変化などを見て、他者の内面や考えを推測できる能力だ。日常の中でも、抽象化の度合いを上げて何らかのシンボルによって表現させれば、解釈や推測が容易になる。必ずしも言葉でなくてもよくジェスチャーや図形、音楽であったかもしれない。

人類は関わりあう集団の数が増え、社会が複雑化していく中で、様々なシンボルで周囲を飾り、そこに意味を与え始めた。様々な意味を持つようになった道具は、従来の機能に加えて計画性を未来に伝える。

シンボルは物語る環境を人類に与えたのだ。それは、人類が共感力をどんどん発達させ、他者や物に憑依(ひょうい)する能力を高めた結果でもあった。

言葉はそういった能力の上に登場した。シンボルの中でも最も抽象化の進んだもので、時空を超えて体験を再現し、伝承できる能力がある。言葉の登場によって芸術的な作品が急増したのも当然だろう。芸術が一般化し、進化するためには、自己主張する能力とそれを受け入れる大きな集団社会、高い共感力に基づいて何かに同化したいという願望、人や物に憑依する能力、世界を解釈したり無から創造したりする能力が必要である。そのためには、仲間との継続的に密なコミュニケーションが取れる定住生活という環境が大きく寄与する。シンボルと芸術によってシナジー効果が生まれ、その土地ならではの自然とも合わさり、地域に根差した文化が生まれたのだ。

単なる道具が芸術や文化へ発展し、集団の共有する価値観や使命に対する意識が強まる。
その意識が行動を組織化して、社会的役割を構造化したのだろう。言葉は集団の構造や組織を規定し共有する機能を果たした。小規模な社会とその文化をつないで社会の規模を徐々に拡大し、組織化していった。

現在のような社会へと加速させたのは言葉だが、そもそもの起源を辿(たど)れば、言葉のない社会があり、それでも人間社会の基本的な機能は十分に成立していたことは覚えておくべきだろう。