じじぃの「カオス・地球_159_共感革命・第1章・農耕牧畜」

【世界史】【旧ヴァージョン】#001 農耕・牧畜の発生 豊かな実りが戦争の火種となる Agriculture brought up War.

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=vN3pwOXFmmU

農耕牧畜の拡散プロセスの解明


農業起源の考古学―農耕牧畜はどのように始まり、世界に広まっていったか?

門脇誠二研究室
●農耕牧畜の拡散プロセスの解明
西アジアで発生した穀物栽培と家畜飼育は、いつ、どのように周辺地域へ拡散していったのでしょうか?
農耕民が移住した、あるいは穀物・家畜自体が広がったのでしょうか?それとも、農業の知識や技術のみが伝わり、周辺地域の狩猟採集民に採用されたのでしょうか。西アジアの農耕先進地から3千年遅れて農業が始まったコーカサス地方で遺跡調査を行い、道具や建築物の文化系統や家畜動物のDNA系統を分析して、この地域で農業が導入されたプロセス(新石器化)の解明をしています。
http://www.num.nagoya-u.ac.jp/outline/staff/kadowaki/laboratory/research/origins_of_agriculture.html

河出新書 共感革命――社交する人類の進化と未来

【目次】
序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった

第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション

第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心
第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した――生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象
第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す――自然とつながる身体の回復
終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代

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『共感革命』

山極壽一/著 河出新書 2023年発行
人類は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、独自の進化を遂げた。やがて言葉を獲得したことによって「認知革命」が起きたとされている。しかし、実はその前に、もっと大きな革命があった。それが「共感革命」だ。

第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション より

音楽は生き延びるためのコミュニケーション

言葉を獲得していない時期に多重構造の社会を可能にしたのが、音楽的なコミュニケーションだったと考えられる。

現代においても、その名残はある。たとえばスタジアムなどの広い会場で、サッカーや音楽ライブを観る際に、声を出して応援できるようになると、人々はとても生き生きとする。今も一緒に踊るとか、あるいは声を上げて歌う行為は、人々の心をつなぐ非常に大きなコミュニケーションなのだ。

言葉という、音声と意味が合体されたコミュニケーションが出てこなくても、身体を共鳴させたり、他者と声を出し合って、合唱したりすることもできる。そうすれば集団の一体感は強まり、信頼しあえる仲間の規模は大きくなり、大型肉食獣にも打ち勝てる、そうやって人類はサバンナを越え、ユーラシア大陸へと進出していった。人類にとって、社会構造もコミュニケーションも、共感力を高めたことが大事な資源となったのだ。

なぜ共感力は悲劇をもたらしたのか

ここまで見てきたように、人類は何万年もかけて、共感力を育て上げてきた。

小規模な社会で共感力は発達し、大きな社会を構築していく上で、巨大な力を発揮した。だが、共感力は大きな効用とともに残酷な悲劇ももたらした。その能力は方向を間違え、戦争のような取り返しのつかない事態を招いてしまった。

人間の間違いのもとは言葉の獲得と、農耕牧畜による食料生産と定住にある。

長い間、人間は個人の所有という概念を持っていなかったし、定住もしていなかった。

狩猟採集時代の頃の人類は、150人ぐらいの集団で共感力を使って仲よく生きていた。しかも自然は全て共有財で、土地は誰のものでもなく、誰が使ってもいい共有地だったから、集団間の争いは生まれにくかった。

しかし、農耕牧畜というシステムはそうではない。狩猟採集と農耕牧畜の大きな違いは時間の概念だ。

農耕牧畜は、定住して雑草をはらい、種を蒔き、芽が出て、その実を収穫するまでに時間がかかる。しかも収穫物を監視しなくてはいけない。定住する必要が生まれたことによって、土地に価値が生じるようになる。もちろん土地もどこも同じではなく、肥沃な土地と荒れた土地では価値の違いが生じる。どこも似たような「ただの土地」だったのに、「いい土地」と「悪い土地」という違いができたのだ。

最初の頃、農耕牧畜は、大変過酷な作業だった。狩猟採集は1日に2時間か3時間ほど働くだけで必要な食料を手に入れられたし、その土地に食料がなくなれば移住していた。現代の狩猟採集民もそういう生活をしている。

しかし農耕民は、土地に執着し続けるから、天変地異が起こって全てを失っても、そこに居続けようとする。気候が人々の暮らしを大きく左右する。だから人類は極端な人口の減少と増大に悩まされることになった。

農耕牧畜が増える本質的な失敗

格差社会となった現代では、平等を求める声が世界的に広がっている。しかし平等な社会は、狩猟採集社会の時代に、すでに実現していたのだ。

しかし、その後の農耕牧畜によって、土地による価値の違いができてしまい、領土ができてしまった。その領土も最初はなかなか定着しなかったが、技術が発展して食料が蓄積できるようになると、余剰人口を養えるようになる。余剰の人員がいれば、たとえ誰かがいなくなっても、その代わりはいくらでも見つかるわけだ。そのうち分業制になり、食料生産以外の活動に従事する人々が増えてくる。道具をつくったり、家をつくったり、あるいは服をつくったりする専門職ができる。

さらに、人口が増えれば居住する場所を確保するために、領土を拡張しなくてはならなくなる。領土を拡張しようとする中で、先に目的の土地に人が住んでいる場合は、その集団を押しのけなければならないので、武力が必要になる。そうやって農業社会は、だんだんと首長制をとるようになり、やがて君主制の国家になっていく。そしてここでも格差が生まれてしまう。所有を認める社会だから、権威者に食料や所有物が集まり、それを権威者の意向によって分配する社会が生まれる。その頃から、現代にも通じる悲劇が始まっているのだ。

共感力は、小規模な社会の場合、集団内外に関係なく、お互いが助け合い、協力し合いことに役立っていた。

ところが農耕牧畜で領土が生まれ、ずっとその中だけで暮らしていると、領土内に住む人々の間でしか共感が通じなくなる。さらに人数が増え、領土を広げようとなった際には、武力行使が必要だと考えるようになる。

共通の敵づくりに役に立ったのが言葉だ。言葉はアナロジーで、同じ人間なのに「こいつはキツネのようにずるいやつだ」とか、「コウモリのように卑怯なやつだ」という言い方をして、同じ人間であるはずの相手を、人間ではない生き物や、危険な外敵に仕立て上げることができる。戦時中の日本ではアメリカやイギリスを「鬼畜米英」と呼び、敵視した。そうすると、あいつなら殺してもいいとか、捕えてもいい、奴隷にしてもいいという発想につながってしまう。社会を拡大し、争う相手を言葉で定義する人間による悲劇は、この頃から始まったのだ。