じじぃの「カオス・地球_47_時間の終わりまで・性選択・クジャク」

Why Peacocks?

May 14, 2022 Washington Independent Review of Books
Beauty, in 1860, flummoxed Charles Darwin.
His new theory of evolution was rocking the Victorian world, winning adherents through clear reason and amassed evidence. Yet critics insisted that random selection could never create the grace of a lily or the splendor of a peacock. Beauty in nature was created by God for human regard, insisted John Ruskin. “Remember,” he said, “the most beautiful things in the world are the most useless.”
https://www.washingtonindependentreviewofbooks.com/index.php/bookreview/why-peacocks

講談社 『時間の終わりまで』

【目次】
はじめに
第1章 永遠の魅惑――始まり、終わり、そしてその先にあるもの
第2章 時間を語る言葉――過去、未来、そして変化
第3章 宇宙の始まりとエントロピー――宇宙創造から構造形成へ
第4章 情報と生命力――構造から生命へ
第5章 粒子と意識――生命から心へ
第6章 言語と物語――心から想像力へ
第7章 脳と信念――想像力から聖なるものへ

第8章 本能と創造性――聖なるものから崇高なるものへ

第9章 生命と心の終焉――宇宙の時間スケール
第10章 時間の黄昏――量子、確率、永遠
第11章 存在の尊さ――心、物質、意味

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『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』

ブライアン・グリーン/著、青木薫/訳 講談社 2023年発行

第8章 本能と創造性――聖なるものから崇高なるものへ より

セックスとチーズケーキ

前章で、物語を語る初期の人類に出会ったとき、われわれはこれ(芸術作品)と同じ問いを立てた。その問いへの答えとしてもっとも説得力があったのは、フライト・シミュレーターのメタファーに訴えるものだった。
われわれは言語を創造的に用いることによって、既知のものも未知のものも含めた大きな眺望を得て、現実世界で出会う出来事への応答の幅を広げ、洗練させてきたというのがそれだ。物語を語り、聞き、潤色し、語り直すことにより、われわれは結果に苦しむことなく、さまざまな可能性を試してみることができる。「もしも……だったら?」で始まる道を次々と踏破し、理性と空想力を働かせ、「起こしうるさまざまな結果を探る。われわれの心は、空想上の経験からなるランドスケープを自由にさまよい歩くことで、おそらくは生き残りに役立つであろう頭の回転の速さを手に入れたというのだ。
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ダーウィンその人は、クジャクのオスの尾羽(上尾筒)に関する、よく知られた進化の謎に動機づけられて、生まれながらの芸術的感性には、適応に役立つ機能があるのかもしれないと考えた。大きくて色鮮やかな尾羽を持てば、天敵の目を逃れにくくなるし、急襲する捕食者からも逃げにくくなるだろう。そんな派手で美しい、しかし一見すると適応度の低そうな構造が、なぜ進化したのだろうか? ダーウィンは考え抜いた末に、クジャクのオスの尾羽は、生き残りをかけた戦いでは足かせになりかねないが、その一方で、クジャクの繁殖戦略にとっては本質的に重要な一部になっていると結論した。クジャクのオスの尾羽に魅力を感じるのは、われわれ人間だけではない。クジャクのメスにとっても、それは魅力的なのだ。メスのクジャクたちは、オスが立派に見える美しい尾羽に魅力を感じる。それゆえ、オスの尾羽が立派であればあるほど、そのオスはつがいになる相手を得やすいだろう。その結果として生じた子は、父の特色と、母の好みを受け継ぐ可能性が高く、より多くの食物を得たり、安全を確保したりすることによってではなく、美しい尾羽を持つことによって勝利するタイプの遺伝子戦争を広めることになるだろう。

これは「性選択」の1例である。性選択は、ダーウィン進化論のメカニズムのひとつで、それを駆動しているのは繁殖へのアクセスだ。

若くして死ぬクジャクは繁殖できない。そもそも繁殖できるということが、子を持てるまで生き延びる個体に対して、自然選択が有利に働く理由なのだった。しかし、繁殖できるようになるまで生き延びたとしても、交尾相手になりうる個体からまったく相手にされないクジャクは、やはり繁殖できない。のちの世代の生物学的な構成に影響を及ぼすためには、まず生き残らなければならないが、ただ生き残るだけでは不十分なのだ。重要なのは子孫を作ることなのである。
そんなわけで、交尾の機会を増やすような特徴を持つことは、ときに安全性を犠牲にしたとしても、自然選択に有利に作用するだろう。安全性を犠牲にするコストは、天文学的に高いものにはなりえない――生き残りが完全に不可能になるほど、尾羽がお荷物になることはない。しかし、安全性を犠牲にするコストが、ゼロである必要もないのだ。そして、クジャクのオスの尾羽はわかりやすい例ではあるけれど、それと同様の考察が当てはまるで種は多い。シロクロマイコドリは、潜在的な交尾相手を誘うために、モッシュピット[ロックコンサートで客が激しく踊るステージ前の場所]で踊り狂うような歩き方をする。ホタルは、催眠性のありそうな光を点滅させ、相手が得られれば、チラチラと点滅する光のショーが始まる。オスのニワシドリは小枝や葉っぱや貝殻、ときにはカラフルな飴の包み紙などを集めて飾り立てた東屋を作るが、どうやらその東屋は、未来のミセス・ニワシドリを誘惑する以外の目的には役に立たないようだ。

ダーウィン1871年の2巻本『人間の由来と性選択』ではじめて性選択を記述したとき、その提案がすぐさま広く支持されたわけではなかった。彼の同時代人の多くには、人間以外の動物の野獣的行動が、美しさに対する反応されているなどということがあるとは思えなかったのだ。
ダーウィンは、鳥やカエルが、太陽が地平線に沈むときの赤みがかった光を見つめながら詩的な物思いにふけるさまを思い描いたわけではない。彼の言う美的感覚は、交尾相手の選択だけに的を絞ったものだった。それでも、ダーウィンが「美に対する好み」を動物界へと大きく拡張したのは、大胆すぎると思われたのである。人間の美的感性を神からの贈り物と考えていたアルフレッド・ラッセル・ウィレスにとって、ダーウィンの考えは由々しきことだった。

しかし、もしも美しさに対する生まれながらの感性に原因を求めないのなら、動物界のいたるところで演じられている無数の交尾ゲームにおいて重要な、派手すぎる飾り、独創的な誇示行動、物理的な構築[手の込んだ巣作りなど]は、どう説明すればよいのだろうか。
実はこの問題に答えるためのアプローチには、それほど高尚ではないものがあるのだ。もう一度、オスのクジャクの尾羽を考えよう。われわれ人間はその尾羽の美しさを評価するが、クジャクのメスにとって尾羽は、遺伝に関する重要な情報として、本能的な応答を引き起こすのかもしれない。見事な尾羽で飾られたオスのクジャクは、丈夫で健康で、やはり丈夫な子を作る可能性が高い。ほとんどの動物種のメスがそうであるように、メスのクジャクは、オスに比べればわずかな子孫しか残せないから、適応度の高いオスをとくに強く好む傾向を発展させてきた。
オスとメスとのそんな結びつきは、そのつど資源を大量に消費する――それゆえ大切な機会である――受精の成功率を上げるだろう。オスのクジャクの華麗な尾羽は、潜在的な交尾相手が丈夫で元気だということを目に見えるかたちで知らせ、そんな尾羽に引き寄せられるメスのクジャクは丈夫な子を残す可能性が高い。そうして生まれた子たちは、平均すれば、華やかな羽振りを好み、あるいはそんな尾羽を身につけて、未来の世代にその特徴を広げる遺伝子を獲得するだろう。性選択についてのこの分析において、美には、表面的な見た目に留まらない深さがある。美しさは、つがい相手になるかもしれない個体の適応度を伝える、公開された信用度の高い証拠になるということだ。

いずれにせよ――つがいの相手の選択を駆動しているのが、美的センスなのか、健康の目安なのかによらず――結果として生じる選り好みは、体に関するものであれ、行動に関するものであれ、それだけでは生き残りに有利に働くとは思えないコストのかかる特徴を好む傾向に、合理的な根拠を与えうる。この説明は、われわれ人類が長きにわたって、ほぼ普遍的に行ってきた美的行動にも当てはまりそうなので、性選択は、その問題を解決してくれるのではないかと考えてみたくなる。
実際、ダーウィンはそれが解決策だと考えた。
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ビンカーによるなら、音楽は音に対するそんな感受性をハイジャックして、生き残りには役に立たない感覚的快楽という、コストや結果などおかまいなしの世界に先祖たちを導いた。チーズケーキは、カロリーの高い食べ物を好むという、大昔に人類が身につけた傾向を不自然に刺激するが、音楽もそれと同じく、情報コンテンツが多い音に注意を向けるという、大昔にわれわれの先祖が身につけた、最初は生き残りに役立った感受性を不自然に刺激しているというのだ。