じじぃの「歴史・思想_659_人類の足跡10万年全史・プロローグ・ボールドウィンの理論」

Japanese Macaques Washing Potatoes ニホンザルの芋洗い行動

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uZ8HCdgEwCs

海でサツマイモを洗うニホンザル


百匹目の猿現象』シンクロニシティの奇跡は嘘?本当?

2020年10月23日 Ani‐Mys
●「百匹目の猿現象」。
初めの一匹の真似を百匹がすれば、それは群れ全体に共有され、なんと遠くの猿にも伝わるというのです。
猿だけじゃありません。
それは人間にも起きる!
https://ani-mys.com/%E3%80%8E%E7%99%BE%E5%8C%B9%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%8C%BF%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E3%80%8F%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AF%E5%98%98/

人類の足跡10万年全史

ティーヴン・オッペンハイマー(著)
【目次】

プロローグ

第1章 出アフリカ
第2章 現生人類はいつ生まれたのか
第3章 2種類のヨーロッパ人
第4章 アジア、オーストラリアへの最初の一歩
第5章 アジア人の起源を求めて
第6章 大氷結
第7章 だれがアメリカへ渡ったか

                • -

『人類の足跡10万年全史』

ティーヴン・オッペンハイマー/著、仲村明子/訳 草思社 2007年発行

プロローグ より

ボールドウィンの理論

脳が古代に発達したのにたいし、文化が最近になって飛躍したのは、人類の文化はそれ自体が糧となって指数関数的にテンポを加速するためだ。これから述べるように、人類の文化的進化の歴史は、生物学的な系統樹のように、次々に現れる人類がそれぞれ飛躍的に知能をのばし、よりすぐれた道具を使っていく、というものではない。生物学的進化が文化的な革新を推し進めるようなことはなく、つねにその逆であり、わたしたちの脳はずっと以前に成長を止めてしまっているが、文化は進化をつづげている。文化と遺伝子の共進化ということが、近年の人類の革命をひき起こしているのである。これは単純な概念だが、人種や民族に対するあらゆる偏見への反論となるものだ。

行動の革新あるいは「新しい文化」が進化を推し進めるメカニズムは、1世紀前にアメリカの心理学者マーク・ボールドウィンが初めて提唱した。ボールドウィンは、木のてっぺんの葉を食べるためにキリンの首が長くなったといった、進化現象にたいするダーウィンの単純な見解を行動学的に解釈した。キリンの首が長くなったといった、進化現象にたいするダーウィンの単純な見解を行動学に解釈した。そして、行動の柔軟性や学習が、自然選択を増幅したり偏らせたりすると考えた。発明や学習による新しい習慣によって動物のあるグループの背景や生息地が変わると、遺伝的に決定される行動的。身体的特徴のなかで、その新しい環境をもっともうまく利用できるようなものを自然選択が支持するというのだ。「共進化」あるいは「遺伝的同化」と呼ばれるこの単純な説は、獲得形質が遺伝するとしたラマルクの異端視された説の落とし穴を避けると同時に、忘れられてしまった、彼の洞察に富むアイデアをふまえている。

共進化は、現生人類の歴史にのみかかわるものではない。生命の黎明期から、新たに生み出されたり、あるいはたまたま適応性のあった行動上の技術は、その技術を利用するのに都合のいい身体的発達を決定する遺伝的な変化を押し進めた。

脊椎動物の多くの種で、子は「生まれながらの」技術をまね、学習する。親が積極的に子を教育する高等な脊椎動物の例はたくさんある。すなわち、新しく「つくりだされた」行動は、まず、おもに遺伝子によってではなく、親や他の者が教え、子が学ぶことによって伝えられる。すると新しい行動にとって都合のいい遺伝子が選択されはじめ、新しい行動宇をよりよく利用できる新しい種をつくっていく。つまり遺伝子と文化は共進化するのである。

文化の発展は、かならずしも遺伝子の継承と密接にむすびついている必要はない。ほとんどの哺乳動物の進化において、そのような文化の伝授は、直接の家族や集団のものだけに厳しく制限されていた。その結果として、行動は遺伝子とむすびついていた。しかし社会的な哺乳動物においては、生存のための技術は、血縁関係のない社会的グループのメンバーにも伝えられる。こうした霊長類が生物学的に進化していった過去2、300万年間のうちに、文化の進化は遺伝子から、ある程度の独立を獲得した。たとえを用いれば、バイオリン製作の家系の進化は、親から子へと技術を伝える家族と同じように、バイオリン職人の組合によってもおこなわれるということである。

何がその証拠になるだろうか。生まれながらのものではなく学習された特質は、遺伝的な関係とは別であるように、地理的にも特定の地域に限られている。海でサツマイモを洗うニホンザルは有名だが、これは地域的な社会的特質で、歴史的、地理的に記録された起源をもち、世代から世代へと伝えられている。この新しい行動が新しい遺伝的な形質に依存しているとはまず考えにくい。しかしこの例を追っていき、もしサツマイモを洗うことが特別に生存に有利であり、またそれが代々この地域のニホンザルの主食となるなら、未来の世代において、任意の遺伝子変化が自然選択され、サツマイモを洗うという習慣をなんらかの形で強化するかもしれない。そうすればそれは共進化と言えるだろう。

生みだされた文化が地理的に集中する現象は、人類以外の霊長類、ことにチンパンジーではっきりと見られる。チンパンジーの社会において、特定の道具製作技術をある集団のメンバーと、近くにはいるが血縁のない別の集団がもっていることがある。これらの技術は文化的に獲得され、遺伝的に決定されるものではないので、かならずしも広く見られるわえではない。

ある時点で、おそらくヒト科が現れる以前から、文化は種の壁を越えて異なる類人猿たちに共有されていただろう。それよりずっと以前に、文化的な進化は、遺伝的な進化と並行するそれ自身の先史をもつようになっていたと言っていいだろう。

このようなボールドウィン的な考え方からは、1つの予測と1つの所見が得られる。予測とは、もし複雑で意図的なコミュニケーションをおこなうために、発達した脳が必要だとすると、大きな脳の進化に先立って、単純で意図的なコミュニケーションがおこなわれていたというはずだということだ。所見とは、すばらしい発明で洗練のきわめである書くという行為が、今から5000年前におこなわるようになり、音楽の表記はもっと身近になってからおこなわれるようになったということだ。このようなコード化された口述によらない2つのコミュニケーション・システムはおそらく人類が達成したもっともすばらしいものだが、その原因になるような特別の遺伝子や新しい脳をもった、人類の新しい種が生じたわけではない。