じじぃの「空へ・熱気球による有人飛行・ライト兄弟の飛行・鉄腕アトム!はじめて大全」

鉄腕アトムも太陽に向かって飛んでいきました


鉄腕アトムの自己犠牲

2019.07.14 ドクターサナギ
イカロスは太陽に向かって高く飛んだので、体と翼をつないでいた蝋が溶けて海に墜落しました。
イカロスの神話は人間の傲慢さやテクノロジーを批判しているとも、太陽神ヘリオスを恐れることなく自由に空を飛んだ勇気を表しているとも言われています。
鉄腕アトムも太陽に向かって飛んでいきました。人類を救うために。
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『なんでも「はじめて」大全』

スチュワート・ロス/著、西田美緒子/訳 東洋経済新報社 2020年発行

第4部 移動――空高くへ より

凧と気球

凧は中国で発明された。紀元前5世紀頃に生まれたと考えられており、550年にはすでに人気を博していた。人間が凧に乗って飛行した最古の記録としては、559年に元黄頭が2.5キロメートル飛んだという記述が残っている。中国人は1世紀頃、他に先駆けて無人の熱気球も飛ばしていた。1709年には、ポルトガル人宣教師バルトロメウ・デ・グスマンが一種の熱気球を用いて地上から浮き上がった可能性はあるものの、一般的にはフランス人のモンゴルフィエ兄弟による10分間の飛行(1783年)が、はじめての熱気球による有人飛行とされている。その数日前には、はじめての水素気球がフランスで飛行に成功していたが、12月1日に大型の水素気球による有人飛行がパリではじめて実現し、1783年は気球の年譜における、まさに驚異の年となった。アイルランドのタラモアの町に熱気球が墜落して100軒以上の家を破壊した大惨事が、はじめての航空事故とされる(1785年)。燃えやすい水素や石炭ガスに代わってはじめてヘリウムを使用したのは、第一次世界大戦時の防空気球(低空からの飛行機による攻撃を防ぐ目的で、金属ケーブルを用いて地面に係留された気球)(1917-18年、米国)と、1921年の飛行船(米国)だった。
飛行船の歴史は、1784年にフランス人ジャン=ピェール・ブランシャールが、自分の水素気球に手動のプロペラを取りつけたときにはじまる。もうひとりのフランス人アンリ・ジファールが、1852年に自作の気球に蒸気機関を取りつけたことで、エンジンつき飛行船への基盤ができた。ドイツ人の飛行士パウル・ヘンラインが1872年に内燃機関つき飛行船の飛行に成功し、飛行船の型名として最も有名なドイツのツェッペリンは1900年にはじめて飛行に成功している。

空気より重い飛行機

空気よりも重い「重航空機」による飛行の先駆けは、ジョージ・ケイリ―卿(英国)だ。ケイリ―卿ははじめて航空学の原理を考え出し、実用的なグライダーを作ると1804年)、成人の人間を乗せたグライダーの飛行を成功させている(1853年)。1890年にはフランス人クレマン・アデールの蒸気機関を積んだ飛行機が、50メートルにわたって操縦不能の飛行を果たした。はじめてのエンジンつき重航空機による操縦下の飛行は、一般的には1903年12月オービル・ライト(米国)によるものとされているが、ドイツ生まれのグスターブ・ホワイトヘッド(米国)がそれより前(1901年8月)に実現したという説もある。
いったん空へ飛び立ったあとの進歩は目覚ましかった。1906年にはルーマニアのトライアン・ブイアがはじめての単葉機を完成させ、その2年後にはテレーズ・ペルティエ(フランス)がはじめて女性の単独飛行を果たし、同じくフランス人のルイ・ブレリオハ1909年に英仏海峡横断飛行に成功している。1910年にはさらに2つの重要なはじめてがあった、水上飛行機の登場(フランス)と、艦上での離着陸の成功(米国)だ。1913年にはロシア人パイロットのピョートル・ネステロフがはじめて宙返り飛行に成功し、この頃から航空の姿は大きく変わっていった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
私は76歳のアスペルガー老人だ。
先日、横道誠著『イスタンブールで青に溺れる 発達障害者の世界周航記』という本を読んだ。
こんなことが書かれていた。
  僕の中二病は、いまでは思春期特有のものだったわけでなく、自閉症スペクトラム症と注意欠如・多動性に由来していると知っている。発達障害があると、生涯かけて思考が幼くなりがちだ。よく言えばいつまでも若者めいている。だが肉体は老けていくから、「幼稚なおじさん」になっていく。僕は典型的にそうだ。
私も「幼稚なおじさん」なのです。
   
空をこえて ラララ 星のかなた ♪
ゆくぞ アトム ジェットの限り ♪
心やさし ラララ 科学の子 ♪
十万馬力だ 鉄腕アトム ♪