じじぃの「科学・芸術_669_アメリカの20世紀・リンドバーグ」

Charles Lindbergh: A Young, American Hero 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NbgVhLOdbb8
Lindy comes in to land: Paris, 1927

『空の帝国 アメリカの20世紀 (興亡の世界史)』 生井英考/著 講談社 2006年発行
翼の福音 より
1927年には、ニューヨークの高級ホテルの経営者が景気づけをねらって飛行機によるニューヨークーパリ間の単独大西洋横断無着陸飛行に2万5000ドルの懸賞金をかけたが、さまざまな有名人たちが名乗りを上げたこの勝負に勝利を収めたのは、ミシガンで生まれ、ミネソタで育ったチャールズ・A・リンドバーグという名のスウェーデン移民の息子だった。彼は陸軍航空隊でパイロットの訓練を受けたことがあるものの職業軍人ではなく、父も第一次大戦当時にミネソタ州選出の下院議員をつとめた人物だが、チャールズ自身はウィスコンシン大学の工学部を中退し、郵便航路のパイロットと曲乗り飛行士として過ごしていたに過ぎない。そんな25歳の青年が成し遂げた冒険飛行は、たちまち彼をアメリカン・ドリームの象徴にしただけでなく、空という場に対する庶民の憧れを掻き立てたのである。
『オンリー・イエスタデイ』のフレデリック・アレンは、このリンドバーグの冒険に触れながら、実は航空機による大西洋横断それ自体は彼が最初ではなかったことを指摘している。それによると1919年にはイギリス人2名によるニューファンドランドからアイルランドへの無着陸飛行がすでに達成されていたし、同年にイギリスの飛行船も31名の乗客を乗せてスコットランドからロングアイランドまで折り返しの往復飛行をおこなっている。またリンドバーグの3年前の1924年には2機のアメリカ陸軍軍機が世界1周の途上でアイスランドグリーンランドニューファンドランドをたどって北大西洋を横断した。要するにリンドバーグの事績――とそれを呼ぶならば――の独創性は、単独だったこと、正確に目的地にたどり着いたこと、その離着陸地がニューファンドランドのような片田舎ではなく花のニューヨークから麗しのパリへだったというだけのことだ、というのである。
では、なぜリンドバーグはいまなお歴史を越えてつづくほどの神話的な名声を得たのか。
アレンによれば答えは簡単だ。この無口で内気な長身の青年は、パリで受けた大歓迎の人並みにも思い上がったそぶりひとつ見せず謙虚にふるまい、ジャズ・エイジの享楽的な世相にうんざりしていた1927年当時の人々に、ひさしぶりに素朴で温かみのある好もしいアメリカ的な青年像を体現した存在として受け容れられ、熱烈に歓迎されたというのである。
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いずれにせよリンドバーグが、事績以上にその人柄で世界中の人々の好意と共感をかちえたのは間違いなく、そのことは大西洋横断の翌年に出版した『我ら』(We)と題する自伝を見てもよくわかる。たとえばこの本の随所にはさまれた写真は、少年時代などを覗くほとんどが飛行の成功後に世界各地で歓迎を受けたときのスナップショットなのだが、それらに写ったリンドバーグはいつも同じように地味でスーツとネクタイ姿で控えめな微笑みを浮かべ、相手が大統領であれ、フランスの首相であれ、イギリスやベルギーの皇太子であれ、終始一貫して率直で飾り気のないアメリカ人らしい仕草と物腰を見せている。それはアメリカ人がいかにもアメリカらしい美徳を保ったままヨーロッパに存在を印象づけたことを物語る視覚的な証言であり、またそのことをアメリカの読者たちにさりげなく、しかし誇らしく伝えるメッセージにもなっている。それゆえにこそリンドバーグは、ライト兄弟以来、アメリカが世界に先駆けてきた航空の歴史をよりいっそう輝かせる誇らしい神話のヒーローとなって、享楽に倦(う)んだ1920年代の人々の心を感動で一杯にする存在となったのである。