じじぃの「科学・地球_325_世界を変えた100のポスター・パンアメリカン航空のクリッパー号」

Via PAN AMERICAN


『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

051 パンアメリカン航空のクリッパー号 より

Pan American Clippers[1939-1942年]

パンアメリカン航空の巨大飛行艇ボーイング314クリッパー号は、就航してからアメリカが第二次世界大戦に参戦するまでの数年間、贅沢な空の旅の代名詞だった。路線のポスターでは、裕福な旅行客に向けて心躍る旅の目的地が紹介された。

1931年、パンナム南アフリカ路線で飛行艇を就航させた。またその後の6年間で、太平洋と大西洋を横断する路線を順次開設した。
だが、大型航空機が必要になるのは目に見えており、1936年にパンナム社との契約を勝ち取ったボーイング社は、軍で不採用になった長距離爆撃機XB-15の機体設計を流用して、料金を払う乗客77人のために贅沢な設備を追加した。そのラウンジと食事をする場所は分かれていて、36の席はベッドにもなった。
乗客は男女別の更衣室で着替えてから食事をするよう求められた。客室乗務員も食事のたびに白衣に着替え、多いときには6コースの料理を給仕した。いずれも4つ星ホテル級の機内食だ。乗員は、パンナムパイロット、航空士、客室乗務員からベテラン中のベテランが集められた。
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だがその天下は長続きしなかった。ヨーロッパで戦争が勃発すると、北大西洋ルートは廃止になった。また真珠湾攻撃後、複数のクリッパーが軍用機に転用された。
戦後のなるとクリッパーは時代遅れになっていた。長距離爆撃機のために陸の滑走路があちこちで建設されたために、飛行艇の出番がなくなったのだ。ボーイング314に代わって、ダグラスDC4とロッキードコンステレーションが空の顔となった。クリッパーは12機しか生産されていない。最後の便は1946年に着陸し、1951年までには残っていた全機が解体されてスクラップになった。だが、戦前の2年間という短い期間、クリッパー飛行艇が新たな可能性と高空飛行の魅力で飛行経路を照らしていたのはまちがいない。