じじぃの「科学・芸術_668_アメリカの20世紀・ライト兄弟」

Unknown Film With Wright Flyer 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Iri0bSrCIvQ
 Wright Flyer III

ライト兄弟メモリアル ウィキペディアWikipedia) より
ライト兄弟メモリアル(Wright Brothers National Memorial)はライト兄弟による初の動力飛行が行われた場所を記念する施設でノースカロライナ州キル・デビル・ヒルズにある。なお当時の最寄の集落が4kmほど北のキティホーク町であったため初飛行の場所は現在でもキティーホークと呼ばれることが多い。
ライト兄弟はデイトンに住んでおり、当地へは飛行実験のために遠路を旅行した。
当時は砂丘であったため試験飛行地に選ばれたが現在は公園部分が短いサボテンに覆われ、海岸には商店や住居が建っていて砂地部分は少ない。

                            • -

『空の帝国 アメリカの20世紀 (興亡の世界史)』 生井英考/著 講談社 2006年発行
ある日、キティホーク より
フランスはもともとモンゴルフィエ兄弟が初めて気球を飛ばして以来、空を飛ぶことにきわめて熱心だった国である。土木技術の水準も高く、ヨーロッパきっての陸軍国として軍用気球の開発にも意欲的だったことにはすでに触れた。また一般大衆の間でも、「鳥人」の異名をとったクレモン・アデールやブラジルの大農園主で冒険家のサントス・ヂュモンらが独自の公開飛行実験を何度も試みて、大変な人気を博していたという。
それだけに1903年の時点では、遠く離れたアメリカの田舎でライト兄弟なる無名の庶民が初飛行に成功したというニュースが伝わっても、ほとんどまともには取り合われなかったらしい。ところがそれから5年後、事情が一変する。ヨーロッパでの特許を得るためにフランスを訪れた兄弟が、いまは自動車レースで名高いル・マンの競馬場で自らのフライヤー号を飛ばしてみせると、群衆は惜しまず歓呼の声を上げ、たちまち兄弟を当代最高のヒーローとして誉め称えたのである。
     ・
こうしての物語をふりかえってみると、歴史上初めての有人動力飛行という史実がどこか不思議なほど遠い彼方の寓話か伝説のように感じられるのがわかる。ライト兄弟の事績はたかだか20世紀初頭の話でしかないはずなのに、はるか遠くて深い霧の向こうの出来事のように感じられるのである。それは果たしてなぜだったのだろうか。
第1はすでに述べたように、彼らが伝統的な自営農民の流れを汲む独立事業家だったことである。すなわち、誰にも頭を下げず、借金はもとよりあらゆる借りをつくらず、すべてを自分たちだけでやりとげようとした彼らはいわば反時代的な存在だった。その生き方からビジネス上の姿勢まであくまで個人主義に忠実に生きようとしたライト兄弟は、その存在自体がクラウチのいう「去りゆく古き秩序」の象徴とでもいうべきものだったのである。
第2は――ひとつめとは一見正反対の話になるが――彼らがいわば時代を先取りし過ぎていたことである。先に触れたように、ライト兄弟の競争相手になるシャヌートやラングレーはいわば公的使命感にのっとって飛行の夢にとりくんだ人々だった。そのため彼らにとってあらゆる技術情報は、利益を得るためではなく、学問の発達や社会的に意義のある貢献のために用いられるべきものだった。ラングレーが、ある意味では気軽過ぎるとも思えるような態度でライト兄弟に技術情報の公開を呼びかけたり、実験の見学を申し込んだりしたのは、その表れだろう。
しかしこうした態度は、技術の近代史においてはせいぜい19世紀半ばごろまでのものである。たとえば革新的な紡織機を開発したイーライ・ホイットニー、電信技術の開発者で画家のサミュエル・F・B・モース、小型銃器の製造で大量生産方式の原型になる技術を開発したサミュエル・コルト、斬新なゴムの加工技術で一躍タイヤの製造効率を上げたチャールズ・グッドイヤーといったアメリカの著名な技師たちの時代と違って、世紀の変わりめともなれば「発明王」という通称より「発明ビジネスマン」とでもいったほうが似合いそうなトマス・エディソンをはじめ、特許ビジネスで最小限の労働効率と最大限の利益を何より重視する新しいタイプの起業家たちが目白押しの状態で登場するようになっていた。生活倫理のうえではいかにも古風なライト兄弟もまた、この点では明らかに20世紀的な価値観の持ち主だったのである。
かくてライト兄弟は、いわば世紀の変わりめのアメリカならではの逆説を歴史的に体現した存在となって、私たちの目の前から退場することになる。